2016年2月27日土曜日

話がかみ合わない


 と暮らしていて最も困るのは、話がかみ合わない時である。

「男女の違いがあるので、話が合う方が稀で、話がかみ合わない夫婦なんて山のようにいるだろう。」
と、思われるかもしれないが、うちの場合のかみ合わなさは度を越えているように思う。

 例えばこの間、記録の分類の事で下らない口論になったのだが…

 知り合いが、自分の曾祖母の叔母に当たる人(故人)の情報を、地方紙の古い記事(アーカイブ)から見つけたという話から、記録の種類の話になって、

 夫は、出生や死亡や結婚や政府の役職に就いた日付など、個人に関わる情報の載っているものは全て、プライベートな記録だと言い、
私は、日記や手紙や写真など本人か近い家族が記録したものをプライベートな記録というのではないかという事で、意見が食い違っていた。

 プライベートな記録の定義を、は情報の種類に着目して分類していて、私は情報の載っている媒体に着目しているだけのことだったのだが、お互いの視点が違う事を確認する事すらできずに口論になってしまった。

 たかが夫婦の日常会話で、学術的なディベートじゃないのだから、記録がプライベートに分類されるかどうかなんて、大したことでははない。
 他人にとっての定義がどうあろうと、本人がそう思いたいならそう思えばいい。

 重要なことは、自分がどう考えているかに関わらず、相手は違う考えというケースもあるので、相手がどう認識しているかを知っておくこと。
 コミュニケーションをとる時に、自分が考えている定義と相手の考えている定義の違いがあることをふまえて会話をしないと、いつまで経っても話がかみ合わないままになってしまう。

 ところがにはこのふまえるという事が難しいらしいのである。
「この人はこう考えてるんだぁ…」
で、済む話なのに、どうして、
「俺の意見と違う。どっちかが間違っている筈、訂正されなければ!そうでなければ、話しにならない。」
になっちゃうかなぁ…

 自分と違う視点の存在が受けいれられないのは、心の理論の未発達(欠如)の故なのだろうとは思う。

 うちのの場合、口論になっちゃうのは、自分と違う視点が認められないだけではなくて、他にも要因があるのだけれど、長くなりそうなので次回に書くことにします。

 

 

 

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