2007年3月28日水曜日

Don't Give up

ちょっといい話。
うちの怪獣は基本的に根性」とは程遠い性格
ちょっと、頑張ってみてうまくいかないとすぐ、
駄目だ~」と言って投げ出してしまう。

本を読んだり体育が苦手(足の長さが左右で少し違うのでどうやらバランスが悪いらしい)。
この間、体育でトラックを何周かする授業があったんだけれど、
いつものようにうちの怪獣が「駄目だ~」と根を上げて止まったら、
クラスのある男の子がそばに来て、「僕が一緒に走るから頑張れ」といって怪獣のペースに合わせて走ってくれたらしい。
怪獣談によると、途中で何度か息が苦しくなって止まろうとしたら、その子が頑張れ、あきらめるなと何度も声をかけてくれて、最後まで走れたと言うことだった。

怪獣の学校の子供たちはみんな親切。
日本だとちょっと照れくさいようなことも、自然にサラッとやってて「すごいな~」と思う。
怪獣の学校は大学のすぐそばで、通っている子供たちも大学の教授の子供やドクターの子供や、大学院の生徒の子供でとても協力的で親切。ある意味アメリカでも特殊な学校なんだろうな・・・と思う。

2007年3月24日土曜日


パソを開けると。必ずといっていいくらい猫がモニターの前に来て座る。

新聞を床に広げて読んでいると、新聞のうえにゴロンと寝転がる。

本を読んでいると、読書灯の前でうずくまって影を作る。

あのぉ・・・レポート仕上げなければならないんですけれど・・・・

2007年3月22日木曜日

タームエンド


娘の学校では1月から始まったセカンドタームが先週で終わった。
最初のセメスターでいくつかFを取ってしまった娘。
「サマースクールは必修だ~」と呟いていた。

「今回のタームでまたFがつくと、サマースクールの期間が延びて夏休み返上になる~」と必死でレイトワークを仕上げていた甲斐あってか、今回はFは一つもなしで何とか切り抜けたらしい。

お気楽な小学校とは違い、高校生で留学はなかなか大変だと思う。

2007年3月21日水曜日

暑い


ついこの間まで雪が降っていたと思っていたら、いきなり気温が上がって、24℃いきなり夏の暑さ
怪獣「お母さん、はどこへ行ったの?」と質問してくるくらい暑い。

古くからこのあたりに住む人は、
「夏が4ヶ月、冬が7ヶ月、秋と春は2週間しかない」と言っていたが先週は冬からいきなり夏に跳んだような気がした。

2007年3月20日火曜日

薬の値段


月曜日の朝に怪獣が吐いたので、大学の診療所に連れて行った。
鼻水と喉の検査をしてインフルエンザであることが判明。
タミフルが処方されたので、娘や私も予防のために処方してもらえないか聞いたら、薬代が一人80ドル三日分と言われてあきらめた。医療費が高いのは知っていたけど、診察と合わせて100ドルは予想外。

診察を終えて、診療所内の薬局に行ったら、
「タミフルは切らしてるから、明日来て。今日どうしても必要なら外の薬局でも買えるけど、割高よ。」
と言われた。
割高でも何でもタミフル飲まなければ治らないのだから、他の薬局を探すことに・・・

 

3軒外の薬局に行ったのだけれど、どこも在庫なし
念のためにお値段を聞いたら、98ドル103ドル110ドルだった。
「どうして同じ薬が薬局によってこんなに値段が違うんだ?」
アメリカの医療システムはややこしい。

2007年3月19日月曜日

セントパトリックデー


3月17日はセントパトリックデーでした。
今年も、クッキーを作りました。
毎回行事の度にクッキーを焼いているんですが、今年はさすがに飽きてきました。

セントパトリックデーには
「つねられたくなかったら緑の物を身につけること」という妙な習慣があるらしく、去年はそんなことも知らずに、赤のトレーナーで学校にいった怪獣、あわてて私が着替えを持っていってなんとか切り抜けた。
「今年は注意しないと・・・」と思っていたら土曜日で学校がなかった


お菓子といえば、今年の3月3日には桜餅を作った。
夏に日本に帰ったときに材料を持ち帰って冷蔵庫で保管しておいた。
学校の先生に日本人のドクターがいるので、おすそ分けしたら喜んでもらえた。
こちらではもち米も小豆も買えるので、おはぎくらいは作れるんだけれど、さすがに桜の葉は手に入らないらしく、どこで手に入れたのか聞かれました。

2007年3月14日水曜日

ビザ取得 4

東京のアメリカ大使館で面接を受けました。
予約時間の、40分に並びはじめて、大使館の中に入ったのは予約時間を30分すぎていました。

建物に入る前に申請書類を係りの人が確認して集めていました。
写真とDS158(職歴の書類)の不備の人が結構いました。

食べ物と電気製品は入り口の所で預け、金属探知機?と手荷物検査を済ませて中に入ってしばらく待ち、名前を呼ばれたらブースに行って指紋をスキャンして、また待合に戻って待ちます。
面接は簡単な会話をして書類に問題がなければ、「ビザを認可しました」と英語で書かれた紙を貰って面接終了です。すごく短いので拍子抜けします。

私の場合は、主婦で子連れ、語学留学という不利な条件だったので、最初の面接ではすぐに許可が下りず、リコールになりました。
二度目に呼び出されたブースの担当者は流暢な日本語を話す白人男性でした。
日本語で、夫の仕事や夫は日本に残るのか?何を勉強しにいくのか?などを聞かれました。
日本語で夫のことや、アメリカの大学院に留学したいが、語学力不足なので、最初は大学の付属の語学スクールに通って勉強することを伝えました。
その後もいくつか質問のやり取りがありましたが、大体は申請書の確認という感じでした。
子供達のビザに関していくつか注意を受けた後、「ビザを出します」と言われました。
一度ビザが却下されると、パスポートに印がついて次にビザを申請しても却下される確率が高くなること、ビザなしでアメリカ入国が難しくなって観光に行くにも不自由することを聞いていたので、一回で取れて本当に良かった。

2007年3月9日金曜日

ビザ取得 3

以前に書いてUPしていなかった物です。
お暇なら参考にどうぞ。

2006年3月14日(作成)
 まず、面接日の予約。面接日の予約は大使館のホームページから予約のページに入って予約を入れます。
 面接日の3ヶ月前から予約ができますが、1回の申請に付き1枠で複数面接枠を予約することはできません。
 予約が確定したら、確認のページをプリントアウトしておく。これがないと大使館に入れません。

次に書類の作成。インターネットって本当に便利。申請書類の記入のし方から注意点まで、検索をかけるとヒットするので、ウェブページを見ながら記入。プリントアウト。(DS-156は3枚目にバーコードのようなものがついているので、プリントするときは縮小や拡大になっていないか確認が必要。)

 ビザの申請料(一人当たり100ドル家族3人で300ドル)とSEVIS(I-20をコンピュータで管理するシステムらしい)料金(100ドル)を払い込んで・・

 そうそう、写真も自宅でデジカメで撮ったのを、グラフィックツールで明るさなどを調整(写真はサイズ、顔の占める割合、明るさや背景色の指定がうるさいので、注意が必要です。)
 
いざ面接に・・・・

2007年3月6日火曜日

ビザ取得 2

去年書いてUPしていなかった物です。
お暇なら参考にどうぞ。

2006年3月6日(作成)
 自力でビザを申請することを決めた我が家。
早速まず情報収集からはじめることに・・・

 学校に入学を申し込むと同時に、私のネット三昧の日々が始まりました。
子供が学校に行って帰ってくるまで、パソコンの虜状態でした。

 まず手始めはオーソドックスにアメリカ大使館のホームページから。
ビザの概要や必要な書類などをざっと把握。

 次に検索エンジン+ネットサーフィンビザや留学のサイトを読み漁りました。
色々なサイトを読んでいくうちに、私たちのケースは、申請の際かなり注意が必要なことが判明。

 2チャンネルもブラウズしました。2チャンネルの情報は信憑性は高くないのですが、「どこそこの掲示板にひやかし(つまりウソ)の情報を書き込んだ」という書き込みがあったりするので、他のウェブページの信憑性を確かめるのに使いました。

 情報が集まってきたら、いよいよ申請。

 

2007年3月1日木曜日

ビザ取得

去年書いてUPしていなかった物です。
お暇なら参考にどうぞ。

2006年3月2日(作成)
 一昔前までは、I-20(就学許可書?)が取れれば、よっぽどの事がない限り学生ビザは下りていたのが、最近はビザを取るほうが大学に入学するより難しくなっているようです。

 特に17歳以下の学生ビザは取りにくいと聞きます。高校生以下の公立学校への留学は、交換留学以外は認められていないようです。(一部例外もあるようですが)

 17歳以下で公立学校に通うためには、家族の付帯ビザか、移民ビザが必要です。

 我が家の子供たちも私のビザの付帯ビザで滞在しています。ということは、私のビザの有効期間が過ぎれば、子供たちが学期の途中だろうが、卒業まで半年しかない状態だろうが、帰国するしかありません。

 学生ビザの有効期間は、フルタイムの学生として学校に通っている期間です。
 5年間有効なビザをもらっても、学校にだけ籍を置いて、遊んでばかりで授業にも出席しない状態だと、退学になってビザのステータスを失います。

 私たちも留学を決めたとき、
「主婦がビザを取るのは難しい。
特に子連れで、通う学校がカッレッジや語学学校だと、アメリカに居つくのが目的と思われて、却下される確立が高い。」

と聞いていたので、
「もし却下されたら、別の英語圏に留学して、
アメリカの大学院に合格したら、もう一度申請しよう。」
と、考えていました。

弁護士に頼めば確実なんだろうけど、留学でお金がかかるのに、
ビザのためだけにお金をかけるほど裕福じゃない我が家は、
「留学するんだから、ビザの申請の書類くらい作れなくては向こうで困るはず。」
と、言う判断のもとに自力で申請用の書類を作ることに・・・・

 こうして、我が家のビザ自力申請の戦い?が始まったのでした。

 長くなったので、続きは次回に・・・