前々回は即日解雇について書きましたが、今回は職探しについて書こうと思います。
解雇になったのが金曜日だったので、翌週の月曜日16日から就職活動を始めました。
3度目の転職の時は、転職活動を始めたのがサンクスギブン~クリスマスにかけての年末休暇の時期で、求人も少なく転職活動を始めて採用が決まるまで7カ月もかかったので、長い就職活動になるのではないか?就職先が見つかるのか?と、即日解雇のショックと年齢のことも含めて夫は疑心暗鬼になっていました。
しかし、今回(4度目の転職)は学年末の時期からの就職活動だったので、求人は結構あってLimkedInに入って来た複数の人材会社のメールに返信してレジュメを送ったら、すぐにそれぞれいくつかの企業への申し込みをするように紹介されました。
3度目の時は、今住んでいる家から通える範囲で仕事を探していたのですが、今回は地域を限定せずに就職活動をしたのも紹介してもらえる企業が多かった要因の一つだと思います。
週に2~3件の企業にレジュメを提出して、書類選考を通ったらオンライン面接という流れで複数の企業と同時進行で進めていました。
7月には就職希望の企業が2つに絞れてきました。
1件は日本の人材会社が紹介してくれた日本の大手メーカーで、仕事の内容にかなり興味はあったのですが、勤務地は東京で採用されたしても単身赴任する事になる。
もう1件は、イギリスの人材会社が紹介してくれた在米の日本のメーカーで、夫の職歴からこなす事はできる仕事内容だったのですが、職種が違う。勤務地は隣の州で車で5時間くらいの場所なので、こちらも少なくとも週日は単身赴任になる。
東京の会社(以降『東社』と書きます)と隣の州の会社(以降『隣社』と書きます)は書類選考や1次面接などがほぼ同時に進行していて、どちらにしようか迷っていたのですが、イギリスの人材エージェントの押しが強く、隣社にかなりプッシュしたらしく、オンラインで1次面接をした翌週に対面の2次面接を設定したいと打診が来ました。
おまけに、「非課税で1万ドル(約150万円)引っ越し費用を出させるから単身赴任ではなく家族で引っ越して来て」と、夫の方にも猛プッシュ。
対面の2次面接に臨むにあたって、面接で夫の経歴のどこをアピールしたらいいのかなどの面接の戦略を同じ人材会社のリサーチ部門に立てさせて、面接のコツを指南してくれるなど至れり尽くせり(「逃がさないぞ感」満載)でした。
職種が開発部門から量産部門に変わる不安はあるものの、隣の州は夫が大学時代を過ごした州で私たちが結婚した州でもあるので、家族全員での引っ越しにもあまり抵抗はなく、東社の件がなければ積極的に話を進めたい案件でした。
一方、東社は大企業で、オンラインの1次面接の後に守秘義務への同意などのいくつかの書類の手続きが済んでからのオンライン2次面接だったため、東社の2次オンライン面接の前に既に隣社との対面での2次面接は終わっていて、2次面接の翌日には「採用通知を出すのでいつからなら働けますか?」と、連絡が来ていました。
隣社の採用の決定が早かったのは、隣社の求めていたのは量産部門の経験のある、言葉も含めた日本とアメリカの職場の文化や考え方を理解している人材でした。
求められていた人材は夫が今まで働いてきたR&D(開発部門)の仕事ではなかったものの、マネージャーとして量産分野にも関わった事があり大まかな流れは把握できていたこと。
日本人のマネージャーとアメリカ現地のマネージャーとの間で慣習や考え方や言葉の違いで軋轢が生じていて、夫は日本で日本の企業と外資系で働いた経験があること、アメリカでアメリカの企業と日系企業で働いた経験があることが評価されたようです。
また、隣社の大口取引先の日系会社の一つと日本で働いていた企業も含めて殆どの会社で取引経験があった事、隣社の製品を開発の前のアセスメントで使った経験があった事なども良い印象を与えたようです。
隣社のスピード感とは逆に、東社との面接は4次か5次面接くらいまでありそうで、全ての面接が終わるまで隣社に待ってもらうわけには行かないし…と、悩んでいたら、東社のオンラインでの2次面接を終えて暫くして「探していた人材と違いました…」と、メールで連絡が入ってホッとしました。(東社との2次面接は、隣社の件が気になってあまり意欲的に臨んでいなかった。)
これで就職活動を隣社一本に絞れることになり、隣社との雇用契約を進めることにしたので、その他の人材会社に紹介してもらっていたその他の会社との面接申し込みはキャンセルすることになりました。
長くなったので続きは次回へ…
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