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2017年2月23日木曜日

教育難民


 最近、『○○難民』と言う表現をよく見かけるようになった。
本来の難民(:天災や戦禍などで生活が困難だったり、人種や宗教や政治などで迫害されて外国に逃れた人々。)の意味ではなくて、『○○で困っている人』とか『○○から追い出された人』の意味で使われる事が多いようだ。

 ネカフェ難民、出産難民、保育園難民、学歴難民、など社会的なものから、Twitter難民とか、アニメの難民とかファッション難民とかサブカルチャー系のものまで色々。

 この近頃の『○○難民』という使い方を見て、「我が家ってもしかしたら教育難民だったんじゃない?」と、ふと思った。

 以前の記事、留学のきっかけやIEPもどき4に詳しいことは書いてあるのだけれど、発達障害をいもつ怪獣(我が家の息子)は日本の教育のシステムの隙間に落ち込んでしまっていて、適切な指導や教育を受けられずにいた。

 怪獣が就学した2000年代初頭はまだ日本にIEPも導入されておらず、健常児(私は健常という言葉は好きではないのだけれど…)は普通学級、ハンディのある子は普通学級と特殊学級(現在の特別支援学級?)と養護学校(現在の特別支援学校?)の3択という大雑把な分類だった。

 90年代あたりからADHDやアスペルガーやLDなどの発達障害が認識されるようになり、今までは普通学級のちょっと困った子だった子たちが発達障害と診断されるようになって、特殊学級とは別に情緒学級などの学級をもうける学校もあったり、言語の指導を個別で行う学校もあった。

 (発達障害を含む)障害を持った子は、普通学級か特殊学級のどちらかに所属して、授業の内容に合わせて普通学級と特殊学級を行ったり来たりするという形で対応がされていた。

 怪獣は普通学級に所属して、(怪獣の通っていた小学校には言語指導のクラスがなかったため)言語の指導(週に1時間)だけ隣の学区の小学校へ通級していました。

 また怪獣が就学した当時は、特殊学級の教諭にも研修を履修させたり特別な資格などは要求されていなかったので、希望者や普通学級を担任することが難しい(指導力の低い)教師が割り振られているケースもあったようです。

 (集団での指示が入らないなど)コミュニケーションの問題と、得意な教科と苦手な教科の差が激しいというばらつきを持つ怪獣は普通学級と特殊学級のどちらで授業を受けていても最低限必要な学力を身につけられていない状態でした。

 2007年には日本でもIEPが導入される予定だったのですが、導入されて軌道に乗るまで怪獣の成長は待ってくれない。

 このままではダメだと思い、怪獣と娘(怪獣の姉)を連れて(すぐには就労ビザの取れない夫を日本に残して)母子留学のために渡米したのが2005年で、当時怪獣は9歳だった。
 その後、就労ビザを取得した夫が2009年末に渡米。
2012年には永住ビザを取得して今に至っている。

 怪獣の教育のためとはいえ、日本を離れてアメリカに来るのはある意味懸けだった。
アメリカに来たって(語学の問題もあるし)怪獣にとって(日本よりも)より良い教育が受けられる保障はなかった。
(色々調べたし、親の勘も含めて考えた上で決断&計画したので、行き当たりばったりというわけではなかったけれども、新しい環境に飛び込むのは勇気がいった。)
背水の陣というか、もう後がないというか、頑張るしかない状況だった。

 幸いアメリカの学校や教育のシステムや文化などが怪獣の肌に合って、渡米して2カ月くらいで怪獣は落ち着き、「(たとえ英語が喋れなくても)日本には帰りたくない」とはっきり言うようになった。

 そりゃそうだよねぇ~
怪獣は日本にいた時は完全にクラスで部外者扱いだった。  

 ゆとり教育の真っただ中で、保護者にも余裕がなかったように思う。
 教育サービスの奪い合いというか、障害のある子がクラスにいて手がかかるため自分の他の子どもへの指導が手薄になるんじゃないか?障害児に合わせて授業の内容が簡単にならないか?とか、自分の子どもが障害児の世話をさせられるのが嫌など、”ゆとり”でただでさえ学力低下が心配なのに困った子の為にうちの子が割を食うのは嫌と、いうギスギスした雰囲気が漂っていた。

 日本にいた時は、怪獣も何となく自分がクラスのお荷物扱いという事を肌で感じていたのだろうと思う。
 移民の国アメリカの外国人に対する寛容さに触れて、クラスの一員として認められ徐々に自信もついてきて、同年齢の子と関わりも改善し、日本にいた時に頻繁に起こしていたパニックは激減し た。
 怪獣の情緒が安定したことが、渡米したことの最大のメリットだったと思う。

 今は、IEPも導入されて今年で10年、ゆとり教育も終わって日本の発達障害児の教育環境も良くなって来ているだろうから、我が家のように教育難民する必要はなくなっているかもしれない。
 発達障害児を取り巻く教育環境が改善していたとしても、今現在怪獣が小学生で日本に住んでいたら、やはり我が家はアメリカ行きを決断したと思う。
 型破りな我が家は、日本のお任せコースの教育より、自己責任だけれど可能性や選択肢が沢山あり、柔軟性に富んでいるアメリカの教育の方が肌にあっているから。

 

 

2013年7月30日火曜日

IEPもどき4

後日談の後日談:

 IEPもどきについては、前回の記事で終わる予定だったのだけれど、今回は、なぜ折角の「IEPもどき」を2年で見切りをつけて、留学を決心したのかを書くことにします。

 IEPもどき(ボランティアのヘルパーさんをつけてもらうこと+学期の終わり毎の反省会)のヘルパーさんは週に2~3日、1回2時間~3時間来てもらっていました。
 IEPもどきが始まった頃は、怪獣もまだ1年生で、学習の内容も難しくなく、週に4~9時間くらいの補助で学校生活にうまく馴染んでいました。

 小学校2年の時は、ヘルパーさんは途中で変わったものの、担任は持ち上がりで環境の変化も少なく、IEPもどきは効果をあげていました。

 小学校3年に進級した時に、担任が変わり、学習内容も難しくなって、IEPもどきの内容の調整や変更が必要になって来ました。

 ヘルパーさんを派遣してもらっているボランティア人材センターに、時間数を増やしてもらえるかどうか相談したのですが、一人のヘルパーさんを長時間拘束するのはヘルパーさんの負担が大きすぎるし、人数を増やそうにもボランティアをしてくれる人の数が足りない状態で、現状維持が精一杯とのことでした。

 その上に、新しく変わった担任から「学校生活に支障が出ているので、特殊学級への移籍を考えてはどうか」と提案がありました。

 担任の要請で、教育委員会の職員が(ヘルパーのついていない時に)怪獣の授業の様子を視察に行ったみたいで、教育委員会から呼び出しがかかりました。
 教育委員会の職員いわく、
「お宅のお子さんの学校での生活の様子を見せていただいたのですが、授業中は折り紙や絵を描いているだけで、授業を全く聞いていない。
担任の指示も理解していないようで、ここまでハンディの重いお子さんが普通学級に在籍するのは無理があるので、特殊学級が適当かと…」

ハァ~?(`△´+) ナンダト!!
今更何言ってるんだ~? 

 怪獣が入学した頃に特殊学級に在籍していた車椅子の生徒は、前の年度に卒業して空きが出ていた。
 入学の時は普通学級を薦めてきて、補助が必要だと相談に行った時は普通学級に在籍していることを理由に断ったくせに、3年になって特殊学級に空きが出たので、今度は特殊学級に移るように圧力をかけてくる。
 自分たちの都合ばっかりで、子供の状態を全く考えてくれていない教育委員会に失望した。

 また、環境が変わって一時的に不安定になっていて、今まで出来たことが出来なくなっている怪獣を理解してサポートしてくれるのではなくて、特殊学級に移籍させてしまおうとした担任の態度にも不信感をおぼえました。

 他にも、保護者会で授業参観に参加した時に、怪獣は部外者扱いで授業に参加するチャンスが与えられていなかったこと。
 PTAの役員の活動で学校に行ったときなどに、授業の様子を覗いた時も、自分から発言の出来ない怪獣は担任から無視されて空気のように扱われる姿を見て胸が痛みました。

 それまで学校や教育委員会と交渉して、怪獣が適切な教育を受けられるように親として手を尽くしてきたけれど、日本の教育制度の中で発達障害を抱えた怪獣に教育を受けさせることに限界を感じました。

 「怪獣を教える方法を知るために、アメリカに行ってIEPを学びたい」
という、思いが強くなってきたのもこの頃で、アメリカに母子留学を決意して準備をすることにしました。

 留学の決意と準備の様子は、留学のきっかけ2、留学のきっかけ3、留学のきっかけ4、ビザ取得に書いてあるので、興味のある方はどうぞ…

 

追記:留学準備について

 この記事の流れだと、一学期の初めに教育委員会との話があって、留学の準備を始めて、夏休みには留学できたと誤解されそうなので、留学準備について少し書いておきたいと思います。

 IEPを学ぶために留学することを決めたのは、怪獣が小学2年の1月でした。
留学の情報を集めたり、どのような形で留学するか(単身か母子のみか家族全員か)などを決めたり、英会話の練習のために(駅前でチラシを配っている教会が提供している)無料英会話などに通いはじめました。(留学準備スタート)

 3月頃には、留学希望の学校も決めていて資料を取り寄せたりしていました。
 怪獣が3年生に上がる前には、集めた情報や取り寄せた資料も揃い、後は応募するだけという状態になっていました。

 3年に進級してすぐ問題が起こり始め、問題の解決方法を模索する傍らで、学年の途中での留学も視野に入れて、アメリカの大学付属の語学学校に願書を提出(郵送)。
 5月末に秋からのプログラムに入学許可の書類が届きました。

 それからは、ビザ取得の記事で書いたように、インターネットでビザ申請について調べまくり、6月末にビザを取得。
(その間、夫は2、3年後にはアメリカ転勤を条件に採用してくれる会社を見つけて転職を決め、私たちが留学を始めたと同時に新しい職場で働き始めました。)

 7月中に子供たちの学校の手続きを終えて、8月中旬に渡米しました。

 進級後の問題のおかげで留学の時期が予定よりも早まったのは事実だけれど、我が家の場合はそれまでの留学の準備の下地があったので、なんとかアメリカの新学期に間に合わすことが出来ました。

 業者に頼らずに自分で手配する留学は、思い立ったらすぐ留学できるほど簡単ではないです。けれども、(私の場合は)自分で手続きしたり情報を集めたりしたことが、留学後にとても役に立ちました。 

2013年7月29日月曜日

IEPもどき3


 (前記事からの続き)

 校長先生との話し合いには短時間だけれども、怪獣の担任も参加しました。

 怪獣の状況とボランティア人材センターのコーディネーターさんとの話しの内容を話して、人材センターのヘルパーを受け入れを許可してくれるようにお願いしました。

 ヘルパーの必要性は納得してもらえたけれども、公務員や保護者以外の人間を学校に受け入れるのは消極的。
 ボランティアなので料金は発生しないこと、人材センターは市から認可されている団体で、市の福祉課と連携して活動していて、ヘルパーに登録されている方も身元がしっかりしていることなども説明しましたが、
校長はとにかく「前例がないので…」と、言葉を濁すばかり。

「前例(先例)がないので…」

 この言葉をそれまで何度耳にしてきたことか!
お役所関係相談に行くと、断るための常套句なっているんじゃないかと思うくらい、口をそろえて同じセリフを繰り返す。
(前例がないから相談に来てるんじゃん!!
だから、「お役所は融通が利かない」って言われるのよ!!
(*`∧´)プンプン)

 多分、そう言われるだろうと思ってはいたので、覚悟は出来ていたし、人材センターのコーディネーターさんは障害児にヘルパーを手配した経験の持ち主。

私:「人材センターのコーディネーターさんは、別の学校で発達障害児にヘルパーさんを手配した経験があるそうですよ。」
と、話したら、校長先生の表情が変わった。

校長:「そういうことなら、ヘルパーを受け入れる方向で(コーディネーターとヘルパーも含めて)関係者全員で再度話し合いを持ちましょう。」
と、いうことになった。

 2度目の話し合いでは、校長、担任、コーディネーター、ヘルパー、私たち夫婦、が参加して具体的なスケージュールなどを調整しました。

 話し合いの結果、ヘルパーさんに来てもらうのは、週に2~3回、1回2~3時間ということに決まった。
 また、学期の終わり毎に、関係者で集まって反省会をすることも決まりました。

 その時の話し合いの参加メンバーは、誰もIEPについての知識はなかったし、特殊教育の専門家もいなかったけれど、図らずもIEPミーティングと同じことをすることになったのは興味深いです。

かくして始まった「IEPもどき」は、私たちが渡米するまで、(途中でヘルパーさんの交代はあったけれど)約2年間続けられました。

 

 後日談:

 IEPもどきの2回目の反省会の時だったか、校長先生が、
「怪獣君に(ボランティアの)ヘルパーさんがついているのは、(学級運営がやりやすいと)すごく評判が良くて、他のクラスにも(軽い)ハンディのある子がいるのですが、来学期からはその子たちにもボランティアさんがつけられるように、コーディネーターさんにお願いしました。」
と、ニコニコ笑いながら報告されてました。

 その報告を聞いて、(最初は消極的だけれど、いい結果が出たら積極的に取り入れるタイプの)この校長と、(発達障害の生徒にヘルパーを手配した実績のある)このコーディネーターだったから、怪獣のIEPもどきも実現したのかもしれない、と感じた。

 ボランティアのヘルパーの受け入れは、怪獣のためにお願いに行ったけれど、IEPもどきや他の子にもヘルパーを手配することになって、(怪獣のように)支援学級と普通学級の制度の隙間に落ち込んでしまった子たちの一助に発展していったことは、予想以上の成果でした。

2013年7月28日日曜日

IEPもどき2


 (前記事からの続き)

 「このまま放っておくと、読み書きも計算も出来ない、生きるために必要な最低限の知識も身につかないまま義務教育が終わってしまうかも…」
と、不安に駆られた私たち親は、問題を解決するための方法を模索することになりました。

 当時の怪獣の学校生活(特に授業)での主な問題点は、
①1対1の指示は理解できるが、集団での一斉指示が理解できない。
②興味のあるものとそうでないものがはっきりしていて、興味のないことには全く取り組もうとしない(話すら聞かない)。
の2つでした。

 それらの問題を解決して状況を改善するには、
①集団での指示をわかりやすく説明してくれる人。
②興味のないものに対して声をかけて励ましてくれる人。
が、必要という結論に達したので、教育委員会に相談に行ったのですが、断られてしまった。

 「行政がやってくれないなら、自分でヘルパーを探すしかない」
のだけれど、我が家の経済状態では個人的にヘルパーを雇うお金がない。

 怪獣が就学前に通っていた療育施設と同じ建物に、ボランティア人材センターもあったので、そこに相談に行くことにした。

 人材センターのコーディネーターさんに怪獣の状況を話して、ヘルパーさんを手配できないか相談したところ、ラッキーなことに、そのコーディネーターさんは以前に働いていた職場で、自閉症の子の学校付き添いを手配した経験のある方で、早速登録しているボランティアさんに声をかけてくれることになった。

 親の私たちには、学校にヘルパー受け入れの許可の交渉に行くように指示されました。

 当時の学校の校長先生とは、学校での投薬の件で入学前に相談に行ったことがあって面識はあったので、面談の日程もスムースに決まり、私たち夫婦と校長の3人で話し合いを持つことになりました。
(投薬の件でも市とゴタゴタがあったのだけれど、それを書くと話が脱線してしまうので、そのうち機会があったら書くことにします。)

 長くなりそうなので、校長先生との話し合いの内容は、次回に続く…

2013年7月27日土曜日

IEPもどき


 4月のはじめくらいに、ブロ友さんと、
「日本の学校や教育委員会など(教育に携る公的な機関)は融通が利かない。」
と、いう話になって、
 そのうち、我が家が日本で体験したことを記事に書くと約束していたのだけれど、延び延びになったまま早3ヶ月が過ぎてしまった。

(*_ _)人ゴメンナサイ

 日本にいた頃私たちの住んでいた市では、障害児は就学前に教育委員会の職員と面接があって、面接の結果で養護学校か特殊学級(特別支援学校と特別支援級のこと。当時はまだそう呼ばれていた)か普通級に就学するかが割り振られていました。

 うちの怪獣は言葉が喋れた事、(1対1での)指示がとおる事などから、普通学級に在籍するように言われました。

 特殊学級について質問をしたのですが、職員に
「お宅のお子さんが通う予定の学校では、特殊学級に車椅子のお子さんが在籍していて、職員の一人がそちらにかかりきりで人手が足りないので、自分の身の回りのことが出来る子は普通級に在籍して欲しい。」
と、言われました。

 その時は勉強不足だったことも手伝って、
「(経験のある)教育委員会の職員がそう判断するなら、そのほうがいいのだろう」
と、深く考えずに普通級に在籍することになりました。

 ところが、 実際就学してみると、普通学級では色々不都合が出てきたので、教育委員会に補助の人をつけてくれるようにお願いに行ったのですが、普通級に在籍していることを理由に断られてしまいました。
(詳しい経過は過去記事「留学のきっかけ」と、それに続くシリーズ2、3に書いてあります。)

 普通学級に在籍するということは、普通学級のカリキュラムに個人が合わせていかなければならない状態で、ハンディや問題を抱えている子がいても、学校や教育委員会は対策を講じる義務がないのだ、という事がわかって愕然としました。 

 

長くなりそうなので、続きは次回に… 

2012年12月12日水曜日

英語力と留学2 行けば何とかなる?…わけないかも…


  低レベルの英語力だったにも関わらず、大胆にも私の留学の決意を促したのは、

①夫の留学前の英語力(実業高校卒で高校で英語を勉強することがほとんどなかったので、中学1年くらいのレベルだった)は私よりも低かったが、(大学付属の語学学校も含めて)5年でアメリカの大学を卒業できていること。

②私は英語が苦手と言っても、とりあえず日本の大学の教養の英語の単位はとれていること。
の2つでした。

 今思えば、
「行けばなんとかなるんじゃないかなぁ~」
と、(留学関連のサイトや知恵袋のようなQ&Aのサイトで、「失敗確実」「絶対やめろ!」と再三警告されているタイプの)海外に留学した経験のない人が錯覚しがちな安易な決断でした。
 
 安易な決断だったにも関わらず、入学許可もでて、学生ビザも無事に取れ、2005年の夏に渡米。
 秋学期から語学学校での授業が始まりました。

 アメリカに着いて入学手続きの後、すぐにプレースメント・テスト(診断テスト)を受けるように指示されました。
 日本にいた頃に、英語の映画(主にアメリカ映画)を観るのが趣味だったおかげもあってか、リスニングとスピーキングの成績が良くて、5つあったレベルの中の真ん中のレベル3(中級)のクラスに割り当てられました。

 リスニングがそこそこ出来たので、授業で教師の言っていることがさっぱりわからないという事態にはならなかったですが、日本で勉強不足だったため宿題をこなしていくのが大変でした。
(私の通っていた大学付属の語学学校は、その界隈で最もスパルタ式の学校で、宿題の量が多いことで有名な学校でした。)

 「学問に王道なし」
 結局、日本でやってなかった英語の勉強を、アメリカの語学学校でするハメに…
o(T◇T o)ビエーン…

 
私はお尻に火がつかないと行動しない(トラブルなどが起こって追い詰められると力を発揮する)タイプ+トラブル・シューティングを楽しめるタイプなので、英語力が低いにもかかわらず留学してなんとかなった(なんとかした)けれど、トラブルをストレスに感じるタイプだと辛いと思う。

今回の教訓:留学前の英語力が低い場合は、「行けばなんとかなる」は幻想。
「行って
(日本でやっていなかった分の勉強も頑張って)なんとかする」か「行っても(英語で英語を学ぶのが難しくて、やっぱり)どうにもならない」が現実。


 

2012年12月10日月曜日

英語力と留学 英語力が低いのに留学?


 以前の記事にも書いたように、私の留学前の英語力は酷かった。

 特に酷かったのは語彙。
単語帳等を使って単語だけを暗記することができないので、圧倒的に語彙力不足で、簡単な文章すらも辞書がないと読めない状態でした。

 ボキャブラリーだけではなくて、文法もかなりあやふやでした。
5文型(SVOC)などの基本的な文法は理解していましたが、関係詞の制限用法とか非制限用法とか、現在完了形の継続・終了などの用法を指摘できない。
(実は今も出来ないけれど…(^-^;)

(多くの日本人がそうであるように、)私も日本の学校英語の教育法で英語が身につかなかった一人でした。

 留学関連のサイトなどでは、語学留学が目的の人を除いて、学部留学以上を目指す人は、(語学留学から始めるにしても)日本である程度(例えばTOEFL-pbt500以上とか)英語の勉強をしっかりしてから行くようにアドバイスしているものが多いです。

 けれど、その時の私の状態だと日本で英語の勉強をしていたら、何時までたっても留学出来そうもなかったので、思い切って語学留学からスタートして学部留学を目指すことにしました。

長くなりそうなので、続きは次回に…


2012年11月25日日曜日

アメリカの発達障害児就学事情


 私は日本の学校の特別支援のことはあまりよく知らない。
怪獣が日本の学校に通ったのは、小学校1年~小学校3年の1学期まで(2年と3ヶ月強)だし、色々な事情で普通学級に在籍していたから。
 怪獣の場合、特殊学級に在籍するほど重くないけれど、普通学級ではついていけない。
システムの隙間に落ち込んでしまった感じで、適切な指導が受けられない状態でした。 

 「学校(行政)が面倒見てくれないなら、自分で方法を探すしかない。」
と、思い、親子留学することにしました。
(「なんで、突然、留学に話がいくんだ~」ですが…
(^-^;
過去の記事「留学のきっかけ」「留学のきっかけ2」に、いきさつが書いてあるのですが、今日の記事の内容と特に密接な関係があるわけではないので、興味があれば参考程度に読んでみてください。)

 日本の特別支援についてよく知らないので、思い違いもあるかもしれないけれど、
 怪獣が通っていたアメリカの学校と日本の学校のシステムで、大きく違うなぁと思った点は2つ。

 ひとつは、日本のような特別支援学校や特別支援学級がないこと。

 重度の障害児のための特別な学校はあるのだけれど、重度の子でも普通の公立学校に通っているケースもあるし、日本の様に区別がはっきりしていません。

 日本の特別支援学級のようなものもなく、小学校は基本的には普通の学級にいて、IEPで決められた時間だけスペシャル・エデュケーションの教室に通級という形です。
教室にはテューター(補助)がいて、障害の度合いによって専任の形でつく場合と、クラス全体のヘルプの形でつく場合があります。
(怪獣の場合は、英語でコミュニケーションが出来るようになるまでの最初の2年間は専任のテューターがつきましたが、それ以降はクラス全体のテューターでした。)
 
 ミドルスクール(中学校)以上になると、教科ごとの習熟度別のクラスになります。
身体障害のない身辺自立の出来ている発達障害の子はほとんど、遅れている教科のみがIEPや助けが必要な子のクラス、その他の教科は普通のクラスや(場合によっては)アドバンスのクラスに時間割が組まれます。
(怪獣は、英語がIEPの子の多いクラス、数学は一般のクラス、その他の教科は一般のクラスだけれど教師が2人(1人が教えて1人は補助)のクラスです。)

 ふたつめは、高校まで義務教育で高校受験がないこと。

 高校受験がなかったことは、怪獣ばかりでなく娘にとってもメリットでした。
(娘の場合はオープンエンロールメントの大学に出願したので、大学受験も経験せずに大学生になってしまった。)
 娘はアメリカの中学に1年通っただけで英語力が低い状態での高校進学だったので、日本の様に高校受験があったら、どこの高校にもいけなかったと思います。
 怪獣は小学校~中学校とIEPを受けてきて、高校に進級する前にIEPを受ける資格があるかどうかのテストはありましたが、中学までのIEPを高校に引き継ぎました。
 中学校と高校と連絡がしっかりされているので、煩雑な手続きや話し合い等なしで一貫したIEPを受けられるので、親も子もストレスが少なくて済んだのは大きなメリットでした。

 その他にも、学校に行かずに自宅で学習するホーム・スクールの制度など、アメリカの義務教育は柔軟性があって融通が利くので、怪獣のような発達障害を持っている子にとっては負担が少ない仕組みだと思います。

2009年9月21日月曜日

英語の勉強法9 (DVD観賞)


 日本で普通に生活していると、どうしても英語を耳にする機会がほとんどないので、英語の(特にリスニング)の勉強をしたいと思ったら、アメリカの基地のラジオ放送を聞くか、NHKなどのラジオ講座を聞くか、通信教育を通してみるか、駅前留学するか、DVDを観るか、くらいしか選択肢がないように思います。
(6つもあれば十分かも…)

 その中で私が試してみて(通信教育と駅前留学はお金がかかるのでやったことがないけれど)1番飽きずに続けられたのが、DVD鑑賞でした。
 (ラジオ講座は、毎日同じ時間にラジオを聴くという簡単なことがズボラな私には出来なくて、最初の1週間で挫折しました。)

 DVD鑑賞でリスニングを勉強する場合の長所は、
1.都合のいい時間に観られること。
2.英語の字幕が付けられること(耳で聞いてわからない時、字を読めば何と言っているのかがわかること)。
3.ポーズやリビューなどを使って、わからない部分を何度でも繰り返せること。
4.映像の助けがあるので、内容やわからない単語の意味を憶測できる。
5.映画を楽しみながら、リスニングの勉強が出来ること。
の5つだと思います。

 私がやっていた方法は、
①最初に字幕なしで全体を通して観る事を最低1回(出来たら2~3回繰り返して)、大体の内容が掴めたら、
→②英語の字幕をつけて内容を確認(自分が思っていたストーリーと同じかどうか)大体1~2回
→③最後に日本語の字幕で観て細かい部分を確認
→④余裕があれば、家事などをしながら音だけを聞いて映画のシーンを思い浮かべる。
の、4ステップでした。

 ステップ①では、わからない場所があっても止めずに流すようにみて、ステップ②で止めたり、時間がない時はシーン毎に細切れでみたりしました。
ステップ③でも止めずに映画を楽しむ目的でみていました。
ステップ③まで進んではじめて、自分の勘違いに気が付いて笑えた事もありました。
大体、ステップ③を終わったあたりでDVDの返却期限になるか、同じ映画を見続けるのに飽きてしまって、ステップ④まで進むことはまれでした。

 私のリスニングの目標は、「英語を聞いて状況がわかること」だったので、細かい発音や言い回しの練習をしたい人には不向きかもしれません。
あとは、DVDのレンタルにお金がかかることと、映画の英語のスピードは少しだけ日常会話のスピードより遅いこと、一度日本語吹き替えや字幕で観てしまった映画は日本語が先に頭に浮かんでしまって使えないことが短所かな?

 

2009年8月30日日曜日

運転免許の更新


 海外で生活していると、面倒なのが運転免許やパスポート等の更新手続きです。
 更新期間に帰国出来るとは限らないし、パスポートは海外の大使館や領事館でも更新できますが、運転免許の方は更新期間に更新できなければ失効になります。

 海外で滞在中に失効になると、免許の取り直しになりますが、取り直しも3種類あって、
①失効日から6ヶ月以内:学科試験と技能試験が免除
②失効日から6ヶ月以上3年未満:帰国(一時帰国を含む)から1ヶ月以内なら学科と技能試験が免除。
③失効日から3年以上:免除なし(平成13年6月20日以前に失効している場合は技能試験のみ免除。)

 以前アメリカ留学をしていた夫が失効した免許の取り直しに立ち会ったことがあったのですが、アメリカの運転免許を持っていたため、普通乗用車の運転免許は学科・技能とも免除だったのですが、自動二輪は技能試験(みきわめ:正規の技能試験ではなくて簡易バージョン)が必要で手続きも結構面倒でした。

 私の免許は失効の日までに1年を切っていて、多分更新の期間には日本に戻って来れそうもないし、留学してからはバイクに乗っていないので技能試験に受かる自信がまるでない。
何としても失効を避けたかったので、免許の更新の特例を使って免許の更新を前倒しですることにしました。

 特例は更新の期間(自分の誕生日を挟んだ前後1ヵ月)以外にも、出産や入院、海外に行く場合等のやむをえない理由がある場合は、有効期間が残っていて更新期間でなくても更新できる制度で、留学の場合に必要な書類は、現在の免許、申請料金、パスポートでした。

 普通の更新のようにお知らせの葉書がなかったのと、私の場合は住所変更(手続きには本籍の記載されて住民票が必要)も同時にしたのでで、少し手間はかかりましたが、手続きの順序や内容は普通の更新とほぼ同じでした。

 今回のお奨め:
「留学中に運転免許の有効期限が切れそうなときは、特例制度を使ってあらかじめ更新しておくと安心。」

 余談:今まで運転免許をとる時に受けなければならない試験は、学科試験と技能試験の2つだけだと思っていました。
ところが、今回更新に行く前にウェブサイトで調べたら、他にも試験があるみたいで、
「学科と技能以外で免許をとる為に受けなければいけない試験で、どんな時にも免除にならない試験なんてあったかな?」
「新しい道交法かなんかで追加された試験なのかな?」
と、不思議に思っていました。

 免許センターに行って、その試験が「視力検査」だった事がわかった時にはちょっと拍子抜けしてしまいました。

 確かに英語では"eye exam"って言うけれど、私の感覚ではあまりにも「試験」のイメージからかけ離れていて、思いつきもしませんでした。

2009年3月26日木曜日

英語の勉強法6 (公文式)

 留学する1年半くらい前に公文式の英語を始めて、留学直前まで通っていました。
始めたきっかけは、中学入学を控えた娘を英語に慣らすためで留学の勉強が目的ではありませんでした。

 公文を選んだのも、当時娘が公文の算数に通っていて入会金無料のキャンペーンをやっていたためでした。
娘と同時に公文の英語をはじめたのは、娘にだけ英語の教材をさせても自分が家で教えられないと困ると思ったからです。

 娘はアルファベットから、私はGI(多分中学校2年生くらいのレベルだと思う)からスタートしました。
教材は文法とリーディングがメインで、短い英作文を嫌と言うほど練習しました。
公文に通っていても英会話は出来るようにならなかったし、留学準備には役に立たなかったと思っていたのですが、最近になって文法の復習に役に立っていたことに気が付きました。

 英語が得意で直に大学に留学できた人を除いて、語学学校からスタートする人のほとんどは文法の基礎の出来ていない人が多いです。
「不定詞(to+動詞の原型)のtoと前置詞のtoの見分けがつかない」
「関係詞節がわからない」
「動名詞と進行形の区別がつかない」
など、基礎の基礎が出来ていないので、リーディングやライティングが苦手でクラスについていけないかったりします。

 公文の教材は、英作文の数をこなす事で文法のパターンを身につけていくので、難しい文法の説明は出来なくても、経験的に正しい文法を使えるという仕組みです。
今は大学で勉強しているけれど、この経験的に獲得した文法がいまだに役に立っています。
英語が苦手なのに英語圏に転勤になったり、英語は苦手だけれど英語圏に留学したい人には公文の教材で中学・高校の文法の基礎を復習するのもいいかもしれない。

2008年4月22日火曜日

留学のきっかけ4


最後のハードルは私の英語力でした。

私はとりあえず4大卒です。
専門は違うけれど、もう一度大学から入り直すのは経済的にも体力的(30代後半のおばさんが、10代後半の子達と体育の授業なんて、考えただけでも眩暈がする。)にも大変なので大学院に申し込もうと考えました。

ところが、問題は英語力。
英語を最後に勉強したのはかれこれ20年くらい前だし、大学に入るときだってセンター試験で満点の20%しか英語のスコアがなかった経歴の持ち主なので、大学院の試験にパスするのはどう考えても無理。
それどころか、学部の方に入る英語力も怪しい。
日本で大学院に入るための英語力をつけるには5~6年もかかりそう。

「とにかく英語を何とかしなければ・・・」
と、言うことで、語学留学からスタートすることにしました。

ところが、インターネットで情報を集めていると、アメリカへの親子留学はかなり難しいことが判明。
ビザ取得に思ったより労力がかかってしまいました。

(その後の話は、ビザ取得に続く。去年UPしたものです。)

2008年4月20日日曜日

留学のきっかけ3


 何となく、留学の決心はしたものの、その後いくつかの問題があって、決心が揺らいだり、壁に突き当たってしまう事がありました。

 主な問題は、夫が仕事の都合ですぐには一緒に渡米できないこと(仕事を辞めたら学費が払えない)と、怪獣の言葉の発達の問題、周囲の人の理解、私の英語力でした。

 夫が同伴できないのは、
「単身赴任だと思えばいいだろう」
ということで、母子だけで行くことが決定しました。

 言葉の方は、4人の医師のうちのもう1人は、渡米に反対していました。
「日本語を習得するのも苦労している子供に、更に外国語なんてストレスが大きすぎる。」
という理由でした。

 運がよければ両方喋れるバイリンガルになる可能性もあるけれど、下手をするとどっちも喋れないという結果になる可能性もあるということ。
考えた結果、
「同時に2ヶ国語習得しようとするから無理があるので、怪獣の負担軽減の為に日本語は教えない」
ことに決めました。

日本語教育をあきらめようと思った理由は、
①0から学ぶとしたら、日本語は英語に比べると難しい
②学校での勉強は全て英語なので英語を習得する方が便利
③英語をちゃんと習得できれば、英語を通していつか日本語を学ぶことができる
と、考えたからです。

(余談:欲張らなかったことが効を奏したのか、(2008年現在)喋ることに関しては日本語と英語と両方喋れています。
読み書きは英語の方が断然上手です。)

 言葉の件も含めて、周囲の人に反対する人もいました。
反対はしないまでも、「自分だったらそんな無謀なことはしない。」「日本にいても、そのうちIEPは導入されるし、学べる。」というスタンスの人が多かったです。

 客観的に考えても無謀な事だという事は承知していましので、心配になりました。
特に自分より発達障害の事を熱心に勉強している人から「無謀」と指摘されると、
「本当に留学してIEPを学ぶ価値はあるんだろうか?」と、いう疑問も湧いてきました。

 あれこれ考えた結果、私達はそのうちが待てなかったし、30年以上の実績のあるアメリカのIEPを勉強してみたかったこと。
 一緒に暮らしている親の勘でしかないのですが、怪獣の性格や状態から考えると日本の指導法よりは、アメリカの指導法の方が能力を伸ばす効果が期待できそうだったこともあって、
「やらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいい」
と、いう結論になりました。

(余談:留学する直前にわかった事なのですが、私達が住んでいた地域ではIEPの指導者が不足していて、2007年にIEPはスタートするけれど名前だけの状態が数年は続く事が予測されている状態だったので、結果的には留学してよかった状態です。)

2008年4月18日金曜日

留学のきっかけ2


どうやって勉強を教えて行ったらいいのか迷っていた時に、主治医からの情報で、アメリカではIEPというものがあって、障害児一人一人に合わせたカリキュラムが組まれていて、日本でも2007年度からスタートする予定だということを知りました。

怪獣に関わっていた医師は4人いたのですが、主治医とは別の医師からも、
「お母さんは英語は読めますか?アメリカの論文に息子さんのような発達障害の教育の事例が沢山あって参考になるんですが、残念ながら日本語には訳されていないんですよ。」
と、言われ、
「また、アメリカかい。」
と、思いました。

IEPの話を聞いてから、情報は少しずつ集めていて興味はあったのですが、留学しようとはまだ考えていませんでした。

ある日、
「2007年度には、怪獣は5年生。それからIEPを受けて間に合うんだろうか?」
と、不安がよぎりました。
自分で何とかしようにも、アメリカの事例とやらは、いつまで経っても日本語に翻訳される気配はない。
「それなら、私がアメリカに留学してIEPとやらを勉強すればいいんじゃないかな?」
「子供たちも連れて行けば、IEPを現場で体験できるし。」

と、言うことで、2005年年明けに留学を決意。

しかし、現実は思ったより厳しかった。

2008年4月16日水曜日

留学のきっかけ


色んな人が色んな理由で留学しているけれど、我が家の留学のきっかけは怪獣の発達障害が見つかったことです。

3歳児健診で要観察になり、しばらく市の発達相談のようなものに通いました。
3月に知能検査を受けて、4月から1年間療育施設に通いました。

怪獣の障害は養護学校や特殊学級に行くほど重くないし、かといって普通学級でついていくには何らかの助けが必要な状態でした。
一対一で指示されると理解できるのですが、クラスで一斉に指示されると理解できる時と理解できない時があって、クラスにいて他の子が勉強している間、ノートに絵を描いていたり、折り紙をしていたりで勉強はほとんどやっていない状態でした。

教育委員会に障害のことを説明して、ヘルパーをつけてもらえるようにお願いに行ったのですが、
「勉強が出来ないのはあなたのお子さんだけじゃない。ヘルパーをつけると他の子に不公平だから出来ません。」
と、断られて唖然。
身体障害者なら身の回りの介助の人がつくのに、発達障害はまだまだ障害としての認識が薄いんだなと思いました。

2003年当時、日本では重度障害の子供のための施設や学校はあるのだけれど、軽い障害の子供のためのカリキュラムがない状態でした。
ちゃんと教育すれば自立もできるようになる力はあるのに、
「このままだと、読み書きも計算も出来ないまま義務教育が終わってしまうのではないか?」という不安にかられました。

2008年2月19日火曜日

転校手続き2(留学準備・手続き4)

最近単調な生活でネタが尽きてきたので、留学の準備やこちらに来て間もない頃の出来事を書いていこうと思います。


怪獣の学校に行った後で、今度は娘の学校に行った。
私達が住んでいる市は、キンダー1年、エレメンタリー(小学校)6年、ミドル(中学校)2年、ハイスクール(高校)4年が義務教育です。

(←娘のミドルスクールの駐車場からの写真)

怪獣の学校で書いた書類とほぼ同じ書類に記入をして、習熟度別の数学のクラスと、選択科目の登録をしました。
選択科目を選べるところは高校の単位の取り方と似ていますが、ミドルスクールではクラスがあって、選択の時間以外はクラスの時間割はみんな一緒。
選択のクラスも、1学期に3つくらいまでで、全教科登録しなくてはならない高校に比べると登録は楽です。

小学校と違って教室移動をしなくてはならないので、校内の地図をもらえないか聞いたのですが、
「地図はかえってややこしいし、慣れてくれば地図なしでも大丈夫」
と、言われてもらえなかった。

怪獣の通っている学校はコの字型の建物で、判りやすかったのだけれど、娘の通っていた学校は8の字型に廊下が繋がっていて、廊下の両サイドに教室が並んでいる。
メインの建物に、体育館や図書館などの建物が隣接していて更に複雑な構造で、まるで迷路のようだった。

2008年2月17日日曜日

転校手続き1(留学準備・手続き3)

最近単調な生活でネタが尽きてきたので、留学の準備やこちらに来て間もない頃の出来事を書いていこうと思います。


私達が8月の下旬にこちらに着いた時には、子供達の新学期が始まっていました。
アメリカは夏休みが長いと聞いていたので、
「日本と同じように9月1日から新学期だろう」
と、思っていたら、学区によって休みの長さが違うようで、私達の住むことになった市では8月20日頃から新学期でした。

「とりあえず、子供達の転校手続きを・・・」
と、思ってヤフーマップで調べた学校の連絡先に電話をしました。

日本から来て、家族寮に住んでいるのだけれど、子供達の転校手続きには何が必要なのかを訊ねたら、
またもや
「わからない」
と言う返事。

娘の学校と怪獣の学校と両方に電話をしたのだけれど、どちらも同じ対応。
私は2度手間になるのが嫌だったので、必要なものは前もって揃えて行きたかったのですが、
こちらでの生活立ち上げのために一緒についてきていた留学経験のある夫が、
「電話では埒があかないから、直接聞きに行こう。」
「アメリカはじかに行きさえすれば、何とかなる」
と、言い出したので、
日本から持ってきた子供の学校関係の書類を持って、地図を頼りに直接学校に行くことになりました。

最初に怪獣の入学予定の学校に行ったら、
住所を知らせると、
「校区が違うから、W小学校へ行って。」
と、言われました。

「校区が違うなら、電話をかけたときに言ってくれればいいのに・・・」

W小学校に行くと、早速沢山の書類を渡されて記入して手続きが始まりました。
案の定、不備の書類があって、書類が揃わないと通学できないので、翌日に持って行くことになりました。
帰る前に、
「他に必要なものはありませんか?」
と、訊ねたら、
「とにかく、足りない書類を持ってきて。」
と言われました。

翌日書類を持っていったら、
「指定の予防接種が済んでいないと、通学できない。」
と、言われ今度は予防接種関係の書類を渡されて、保健センターに行くように言われた。

「どうして、一度に言ってくれないのだろう?」

今日の一言
「アメリカでは電話で用件が伝わらない。手続きは1度に1つづつしか進まない。」

 

2008年2月11日月曜日

医師の診断書と予防接種(留学準備・手続き2)

最近単調な生活でネタが尽きてきたので、留学の準備やこちらに来て間もない頃の出来事を書いていこうと思います。


ビザがおりて留学が確実になったので、大使館の面接が終わってすぐから渡航の準備を始めました。

飛行機のチケットを手配したり、子供たちの学校の転校の書類を調えたり、出発までの1ヵ月半は、目が回る程の忙しさでした。

私の学校では特に予防接種の指定はなかったのですが、インターネットで調べると子供たちがアメリカの学校に通うためには、決まった種類と回数の予防接種が必要なことがわかった。
接種の種類と回数は地域によって違いがあるのだけれど、アメリカのどの地域でも日本の予防接種に比べて種類も回数も多いらしい。

「日本での予防接種の記録がないと、予防接種を受けていないとみなされて、全部の種類の予防接種を受けなくてはならない。」
「日本で予防接種を受けた記録があっても、回数の足りない分は接種しないといけない。」
「日本のように1種類ずつ、期間をあけて受けるのではなくて、1度に何種類も接種される。」
と、言うことだったので、かかりつけの医者に予防接種の記録を(英文で)書いてもらうことにした。

また、怪獣は毎日飲んでいる処方薬があったので、その薬をアメリカに携帯して入国するためには投薬証明が必要だったので、投薬証明と診断書を(これもまた英文で)書いてもらった。

英文の診断書のフォーマットはインターネットで探した。
インターネットで「英文診断書」を検索すると、翻訳サービの業者のサイトが沢山ヒットするけれども、どれも翻訳に1枚5千円以上かかる。
貧乏な我が家はたかが紙切れにそんな大金を払う余裕はないし、翻訳を待っている時間も無い。
やっと探し当てたフォーム集をプリントアウトして医師に持っていった。
フォーム自体はとてもシンプルだったので、
「こんなので、大丈夫かな?」
と、心配にはなったけれど、プリントアウトしたフォームに医師のサインと説明を書いてもらったもので通用したので、経済的にとても助かった。

今日の一言
「留学の際の英文診断書は、業者に頼んで翻訳してもらう必要はない。」

 

2008年2月9日土曜日

子供たちの学校を探す(留学準備・手続き)

最近単調な生活でネタが尽きてきたので、留学の準備やこちらに来て間もない頃の出来事を書いていこうと思います。


(←家族寮のバルコニー。2年前の写真。怪獣がまだ小さい。)

ビザの申請用紙に、
「渡米の目的は何ですか?」
「学校に通いますか?」
「学校の名前は何ですか?」
と言う質問がある。

私の場合は留学する本人なのでI-20(通学許可書)に書かれている通りを書けばいいけれど、子供たちの場合は結果的に現地の公立校に通うことになるけれども、学校に通うのが本来の目的ではないので、記入する時には注意が必要です。

現在アメリカでは、交換留学生や短期自費留学(最大1年間、公立学校でも授業料を取られる)以外の公立高校への留学が認められていません。
公立学校は税金で運営されているため、税金を払わない外国人の子供に無料で教育を受けさせるのを防ぐ為らしいです。
高校生以下の子供だけの留学が難しくなっているので、本当は子供を留学させるのが目的だけれど、親が学生のビザを取って子供を付き添いで連れてくるケースが多いらしく、ビザの面接や書類も本当に親の留学が目的かどうかをかなり厳しくチェックしています。

上記の質問の子供たちの申請用紙の欄には、
「母親に同伴するため」
「はい」
「○○小学校(等)」
と書かなければならないのですが、私がビザを申請した時点では子供たちの通う学校の学区がわかりませんでした。

夫が私の学校のインターナショナル・オフィスに国際電話をかけて聞いてくれたのだけれど、最初はアメリカ人らしく調べもせずに
「わからない」
と言っていたのですが、ビザの申請に必要だからと言うことで粘り強く交渉したら、
「家族寮に住むなら、ここかもしれない」
と、言ってやっといくつかの小学校と中学校の名前を教えてもらいました。

その後、ヤフーマップで学校の名前から場所を確かめて一番寮に近い学校を申請用紙に書き込んで、ビザを取得。

実際に渡米して書き込んだ学校に行ったら、学区外で別の学校に行くように言われたのだけれど、一応ビザが取れたので結果オーライと言うところでしょうか。

 

2007年3月14日水曜日

ビザ取得 4

東京のアメリカ大使館で面接を受けました。
予約時間の、40分に並びはじめて、大使館の中に入ったのは予約時間を30分すぎていました。

建物に入る前に申請書類を係りの人が確認して集めていました。
写真とDS158(職歴の書類)の不備の人が結構いました。

食べ物と電気製品は入り口の所で預け、金属探知機?と手荷物検査を済ませて中に入ってしばらく待ち、名前を呼ばれたらブースに行って指紋をスキャンして、また待合に戻って待ちます。
面接は簡単な会話をして書類に問題がなければ、「ビザを認可しました」と英語で書かれた紙を貰って面接終了です。すごく短いので拍子抜けします。

私の場合は、主婦で子連れ、語学留学という不利な条件だったので、最初の面接ではすぐに許可が下りず、リコールになりました。
二度目に呼び出されたブースの担当者は流暢な日本語を話す白人男性でした。
日本語で、夫の仕事や夫は日本に残るのか?何を勉強しにいくのか?などを聞かれました。
日本語で夫のことや、アメリカの大学院に留学したいが、語学力不足なので、最初は大学の付属の語学スクールに通って勉強することを伝えました。
その後もいくつか質問のやり取りがありましたが、大体は申請書の確認という感じでした。
子供達のビザに関していくつか注意を受けた後、「ビザを出します」と言われました。
一度ビザが却下されると、パスポートに印がついて次にビザを申請しても却下される確率が高くなること、ビザなしでアメリカ入国が難しくなって観光に行くにも不自由することを聞いていたので、一回で取れて本当に良かった。