8月の第2週の週末にイースターの時に行ったけれど、閉園時間が近くて見る事のできなかったオールドフォートナイアガラ(ナイアガラ砦)へ行きました。
(↑南方形堡③と食物貯蔵庫⑤)
ナイアガラ砦はナイアガラ川が五大湖の一つのオンタリオ湖にそそぐ河口にある歴史的建物群と遺構です。
有名な観光地ナイアガラ滝から北に約22キロ川を下ったところにあります。
(↑ナイアガラ砦の案内地図
①陸防壁、②五か国の門、③南方形堡、④ドーフィン砲台、⑤食物貯蔵庫、⑥火薬倉庫、⑦丸太小屋、⑧川防壁、⑨ラサールの記念碑、⑩製パン所、⑪フランス城、⑫ラシュ‐バゴット記念碑、⑬ミレーの十字架、⑭北方形堡、⑮3つの歴史的旗、⑯加治小屋、⑰内岸の壁と砲台回廊、⑱18ポンド砲)
ナイアガラ砦はFort Niagara State Park(Fort Niagara州立公園)内にあって、州立公園への駐車料金が車1台8ドル、砦への入園料はビジターセンターで払い、大人一人12ドル(砦の入園料を払うレジで駐車場のレシートを渡すと入園料から駐車料金を引いてくれる)でした。(2017年8月現在)
入場料を払うとパンフレットを渡してくれて、それが入場チケットの代わりになっていたようです。
(私たちは日本語の案内も貰うことができました。日本語版は英語版のパンフレットより説明が詳しかったです。
貰ったパンフレットのナイアガラ砦の歴史を簡単にまとめたものを続きを読むに書いたので、興味のある方はどうぞ…)
(↑陸防壁①フランス時代)
ビジターセンター内に小さな資料館があって、そこで展示とナイアガラ砦を紹介する簡単なオリエンテーションのビデオがみられて、それを見た後自分で砦内を見てまわるようになっています。
ビデオの上映の後、希望者にはビジターセンター最初のいくつかの遺構や建物の説明(英語)をしてくれる簡単なツアーがありますが、私たちが参加した時は入り口までのガイドという感じでした。
最初に見たのは陸防壁(案内図の①)で、ビジターセンターを出てすぐの所にありました。
この陸防壁と五か国の門(案内図の②)まではガイドがついて説明してくれました。
五か国の門を含めた砦内の観光の様子は次回へ…
ナイアガラ砦の歴史
ナイアガラ川の河口付近は植民地時代から1825年にエリー運河が完成するまで大西洋から五大湖へ至る物流の要所だったため、軍事的に奪い合いが続いた場所でした。
フランス、イギリス、アメリカ合衆国の3つの国がナイアガラ砦の支配権を巡って戦闘が繰り返され、1679-1759年まではフランス、1759-1796年の(アメリカ独立戦争※1中も含む)期間はイギリス、1796年の条約で砦は1度アメリカに引き渡されますが、1813年に(1812年戦争※2で)イギリスに奪還され、1815年の戦争終結時に再びアメリカに返還されています。
1815年以降は国境駐留地や兵士訓練所や兵舎として使われ、1963年に最後の軍隊が撤退しました。
現在の建物は1926年~1934年にかけて復元され、オールドフォートナイアガラ協会とニューヨーク州公園/レクレーション/歴史保存管理局と協力して管理しています。
※1:アメリカ独立戦争
1775年4月19日~1783年9月3日までのイギリスとアメリカ東部のイギリスの植民地13州との戦い。
1776年7月4日にアメリカは独立宣言するが、戦闘は1781年まで続き、1783年のパリ条約で戦争が終結する。
※2:1812年戦争
1812年6月~1815年2月まで、イギリス(カナダ)とアメリカ合衆国の間の植民地争奪戦争、第二次独立戦争ともいわれる。
インディアン(原住民)の部族も巻き込んだ戦争で、インディアンは部族でイギリスとアメリカに分かれて参戦したため、多量に虐殺され彼の土地を奪われる結果になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿