2015年8月19日水曜日

日米の公平の考え方の違い


 小学3年で渡米して、今年無事ハイスクールを卒業した発達障害を持つ怪獣の10年間を振り返って思う事は、
「あっという間だったなぁ…」
という事と、
「学校のIEPのみで、特に療育や訓練には通わずに何とかなっちゃったなぁ…」
という事です。

 就学前、日本で通っていた公立の療育施設の所長さんに、
「この子は(底辺校や実業高校だったとしても)高校進学は無理でしょう。
せいぜい行けたとしても、高等養護学校(当時はそう呼ばれていた)でしょう。」
と、断言されていたのに、高校卒業のディプロマ(証書)※が取得出来てしまいました。

 アメリカではハイスクールまで義務教育で、日本の様に受験はないし、障害を持った子どももよっぽど重度の子でない限り、普通の子の通う高校に通うという制度上の違いが大きく影響している事は確かだと思います。
 おそらく、日本だったら上記の所長さんが言うように、受験や面接で篩いにかけられて、高校入学も難しかったでしょう。

 日米の教育の最も大きな違いは、平等・公平についての考え方の違いから来ていると思います。

 日本では、平等・公平というと、一律に同じ待遇や同じ扱いを受けること(同一の条件)だと考えます。
 例えば、能力の差があっても、同じ教え方や同じ指導法でなければ公平ではない。
標準的な能力から外れた子に、教師が特別に時間をさいたり、便宜をはかるのは平等じゃないと考えます。

 アメリカでは、平等・公平とは同じ機会(可能性)が与えられることだと考えます。
 例えば、怪獣は言語の発達に遅れがあって、標準的な子と比べると読むスピードが遅いし、文章理解が苦手です。
 普通の子と同じテスト時間だと、どう頑張っても満点を取ることは不可能です。
 けれども、授業の内容自体は理解できているので、時間を延長してもらえば、満点を取ることは可能になって来ます。
 満点の取れる可能性を平等にするために、怪獣のテストの時間は1.5倍に延長されていました。

 怪獣の数学の偏差値は76。
一見数学のテストには時間の延長はいらないようにも思えますが、数学は文章題が多い(アメリカは計算機の使用が認められているので、単純な計算問題は殆どない)ので、テストの時間は延長されていました。

 クラスでも上位の成績の子にさらに時間延長なんて、日本だったら「狡い~」と文句が出そうですが、アメリカではハンディがあって便宜を図ってもらっている人に対して文句を言う子もいないし、白い目で見ることもないです。
 誰もが公平に機会を与えられるので、クラスメイトと競い合う必要はないからです。

 アメリカの中学や高校は単位制で1人1人が自分で時間割を組むようになっています。
おまけに習熟度別のクラスなので、自分に合ったレベルのクラスを選らんでちゃんと努力をすればいい成績が取れるようになっています。
(偏差値はクラスの成績とは別の学力判定テストで算定されます。)

 普通とか標準の範疇に収まるなら、日本式の「一律同一条件」の平等・公平でも問題はないのだろうけれど、うちの怪獣は所謂標準には当てはまらない。
 標準に収まらないタイプの人にとっては、アメリカ式「機会の平等」の方が生活しやすいように思います。

●画像はボストンのフリーダム・トレイルの写真です

 

 

※高校卒業のディプロマ(証書)

 アメリカの高卒の証明にはディプロマ(diploma)とサーティフィケイト(certificate of completion)の2種類があります。
 普通に高校に通って必要な単位を取って卒業すると、ディプロマが発行されます。
サーティフィケイトは高校の修了証明書で、州によって取得の要件が違います。

 ディプロマとサーティフィケイトの最も大きな違いは、ディプロマは全ての雇用先や大学や短大で受け入れられるが、サーティフィケイトを高校卒業として認めない雇用先や大学もあることです。
 

 

 

14 件のコメント:

  1. アールグレイ2024年11月2日 22:54

    その公平性への考え方の差で、海外の方が合う人が少なくない気はいたしますね。
    その分、国へ対する負ぶさり感というか、国に認めてもらうための義務がずいぶん変わってくる気もいたしますが。
     
    機会の公平と、待遇の公平。この価値観の差は遊牧狩猟民族と定住農耕民族の差ではないかと、ニュース等を見るに付け思います。
     
    なんであれ、怪獣君や娘さん、なによりyuukiさん、旦那さんが笑って過ごせる日常であることが一番です。

    投稿: アールグレイ | 2015年8月19日 (水) 08時53分

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    1. >アールグレイさん
       訪問&コメントありがとう~
       ハンディがあってできないのか、それとも努力不足なのかは学校側が調べることになっていて、学校のカウンセラーや臨床心理士がいて、テストなどは無料で受けられます。
       その結果、配慮や支援が必要と分かった場合は、学校のIEPで対応してくれるようになっています。
      学校にいる専門家が対応してくれるので、親の負担は日本と比べると少ないです。
       何よりも、周りが特別な配慮を受けていることに否定的でないのが助かります。
      日本だと「狡い」とか「可哀想」という目で見られることが多くて…

      投稿: yuuki | 2015年8月22日 (土) 02時45分

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  2. 昔に比べ画一的な教育制度では
    カバーしきれないことの多さが
    一般的にも目に見えるようになった今
    機会の平等はとても大切なことのように思います

    国によって制度に差があるのは
    当然ですが
    良いものは取り入れる
    そんな国になるように
    国民一人一人が自覚できる国になりたいですね

    投稿: Lino | 2015年8月19日 (水) 10時00分

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    1. >Linoさん
       訪問&コメントどうもです~
       日本にアメリカ式の制度を導入しても、社会の価値観がアメリカとは違うので、現場の人たち(先生や生徒)に目的が正確に理解されるかが問題になってくるように思います。
       制度は導入しても、社会的に機能しないのではないかという心配があります。

      投稿: yuuki | 2015年8月22日 (土) 02時45分

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  3. 待遇の平等と、機会の平等
    飛躍しているかもしれませんが、創造性の豊かな人が育つのは、機会の平等が寄与しているのかもと感じました。
    機会の平等、いい言葉ですね。

    投稿: あのこら | 2015年8月19日 (水) 23時23分

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    1. >あのこらさん
       訪問&コメントありがとうございます。
       機会の公平のお蔭で、不必要な劣等感を抱かずに済むところが、能力の凸凹のある人にとっては救いなのではないかと思います。 

      投稿: yuuki | 2015年8月22日 (土) 02時45分

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  4. はじめまして。
    満点の取れる可能性を平等にするためにテストの時間を1.5倍に延長するのは、健常者のエゴのように感じます。
     昔はADHDとかASとかオシャレな名前はなかったので落ち着きのない子、乱暴な子、ボーとしてる子だったのですが、健常者の価値観による平均点はとれないとしても排除されることはなかったように思います。
     そして、仕事を選べば健常者以上の能力を発揮できる分野があり、気がつけば30年仕事をしています。
     健常者の価値観が絶対的な価値観ではないので、「健常者の価値観による機会均等」などクソくらえで良いようなきがします。

    投稿: Yoshi | 2015年8月20日 (木) 02時19分

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    1. >Yoshiさん
       初めまして。
      訪問&コメントありがとうございます。
       3日に1度しかブログを更新しないので、すぐにお返事できなくてすみません。
       日本の「機会」と英語の「Chance」は完全にイーコールじゃないので、この記事を書く時にどう表現しようか迷いました。
      文化の違いや価値観の違いは、言葉では上手く説明できない部分が多々あります。
       テストの時間の延長などの配慮は、日本で受けるお情け的な配慮のような、上から目線の配慮ではないです。
      社会の仕組みの違いというか…
      アメリカは日本以上に学歴社会なので、就職活動の時に、仕事をする能力はあるのに、ハンディがあるために健常者と同じ条件だと学業成績が悪くて採用試験すらも受けられないという事態を避けるためなのではないかと思います。

      投稿: yuuki | 2015年8月22日 (土) 02時45分

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  5. アメリカと日本の教育の違いは「公平」と「平等」だと思います。
    長男(高3)は中学までは国の特別支援制度もあり何とか過ごせましたが、高校入学後すぐのカウンセリングで面談内容が校外に漏洩してから教師不信になり荒れまくってます(泣)。評定も悪く数学は単位保留が1つあります。追試でも落とされ補習後の再追試でも「字が汚いから落とした」と言われました。
    追試も再追試も「平等に」行われ、時間・問題数も数学が苦手ではない生徒と同じなので、他の単位保留(評定は悪くない)者も殆どが取得出来ません。
    学校側は苦手だからテストが出来ないって分かっているのに「平等」に拘っていて、1-2年時の追試を受け続けている生徒が累計(一人で3つ落としている生徒を「3」と数えると)で学年の三分の一。
    単位取得を厳しくするのなら、救済制度もシッカリして「公平な」機会を作って欲しいです。

    投稿: 梓 | 2015年8月22日 (土) 20時24分

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    1. >梓さん

      訪問&コメントありがとうございます。

      日本は中学校までが義務教育なので、その後の支援がどうなるかは難しいですね。
      自治体次第という事でしょうか…

      こちらも、義務教育が終わったら後は「個人で何とかしてください」って感じです。
      今、短大の手続きをしているのですが、義務教育と違って全部個人で手配しなければならないので大変です。
      お金はかかりませんが、配慮を受けるためには手続きやら何やらが大変です。
      (義務教育の時の様に、発達検査のようなことも学校ではしてくれないし…)

      アメリカでは、高校の英語、数学、科学、社会のクラスは習熟度別ですが、レベルの高いクラスとそうでないクラスの科目名が違うので、履修した科目名で大体の偏差値の見当がつくようになっていて、同じ成績でもレベルの高いクラスの方が、競争率の高い大学を受験したり、奨学金をもらう時などには有利になります。

      日本は習熟度別にしても科目名が同じケースが多いので、習熟度別にするとレベルの高い子にとっては不公平感があると思います。

      投稿: yuuki | 2015年8月25日 (火) 05時38分

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    2. >yuukiさん
      長男の高校でも 英・数・国が習熟度別になります。…が試験問題・時間とも「平等に」同じで「評定で差を出す」方式です。
      テストで満点でも授業態度や提出物が良くないため減点され「5段階評価の2」という生徒やテストはギリギリでも授業態度・提出物加点で「4」に上がる生徒もいます。
      他校は本試験は平等でも、苦手で追試を繰り返す生徒にはレポートや教科書持ち込みの追試などの「救済制度」がありますが、長男の高校は「救済制度禁止」の雰囲気が物凄いです。
      今年度 他校から転任して来た教師が「この高校は単位保留者に厳し過ぎる。苦手克服の機会を与えずに追試を繰り返し、ペナルティを課して再追試。生徒は負担ばかりが増大していつまでも苦手克服が出来ない。」と言っていました。

      投稿: 梓 | 2015年8月25日 (火) 14時10分

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    3. >梓さん

      アメリカでも提出物や出席などの評価は厳しいですよ。
      テストの成績は最大で50%しか比率がないですから、遅刻や欠席が多いと成績は下がるし、提出物も期限が過ぎたら受け取らない先生も沢山います。
      なので、提出期限の時に課題が完全に終わっていなくても、0点よりはマシと中途半端なままでも提出します。

      投稿: yuuki | 2015年8月28日 (金) 04時17分

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    4. >yuukiさん
      アメリカも提出物は厳しいんですね。でも未完成でも加点が有れば頑張ろう!という気持ちになれますよ。
      長男の学校は提出物が厳しい上に丁寧じゃない場合は加点がゼロという場合もあり、長男はいつもゼロ。…空間認識力が弱いので、全体的に乱雑で読み辛いんです。
      「空間認識力が弱い」というハンディは一切考慮されません。
      苦手な科目だから提出物を頑張って出しても加点ナシ。試験も「字が汚いから」と減点されていたら、いつまで頑張っても単位取得は不可能な気がします(泣)。

      投稿: 梓 | 2015年8月28日 (金) 16時44分

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    5. >梓さん

      こんにちは~
      再コメントありがとうございます。

      アメリカもワープロ(タイプライター)を使わない場合は、提出物はペン書きで筆記体と言うのがルールのようです。
      今はほぼ100%ワープロを使うので、筆記体の書けない子ばかりです。
      手書きのブロック体も、全部大文字ばかりの人も多いですし、アメリカではワープロ必需品です。

      投稿: yuuki | 2015年8月31日 (月) 02時49分

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