6月の半ばからゴタゴタが続いていてブログ記事を書くことが出来ずにいます。
(↑2001年、マリユドゥの滝?)
今回の記事もニコッとタウンの日記に書いたものをほぼ転載しています。
ニコッとタウンの7月21~27日の週のお題は『子供の頃の不思議な記憶は?』で、1970年代に西表島に行った時の事を書きました。
残念ながら手元に70年代当時の写真がなかったので、この記事には2001年と2018年に西表観光した時の画像を使っています。
(↑2018年、仲間川のマングローブ)
不思議な記憶とはちょっと違うかもしれないのだけれど…
私が未就学児だった頃(1970年代)に、沖縄の西表島に観光?に行った時の記憶が今も鮮明に残っています。
当時は沖縄が復帰したばかりの頃で、今のようにメジャーな観光地でなく、特に西表島は観光客も少なくてまさに秘境の島と言う感じでした。
西表島に行く事になったのは、母方の祖父が軍事教練の一環として海軍に配属された時に仲良くなった人の家族が西表島で旅館を経営していて、その戦友?から祖父に旅館に泊まりに来ないかとお誘いがあり、祖父が私の家族にも声をかけて、祖父と私の家族で行く事に…
西表島には羽田空港から那覇空港へ(機材はB747?)飛び、那覇空港から石垣空港(旧石垣空港)へ(機材はYS11だったと記憶しています)、石垣島の離島桟橋から船で約2時間で西表島の大原港へと言う経路でした。
羽田から西表島へ当日につく事が出来ず、石垣島で1泊して翌日西表島へ向かった記憶があります。
石垣の離島桟橋から西表の大原港への船での移動中の景色も素晴らしく、透明度の高い明るい海で水底や海底のサンゴや海藻や魚の群れまで見えて、私は普段は船酔いするのですが、海や景色を眺めているうちに西表についてしまいました。
当時の西表島は舗装された道路もなくて、島の大きな2つの集落を行き来するには船が使われていました。
島全体がジャングルと言う感じで、祖父の友人の家族が経営する旅館も見晴らしのいい場所に建っているものの、見渡す限り周りはジャングルで、客室は畳の部屋でクーラーなどもなく、アルミサッシもなく窓?をあけ放って蚊帳をつって扇風機で寝ました。
(蚊帳を見た事のなかった私は蚊帳の中で寝るのがワクワクしすぎて中々寝付けなかったです。)
西表島入りの翌日、島の観光と仲間川をさかのぼるツアーに行ったのですが、道路が舗装されていない+大型のバスを運べるような船の入れる港もなかったのか、観光バスなどなくアメリカ軍の払い下げのトラックの荷台にベンチを2つ固定したもの(多分ベトナム戦争の時に兵士の輸送に使われていた?)に乗って観光。
正にジャングルツアー(映画『ジュマンジ―2』の世界)と言う感じで、仲間川をさかのぼるツアーはリアルジャングルクルーズ、観光と言うよりは探検か冒険といった方がピッタリの旅行でした。
(↑2018年、サキシマスオウの木)
2001年に娘と怪獣と夫と私の4人で西表島に再度訪れたのですが、観光地として整備されていて70年代当時の面影はなくなっていました。
でも、それなりに秘境っぽい感じを味わえて、私以外に一緒にツアーに参加した人たちは自然を満喫したり、驚いていたりしていたのですが、私は70年代の西表島の様子から随分変わってしまっていて、「あの70年代のジャングルだらけの西表島は夢だったんじゃないか?」と不思議な気分になりました。
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