以前の記事にも書いたのですが、潜在意識と顕在意識が未分化の部分の多い私は、思い浮かべたことが現実になりやすいです。
なので、思い浮かべたことを実行に移すと言うプロセスが必要な「努力」は私にとっては報われる可能性が高いです。
ブログネタ: “努力は報われる”と思う?
私はかなり努力していても自分では努力している自覚に乏しいので、周りの人が私が努力していることに気がつくことはほとんどないです。
にもかかわらず、ひそかに努力を続けていると、絶妙なタイミングで必要な情報が手に入ったり、思わぬところから助けがあったりします。
私にとって努力はラッキーを引き寄せる魔法の道具だと思います。
アメリカに母子留学をしようと決心した時(2005年当時)も、September 11のテロの影響で留学生のビザが降りにくくなっていました。
言葉の問題や、怪獣の障害の問題、家族の問題など色々ある上に、ビザの問題まであって、学校への申し込みやビザの申請など手続きをしながらも、決心は揺らぎまくりでした。
私よりも少し前にアメリカの大学院に合格して、母子留学の手続きをした知り合いが、ビザが取れなかったと聞いていたので、大学院留学でもビザが降りないのに、語学学校スタートの私が学生ビザを取るのは難しいだろうということが予想されました。
そんな状態だったので、ビザが取れた時は、みんなに「奇跡だね」と言われました。
(ビザがおりるか降りないかは、個人の努力の結果でどうなるものではないので、本当に奇跡だと思いました。)
あきらめないで頑張ってよかったと思いました。
さて、前置きが長くなってしまったのですが、お題の「努力は報われると思う?」についてですが、私個人の経験だけではなくて、一般的に考えても答えは「Yes」だと思います。
理由は、社会が努力する人に対して好意的に出来ているからです。
「天才は1%のひらめきと99%の汗」(天才は主に努力の結果であって、一瞬のひらめきによる物ではない)と言う、エジソンの名言も、
本当にエジソンが意図したのは「1%のひらめきがあれば99%の無駄な努力をしなくても良い」と言うことらしいです。
それを、取材をした記者が一般大衆にうけるように努力を強調する文章に解釈されてしまったと言うエピソードがあるくらい、努力(する人)は社会的に受け入れられています。
入試などの結果重視でプロセスの見えない選考法などでは、期待したように努力が報われることがないこともありますが、努力の習慣を身につけている人は最終的には社会で高い評価を得られるようになっていると思います。
お久しぶりデス。
返信削除…努力は報われるか否か…私も基本的には報われると信じています。
私事ですが、私の本気の努力は子供達の心に寄り添う事に注がれています。
始めはアスペのオニイチャンの自虐的な心を解きほぐすために…次は近所や息子の同級生のモヤモヤした気持ちを受け止めるために(コレは継続中)…チビガッパイの驚異的な発想力に追い付くために…半端じゃなく全力でぶつかっています。
未来を担う子供達の心の支えに少しでもなれれば…と機会があれば不調を押してでも学校に顔を出してます。
報われた経験は1つだけ、オニイチャンのクラスではない あるクラスの学級崩壊阻止に役立ったらしい…担任教員に「本当にありがとうございます」と涙を流して感謝されてしまった。私はただ、保健室にタムロしていたそのクラスの女の子達のモヤモヤを聴いて、たまたま担任教員が心配して来たので「今言ってたモヤモヤ、先生に言っちゃえば? 自分の気持ちは言葉に出さないと伝わらないジャン。あなた達が教室に入れないほど苦しんでいる原因を先生も知りたいですよね?」と一触即発状態に立ち会っただけ。一人が泣きながら訴えて、担任も「よく解った」と言って その場は終わった。1ヶ月後、クラスを覗くとみんな席について私に気付いた数人が笑顔で小さく手を振ってくれた。その笑顔が素敵で幸せになりましたよ。
投稿: 2011年12月 1日 (木) 14時08分
>梓さん
削除子どもの世話を焼いたり寄り添ったり、日本のお母さんって細やかですよね。
「子どもに時間と労力をかけてるなぁ~」と、思います。
大雑把な私はそこまで気がつかないことが多くて、傍から見たら放置親に見えているだろうと思います。
投稿: 2011年12月 1日 (木) 23時56分