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2026年3月2日月曜日

娘、ニューヨーク(シティ)観光へ

 2月の中旬に、娘のミドルスクール時代からのお友達のE.RちゃんとE.Rちゃんの妹とE.Rちゃんの従姉妹と娘の女子?4人で5泊6日のニューヨークシティーの観光に行ったそうです。

(↑メトロポリタン美術館:1993年)

 娘の乳児の頃にニューヨークシティーの観光に行ったのですが、当時の記憶は全くなく、今回E.Rちゃんの従姉妹のお友達がメトロポリタン美術館で働いているので、休館日にプライベートツアーをしてくれるというので、娘が乳児の頃に行った時に撮影した写真を送って欲しいとたのまれたので、SMSで送りました。

(↑メトロポリタン美術館:2026年)

 娘がメトロポリタン美術館に行った時に、ほぼ同じアングルから撮影したメトロポリタン美術館の画像を送ってくれました。
 30年以上経っているけれど、変わっていないなぁ…と、思いました。

(↑セント・パトリック大聖堂:1993年)

(↑セント・パトリック大聖堂:2026年)

 セント・パトリック大聖堂の画像も送ってもらったのですが、こちらもあまり変わっていなくて懐かしくなりました。

(↑ロックフェラー・センター)

(↑セントラルパーク)

(↑5thアベニュー)

 メトロポリタン美術館以外の画像もいくつか送ってくれたのですが、あちらこちら回って楽しめたようです。

おまけ:

 Liberty Bagels

(↑Liberty Bagels の店内)

(↑左:リバティ、中はストロベリークリームチーズ味
右:ドバイチョコレート味)

一蘭

(↑一蘭のラーメン、お値段は25ドル)

任天堂ストアー

(↑ポケモン『シャリタツ』のぬいぐるみ)

(↑自由の女神ピカチュウ お値段は30ドル)

(↑右手に持っている松明がポケモンの『ヒトモシ』、左手に持っている板にはポケモンの『アンノーン』が描かれている)

 任天堂ストアーで売られていた自由の女神ピカチュウは右手にポケモンの『ヒトモシ』、本物の自由の女神の左手は独立記念日が刻まれた板をもっているのですが、代わりにポケモンの『アンノーン』が書かれていて、芸が細かいです。
(ちなみに、書かれている『アンノーン』は左上:U、左下:N、中上:?、中下:O、右上:A、右下:V、です。アナグラムで並べ変えれば意味のある言葉になるのか、不明)

ブロードウェイ

(↑左:『ハリー・ポッターと呪いの子』のチケット
右:トム・フェルトンの直筆サイン)

 今回の娘たちの旅行の1番の目的はブロードウェイで『ハリー・ポッターと呪いの子』を観劇することでした。
ドラコ・マルフォイ役を映画版でドラコを演じたトム・フェルトンが演じると言う事で見に行く事になったそうです。

 公演後の出待ちの動画も送ってもらったのですが、娘ではなくて友人のE.Rちゃんが撮影したものだったのでブログにUPできなくて残念です。

※2026年のNY観光の画像は娘が撮影したもので、娘の許可を貰ってUPしています。

 

 

2025年7月28日月曜日

70年代の西表島観光?

 6月の半ばからゴタゴタが続いていてブログ記事を書くことが出来ずにいます。

(↑2001年、マリユドゥの滝?)

 今回の記事もニコッとタウンの日記に書いたものをほぼ転載しています。

 ニコッとタウンの7月21~27日の週のお題は『子供の頃の不思議な記憶は?』で、1970年代に西表島に行った時の事を書きました。

 残念ながら手元に70年代当時の写真がなかったので、この記事には2001年と2018年に西表観光した時の画像を使っています。

(↑2018年、仲間川のマングローブ)

 不思議な記憶とはちょっと違うかもしれないのだけれど…

 私が未就学児だった頃(1970年代)に、沖縄の西表島に観光?に行った時の記憶が今も鮮明に残っています。

 当時は沖縄が復帰したばかりの頃で、今のようにメジャーな観光地でなく、特に西表島は観光客も少なくてまさに秘境の島と言う感じでした。

 西表島に行く事になったのは、母方の祖父が軍事教練の一環として海軍に配属された時に仲良くなった人の家族が西表島で旅館を経営していて、その戦友?から祖父に旅館に泊まりに来ないかとお誘いがあり、祖父が私の家族にも声をかけて、祖父と私の家族で行く事に…

  西表島には羽田空港から那覇空港へ(機材はB747?)飛び、那覇空港から石垣空港(旧石垣空港)へ(機材はYS11だったと記憶しています)、石垣島の離島桟橋から船で約2時間で西表島の大原港へと言う経路でした。
 羽田から西表島へ当日につく事が出来ず、石垣島で1泊して翌日西表島へ向かった記憶があります。

 石垣の離島桟橋から西表の大原港への船での移動中の景色も素晴らしく、透明度の高い明るい海で水底や海底のサンゴや海藻や魚の群れまで見えて、私は普段は船酔いするのですが、海や景色を眺めているうちに西表についてしまいました。

 当時の西表島は舗装された道路もなくて、島の大きな2つの集落を行き来するには船が使われていました。
 島全体がジャングルと言う感じで、祖父の友人の家族が経営する旅館も見晴らしのいい場所に建っているものの、見渡す限り周りはジャングルで、客室は畳の部屋でクーラーなどもなく、アルミサッシもなく窓?をあけ放って蚊帳をつって扇風機で寝ました。
(蚊帳を見た事のなかった私は蚊帳の中で寝るのがワクワクしすぎて中々寝付けなかったです。)

 西表島入りの翌日、島の観光と仲間川をさかのぼるツアーに行ったのですが、道路が舗装されていない+大型のバスを運べるような船の入れる港もなかったのか、観光バスなどなくアメリカ軍の払い下げのトラックの荷台にベンチを2つ固定したもの(多分ベトナム戦争の時に兵士の輸送に使われていた?)に乗って観光。

 正にジャングルツアー(映画『ジュマンジ―2』の世界)と言う感じで、仲間川をさかのぼるツアーはリアルジャングルクルーズ、観光と言うよりは探検か冒険といった方がピッタリの旅行でした。

(↑2018年、サキシマスオウの木)

  2001年に娘と怪獣と夫と私の4人で西表島に再度訪れたのですが、観光地として整備されていて70年代当時の面影はなくなっていました。
でも、それなりに秘境っぽい感じを味わえて、私以外に一緒にツアーに参加した人たちは自然を満喫したり、驚いていたりしていたのですが、私は70年代の西表島の様子から随分変わってしまっていて、「あの70年代のジャングルだらけの西表島は夢だったんじゃないか?」と不思議な気分になりました。

 

 

2024年9月4日水曜日

ミズーリ州へドライブ旅行7ートルーマン・ホーム&その他ー


 Nationai Frontier Trails Museumから徒歩で歩いて行ける所に第33代大統領ハリー・S・トルーマンが住んでいた住宅があったので、Nationai Frontier Trails Museumを観た後に歩いて見に行きました。

 ハリー・S・トルーマンは1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルトの死去に伴って副大統領から大統領に昇格した。
 ミズーリ―州の別の町の出身で、6歳の頃にインデペンデンスに両親とともに引っ越してきたそうです。

 トルーマン・ホームはトルーマンの奥さんベスの実家で、1919年に結婚してからミズーリ―の家として亡くなるまで使われていたそうです。

 内部のツアーもあったのですが、私たちが訪れた時には開館時間が終わっていて門が閉まっていました。
 開館時間は水曜日~日曜日の午前9時~午後5時で、ツアーのチケットは別の場所にあるビジターセンターで販売されているそうです。

 トルーマン・ホームの外観を撮影した後は、ウォルマート(大型スーパー)へ寄ってご当地Tシャツを買って帰路につくことにしました。

 帰路は往路と別のルートで帰ったのですが、往路と比べるとより田舎を通っているハイウエイだったので、ミズーリ―州内ではガソリンスタンドのあるような町が周辺になく、「ガス欠したらどうしよう…?」と、(怪獣の運転&私が助手席の組み合わせで)冷や冷やしながら走りました。
 かなり南のルートだったようで、ミシシッピ川を越えてイリノイ州に入る直前に別の州を2分くらい走りました。
別の州に入った瞬間スマホで案内板を撮影したのですが、深夜だったためぶれていてどの州だったか分からず仕舞いでした。

 私の運転に変わってイリノイ州で3時間くらい仮眠した後、インディアナ州で給油して運転を夫に代わって自宅へ向かいました。

 アメリカの北部の高緯度地域の州は、冬は地面が凍結するため夏の間に大規模な道路の修理&工事をします。
 今回のドライブ旅行でもハイウエイのあちらこちらが工事をしていて、車線が減少していました。
 我が家は主に夜間のドライブだったので、渋滞に巻き込まれる事はなかったのですが、昼間で市街地に近い所は渋滞していたかもしれないです。

 今回はカンサスシティとインデペンデンスの2つの市を訪問しましたが、1泊4日の駆け足でのドライブ旅行だったので、行きたかった観光地の全てを観光することは出来ませんでした。

 ミズーリ―州はルート66も通っていたので、次回(があれば)是非ルート66関連の観光地も訪れたいし、ミズーリー風BBQも食べてみたいです。

 

おまけ:

(↑左:ミズーリ―州の長袖Tシャツ、右:イリノイ大学の半袖Tシャツ)

 夫は旅行に行った時にご当地Tシャツとキャップを集めるのが趣味で、今回の旅行でもミズーリ―州とイリノイ州のご当地Tシャツを買いました。
 キャップは気に入ったデザインの物がなかったので買わなかったようです。
 インディアナ州も通ったのですが、大型スーパーに寄らなかったので買えませんでした。

(←マグネットとネックレス)

 私は観光地のマグネットを集めて冷蔵庫に貼るのが趣味で、今回はWWⅠミュージアムとNationai Frontier Trails Museumでマグネットを買いました。
 シルバーネックレスはデザインが気に入ってNationai Frontier Trails Museumで買いました。
ドリームキャッチャー風のデザインだったのですが、値札に「これはインディアンが作ったものでも法律で指定されたインディアン製品ではありません」の注意書きが書かれていました。

 

2024年9月2日月曜日

ミズーリ州へドライブ旅行6ーNationai Frontier Trails Museumー


 Chicago & Alton Depo Museumで、インデペンデンス市内の観光マップを貰ったので、今度はそれを頼りにNational Frontier Trails Museumへ向かいました。

 ミュージアムのあるミズーリ―州インデペンデンスは、開拓者が西部へと向かう『サンタフェ・トレイル』『カリフォルニア・トレイル』『オレゴン・トレイル』の3つのトレイルのスタート地点や分岐点になっていて、Nationai Frontier Trails Museumは上記の3つのトレイルと『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』『モルモン・パイオニア・トレイル』の2つのトレイルを加えた5つのトレイルについて展示されています。

 

 

 

 

ルイス・アンド・クラーク・トレイル 

(↑ルイス・アンド・クラーク・トレイルの展示)

 5つのトレイルの中で最も古いのは『ルイス・アンド・クラーク・トレイル』です。
 1803年にルイジアナ・パーチェスでフランスから210万平方キロメートルの広大な土地をアメリカ合衆国が買い取った事で、西海岸への開拓に関心が集まり、当時の大統領トーマス・ジェファーソンの命で、1804年~1805年に西部への探検隊(ルイス・アンド・クラーク探検隊)が送られました。
 その探検の時に通ったルートが『ルイス・クラーク・トレイル』です。
 以前の記事に、ルイス&クラークの探検を記念した5セント硬貨について書いたことがありますが、この探検には途中からネイティブアメリカン(アメリカンインディアン)の女性サカジャウィアが同行し、彼女は映画『ナイトミュージアム』シリーズ1~3にもサブキャラクターで出てくるくらい有名な女性です。

(↑ミズーリ―州道210線、ルイス・アンド・クラークトレイルの一部で、道路標示にもその旨が表示されている)

サンタフェ・トレイル

 サンタフェ・トレイルはミズーリ―州からカンサス州、コロラド州を経てニューメキシコ州に至るトレイル。
起点はフランクリン(ミズーリ―州)終点はサンタフェ(ニューメキシコ州)

カルフォルニア・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、(コロラド州、)ワイオミング州、ユタ州、アイダホ州、ネバダ州、を経てカリフォルニア州に至るルート。
 主要なルートの周りに派生した数多くのルートがある、アイダホ州でオレゴントレイルと分岐する。モルモン・トレイルともルートが重なる部分がある。

オレゴン・トレイル

 インデペンデンス(ミズーリ―州)から、カンサス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州、を経てオレゴン州に至るルート。

(←牛に荷車を牽かせるための頸木)

 

 

 

 

 

モルモン・パイオニア・トレイル

 イリノイ州ノーブーから、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州を経てユタ州ソルトレイクシティまでのルート。
 オレゴントレイルとネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州とルートの一部を共有している。
 また、ミズーリ―州インデペンデンスからオレゴン・トレイルを通ってユタ州まで至るルートもある。

(↑左:当時の荷車と現代のワゴン車の比較
右:当時、一般的に『荷車に積まれていた物』のリスト、
画像クリックで拡大画像へ)

(← 一つ上の『荷車に積まれていた物リスト』にしたがって、棚のなかから荷物を水色の荷車に積み込むゲーム)

 ミュージアムは初めに15分くらいのビデオを観た後に、展示をみる順番になっていますが、展示の部屋は自由に行き来できるようになっていました。

 ミュージアムの入場料は無料ですが、任意で寄付することができます。

 建物内にはミュージアムショップもあって、お土産を買う事も出来ました。

 

 

余談:

 ミズーリ―州インデペンデンスと東京都の東村山市は姉妹都市らしく、Nationai Frontier Trails Museumのある建物の一角に東村山市から贈られてきたものが飾られていました。

 こんな所で日本に出会えるとは~と、飾られているキャビネットを思わず撮影してしまいました。

2024年8月31日土曜日

ミズーリ州へドライブ旅行5ーChicago&Alton Depo Museum-

 スマホの地図アプリにNationai Frontier Trails Museumをセットして向かったのだけれど、目的地に到着しても駐車場がガラガラで、建物が開いている気配もないし看板もない。

 地図アプリで再検索しても同じ場所しか表示されずに、建物の周りを怪獣とウロウロしていたら、同じ敷地内にある古い駅をリノベーションした建物から年配の男性が出てきたので、Nationai Frontier Trails Museumを探してると伝えたら、引っ越したことを告げられました。

 引っ越し先への行き方を教えてくれたのですが、「もしよかったら駅も観て行かない?案内するよ。」と、誘われました。
 料金をきいたら、「寄付だからいくらでもいいよ。私の案内が気に入らなかったらゼロでもOKだよ。」と、言う事だったので、夫も呼んで建物を案内してもらう事にしました。

(↑Chicago & Alton Railroad の路線図と沿線にあった駅の写真)

 案内してもらった駅舎はChicago & Alton 路線のIndepenndence駅舎だった建物だそうで、元々は3㎞離れた所にあったそうですが、現在の位置に移設して来たと言う事です。
 移設された当時は建物はボロボロで屋根は一部落ちて柱と壁の一部が残った状態のものを、現在の状態に復元工事をしたそうです。
 復元工事は外装に2年、内装に5年かかったそうです。


(←駅の待合室
ベンチについているひじ掛け状の金属は、ベンチでの寝そべり防止のためだそうです)

 この駅は1階が駅、2階が駅の管理者と家族の住居になっていたそうで、管理者は駅の管理と通信士の二足の草鞋で生計を立てていたそうです。

 Chicago&Alton lailroadの駅舎の建物の内部は古い信号機などの鉄道関連の道具やトランクや、古い列車のプラモデルなどが展示されていて、ガイドツアーではこの路線を使用した有名人などの話もきけて興味深かったです。

(←チケット売り場。手前の鐘は蒸気機関車についていたものを取り外して展示したもの)

 有名人の話の中で最も印象に残ったのは、リンカーン大統領の特別客車の話でした。
 リンカーン大統領は青年時時代から大統領になるまでイリノイ州で過ごしていて、Chicago & Alton Lailroadとも所縁が深かったので、リンカーン大統領専用の特別客車を制作していましたが、使われる前に大統領が暗殺されてしまい、大統領の死後リンカーンの棺を載せてイリノイ州のスプリングフィールドへ運ぶための霊柩車として使われたそうです。

 最後に訪問者のリストに名前を書いて、怪獣が持っていたありったけの現金(多分8ドルくらい?私たちはカードしか持ってなかった)を寄付の入れ物に入れてツアーは終了。

 その後、Nationai Frontier Trails Museumの行き方や、市内の他の観光スポットの地図を渡してくれて軽い説明もしてもらえて、とても親切なガイドさんでした。

 

2024年8月29日木曜日

ミズーリ州へドライブ旅行4-マネーミュージアムー

 マネー・ミュージアムはFederal Reserve Bank of Kansas City(カンサスシティ連邦準備銀行)の一角にあるお金に関する小さなミュージアムで、WWⅠミュージアムから徒歩5分くらいの場所にあります。

(↑入口を入った所にある看板)

 入場料は無料ですが、入り口に警官が常駐していて、運転免許証の裏の2次元コードをスキャナーで読み取って、空港の保安検査のような身体検査と手荷物をX線で検査してやっと入場できました。

 館内に入場すると、ハリー・S・トルーマンのコインのコレクションから展示がスタートします。
 ここの展示も特に順番は決められていないので、展示の間を行ったり来たりして見て回る事が出来ます。


(←偽札と本物を見分け方のコーナー)

 お金や経済に関する展示や図やグラフなどが展示されていて、面白いと思ったのは偽札の見分け方のコーナーでした。

(←左:偽物で透かしがない。
右:本物で点線で囲った部分に人の顔の透かしが入っている)

 偽造防止のために色々仕掛けがされていて興味深かったです。

(←金塊を持ち上げる体験の出来るコーナー)

 金塊を持ち上げる体験の出来るコーナーもあって、金属の持ち手の付いている透明なプラスチックの箱に入った金塊を、ショーケースに空いた穴から腕を入れて持ち上げられるようになっていました。

 怪獣が挑戦してみたけれどびくとも動かず、
傍で観ていた夫が、「この金塊の入った箱、接着剤でとめられてるんじゃない?」と、言っていましたが、持ち上げる事は出来なくても、前後左右に揺するとカタカタと音がして動くので、接着剤でとめられているのではない事は分かりました。

(↑左:持ち上げる前、右:2cmくらい持ち上がったところ)

 夫が挑戦すると、2cmくらい持ち上げることが出来ました。

 金塊にはOZS389.27と書いてあって、多分11キロくらいなのかなぁ…
 金は相場が変動するのですが、展示されている金塊は高値だと80万ドル(1億2千万円くらい?)相当の価値らしいです。

 展示場の一角からは、ガラス越しにお札を保管しておく倉庫とお札をまとめてプラスチックのコンテナに積める作業をしている部屋を観ることが出来るのですが、写真撮影は禁止されていました。

(←水色の矢印の先の廊下の突き当りがお札の保管庫)

(←展示の一つのゲーム画面で表示されたお札の保管庫の絵、雰囲気は似ているけれど実物とは少し違う。)

 お札の保管庫は←の絵のような天井まで届く棚が何列もあって、お札の入ったコンテナをロボットのフォークリフトが積み上げ作業をしていました。
 お札を束ねてコンテナに入れる作業は人間が二人組でやっていました。

 コンテナに入って、フォークリフトで持ち上げられているお札は、あまりに量が多すぎて、ただの紙にしか見えなくて、だんだん古紙回収の倉庫の様に見えてきました。

 マネーミュージアムを一通り見学して、今回の旅行の目的のNational Frontier Trails Musiumへ向かいました。

 

2024年8月27日火曜日

ミズーリ州へドライブ旅行3ーWWⅠミュージアムー

 カンサスシティーで宿泊した翌16日、折角だから市内の観光施設を観てからNationai Frontier Trails Museumに行く事にしました。
 ホテル近くの観光施設で評判が良かったのがナショナル・WWⅠ・ミュージアムだったので行ってみることにしました。

(↑WWⅠミュージアムの建物)

 WWⅠミュージアムは第一次世界大戦を記念して作られて1926年にオープンした施設で、カンサスシティのダウンタウンの近くにあって、周囲は記念公園のようになっていました。

 開館時間は夏季は午前10時から午後5時
 入場料は大人:19.50ドル、シニア(65歳以上):15.50ドル、軍人と扶養家族:15.50ドル、子ども6~15歳:11.50ドル、5歳以下:無料(2024年8月現在)でした。

 入場チケットを買う時に、「入場チケットに3ドルプラスでタワーに登れますがどうですか?」ときかれたので、タワーに登る料金も合わせて払いました。
 タワー料金つきのチケットを買うと、「朝の涼しいうちに先にタワーに登ってから、後で展示を見た方がいいですよ(午後は物凄く暑くなりますから)」と、教えてくれました。

タワー:

(↑アッパーレベルから見たタワー)

 チケットの係のアドバイスに従ってタワーに登るためにアッパーレベルにエレベーターでのぼりました。

 アッパーレベルは屋上広場になっていて、入館チケットだけで出入りできますが、タワーの入り口では係の人がチケットをチェックしていて、ある一定の人数が集まるとタワーに登るエレベーターを動かすようす。
(私たちが登った時は7人でエレベーターに乗りました)

(↑左:エレベーター、右:エレベーターを降りてタワーの展望スペースにつながる螺旋階段)

 タワーの中にあるエレベーターは1基で、大人が10人くらい乗れる大きさの小さなエレベーターでした。
 エレベーターの内扉は格子の蛇腹式で、中でエレベーターのオペレーターが開け閉めしてくれていました。

 エレベーターを降りると灯台の内部のような螺旋階段が続いていて、それを登りきるとタワーの展望スペースに出ることができ、カンサスシティを一望できました。

(↑タワーの展望スペースからの眺め)

 古い建物なので、展望スペースも人がやっとすれ違う事の出来る広さの通路しかなかったです。

 

展示フロア:

 タワーを観た後は展示フロアに降りて展示を回りました。

(↑塹壕の再現展示
左:フランス軍の塹壕、中:イギリス軍の塹壕、右:ドイツ軍の塹壕)

(↑左:バイプレーン飛行機、右:タンク)

(↑左:ハーレーダビッドソンのバイク、右:医療用車両)

(↑左:携帯電話?、右:医療器具)

 展示は充実していて、展示の最初に導入の映画があって、展示を観て、最後にエンディングの映画を観る流れになっていましたが、どの順番で観ても自由でした。順番通りに見た方が分かりやすい展示になってはいました。