2010年7月28日水曜日

保護色?


 うちのホワイエの床のタイルは茶系の幾何学模様です。
今の流行は天然石調のタイルなので、ちょっと見た目がオールド・ファッションなのですが、あまり見かけない柄のタイルなので気に入っています。

(←幾何学模様のタイルの床)

 床に直に立って見ているとあまり気づかないのですが、吹き抜けの階段部分の上から見下ろすと、連続した幾何学模様がアラベスクみたいで綺麗なので、
 「2階から写真を…」
と、思ってシャッターをきりました。

LEDに写った画像(↑上の画像)をみると、
「あれ~?なんか模様が途切れている部分があるぞ」
と、思ったら…

ナント、我が家のマダラ猫がタイルの上に寝そべっていました
(*≧m≦*)アリャ

 猫の毛の色とタイルの色が同じだったので、保護色になって猫がいることに気がつかなかった。

(←上と同じ画像に猫の周りを水色の線で囲った物。)

 に1枚目の画像を見せても、猫が写っていることに全く気づかなかった。

(←UPで見ても、バッチリ同系色で目立たない。
偶然とはいえ、見事なまでのカムフラージュ。)

カナダ旅行 その8 おまけ


 「カナダ」と言えば、メープル・シロップやメープル・シュガーを使った食べ物を思い浮かべますが、今回はスーパー等の食料品店やお土産品店に立ち寄らなかったので、メープルを使った食品は購入しませんでした。

(←ケチャップ味のポテトチップス)

 代わりに、ガソリンスタンドのコンビにでケチャップ味のポテトチップスを買いました。
娘の話だと、カナダにしかないフレーバーだそうで、高校の時のカナダ人のクラスメートが持ち寄りパーティーの時に持ってきていて、結構美味しかったらしいので、味見してみました。


 (←ケチャップ味のポテトチップスの中身。
パッケージの色と似て、少し紫がかった赤。)

 食べてみると、フライドポテトにケチャップをつけて食べているような味で、新鮮と言うよりは「おなじみ」と言う感じの味でした。

 あと、カナダの食べ物で試してみたのは、"Mr. Sub"と言うカナダのチェーン店のサブマリン・サンド。

 (←カニ入りシーフードサンド)

 アメリカの"Subway"のカナダ番と言う感じで、ハイウエイ沿いに看板が出ているのをあちらこちらで見かけました。
(それとも私たちが通ったオンタリオ州に多かっただけかしら?)

2010年7月26日月曜日

カナダ旅行その7 モントリオール旧市街地観光3

 プーティンを食べた後は、モントリオール市発祥の地やその他の歴史的建物を見て回りました。

(↑モントリオール市発祥の地。
1992年にオープンした考古学・歴史博物館が建っている。)

 元消防署の建物を利用したThe Centre d'histoire de Montréal(モントリオール歴史センター)にも行ったのだけれど、ここも改修工事中で見られなかったのは残念でした。

(↑改修中のモントリオール歴史センター
中央付近にレリーフされた"CASERNE CENTRAL DE POMPIERS...CENTRAL FIRE STATION(中央消防署)"の文字の上に"Central d'histoire de Montreal"と金属で作られた文字の看板をかぶせてあるのが、面白いと思った。)

 モントリオールの旧市街地にはガイドブックに載らない古い建物がいっぱいで、雰囲気もヨーロッパ風の雰囲気で素敵でした。

 

2010年7月24日土曜日

カナダ旅行 その6 プーティンを食べる

  ボンスクール・マーケットが面しているサン・ポール(「サンポール」と聞くと私はトイレの洗剤がパッと思い浮かんでしまうのだけれど…)通りは、石畳で古い建物が続く通りで、お土産品店やレストランが多いです。

(←サン・ポール通り)

 サン・ポール通りを歩いていると、以前日本の旅行ガイドブックで「ケベック州発祥のお奨め料理」として紹介されていた「Poutine(プーティン)※」の文字の書かれた看板を発見。


(←"poutine"の文字の看板。
下の"biere"はフランス語で「ビール」)

カナダに行く前から、食いしん坊の
「モントリオールに行ったら、絶対『プーティン』を食べたい」
と、希望していたことと、
観光に忙しくて昼ごはんを食べそこなってお腹がすいていた我が家は、早速「プーティン」を体験してみる事にしました。

Poutine(プーティン)※
フライドポテトにとろけるチーズとグレイビーソースをかけた、ケベック州がオリジナルのファーストフード。

(↑左:プーティン。
右:マッシュルーム・オニオン・プーティン。
少し食べてから写真を撮ったので、量は減っているけど…)
 
(↓お店の裏庭にある食事のスペース。
木陰で風が吹くのでクーラーのない店内よりは涼しい。)

 プーティンは表のカウンターで持ち帰りを買って帰ることも出来たし、店内で食べる事も出来るようでした。
私たちが行った時は夏で暑かったせいか店内で食べている人は誰もいなくて、裏庭にテーブルと机があってそこに案内されました。

2010年7月22日木曜日

カナダ旅行 その5 モントリオール旧市街地観光2

 ノートリダム聖堂を出ると、Rue Notre-Dame(ノートリダム通り) を挟んでモントリオールの創始者Paul de Chomedey の像のあるPlace d'Armes(ダルム広場)が見渡せるはずが…

(↑ノートリダム聖堂からダルム広場をとおして、バンク・オブ・モントリオール・ミュージアムを眺めたところ。
普段なら中央の台座にはモントリオールの創始者の像があるはずなのが…)


 工事中で広場は立ち入り禁止。
創始者の像も取り払われて、見ることが出来ませんでした。

(←ダルム広場にある創始者の像。
モントリオール・オフィシャル・マップより引用)

 ノートリダム通りをそのまま歩いて、Les trois palais de justice (The three courthouses: 3つの裁判所 )を眺めながら、モントリオール・シティ・ホールへ向かいました。

(↑The three courthouses。
それぞれ違う年代の裁判所の建物が隣接している。
左:最も古い裁判所の建物。右:二番目に古い裁判所の建物。
三番目の建物(写真なし)は今でも結婚と離婚の裁判所として使われている。)

 が、シティー・ホールも改修工事中で覆いがかけられていました。
残念(´;ω;`)ウウ・・・

(↑改修中のシティー・ホール
覆いにシティー・ホールの絵が描かれているのは親切なのだけれど、出来れば本物が見たかったなぁ~)

シティ・ホールからPlace Jaques-Cartier(ジャック・カルティエ広場)を通って、Rue Saint-Paul (サン・ポール通り)沿いにあるBonsecours Market(ボンスクール・マーケット)へ向かいました。

(↑ジャック・カルティエ広場に並ぶ屋外のカフェ。
この広場はモントリオールで1900年代初頭に市場で、街の中心としてにぎわった場所だそうです。)

 (←ボンスクール・マーケット。
1847年にオープンした、ドームを持つクラシック・リバイバル・スタイルの建物。
中はショッピングモールになっていて、お店やレストランなどのテナントが並んでいる。)

ボンスクール・マーケットはクーラーがきいていたので、暫く涼んだ後、同じ通り沿いの隣のブロックにあるNotre-Dame-de-Bon-Secours Chapel (ノートリダム・ド・ボンスクール・チャペル)に行きました。

 (↑ノートリダム・ド・ボンスクール・チャペル。) 

 
カナダ旅行その6 に続く…

2010年7月20日火曜日

カナダ旅行 その4 モントリオール旧市街地観光

 翌日、モントリオールのアメリカ領事館にビサのステッカーを貰いに行ったのですが、書類不備でビザのステッカーがもらえないことが判明しました。
今年(2010年)の3月29日からビサの申請フォームがが変わってしまって、従来のビサの手続きと違っていて勘違いがあったためです。

 「11時間も高速をドライブして来たのに…。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
と、がっかりしたものの、立ち直りの早い我が家は、
折角モントリオールまで来たんだから、観光して帰ろう
と、一度ホテルに戻ってインターネットで観光する場所を調べてから出直す事にしました。

(↑Notre-Dame Basilica of Montreol ノートリダム聖堂
↓ノートリダム聖堂の内部)

 モントリオール市内だけでも観光スポットは沢山あったのですが、観光の時間が半日しかなかったので、旧市街地の歴史的建物を中心に見ることにしました。

 まず、手始めにノートリダム聖堂
入場料(拝観料?)が大人:5カナダドル、子供(7-17才):4カナダドル、幼児(6歳以下):無料 (2010年7月現在)でした。
 20分のガイドツアー(英語とフランス語のみ)があったので、英語のツアーに参加しました。

 この聖堂は外観も、内部も中世のゴシック様式なのですが、建設されたのは結構最近で19世紀前半だそうです。
元々あった古い聖堂が手狭になったので建てられたもので、ツアーガイドさんの話によると、中世の建築の様に石で柱や梁などの構造躯体が出来ているのでなく、木で作られているため工期が短く出来たらしいです。

(↑↓聖堂の左右の壁には、モントリオールの歴史を描いたステンドグラスが並んでいた。)
 

 ノートリダム聖堂の裏にはチャペルがあって、1891年に建築されたものが、1978年の火災で燃えてしまい、建て直して1982年に再開したそうです。
古いチャペルはゴシック・リバイバルスタイルだったそうですが、新しく立て直されたチャペルは世界で一番大きい鋳造のレリーフで飾られていて、オリジナルのゴシック・リバイバルと組み合わせたスタイルになっていました。

(↑新しいチャペルのレリーフ)

 モントリオール旧市街地観光2に続く…

2010年7月17日土曜日

カナダ旅行 その3 夜のモントリオール市内ドライブ


 自動アップデートで記事を設定していたはずが、なかなか更新されないと思ってみたら、書いたはずの記事がなくなっていました(u_u。)。
「間違って削除ボタンを押しちゃったのかな?」
と、言う事で、書き直し。

(↑モントリオール市内の夜の交差点。
水色の矢印の先が通りの名前を表示した案内板。
小さい上に、夜なのでほとんど見えない。)

11時間のハイウエイのドライブの末、午前1時頃やっとモントリオールの市街地に到着
とりあえず予約していたホテルへ向かおうとするのですが、これ思ったより大変でした。

というのも、まず通りの名前が書いてある案内板が小さくて読みにくい上に、全て(英語表記なしの)フランス語
道路標識もフランス語
おまけにモントリオール市の中心部は一方通行だらけ、で道路標識が読めなくて通り過ぎてしまうと、簡単にはもと来た道に戻れない。

(↑明るい時に写した通りの名前を書いた案内板と、道路標識。
信号の大きさと比べると、かなり小さいのがわかると思います。
おまけに色もモノトーンで目立たない。)

 さらに、あちらこちら(工事中なのか)通行止めになっていて、全く知らない迂回路を通らなければならなかったうえに、深夜だと言うのになぜか車も人も多くて渋滞していました

 やっと、ホテルに到着したのが午前2時過ぎでした。

 翌朝市内を歩く機会があったのですが、道路標識だけではなくて、看板もほとんど全て(マクドナルドやスターバックスなどは看板のみが英語で、メニューはフランス語)がフランス語でした。

(↑フランス語の看板)

 モントリオールのあるケベック州はカナダの他の州とは違って、フランス語が第一言語なので、看板や標識だけではなくて、話される言葉もフランス語。

 (←ガソリンスタンドの給油パネル。
英語に切り替えるボタンはあるけれど、何もしなければ表示パネルはフランス語。)

 日本語と英語しかわからない我が家は、フランス語だらけの街に当惑状態でした。
 
今回の教訓:「カナダのケベック州をドライブする時は、簡単なフランス語を知っている方が断然いい。」

 :私たちがモントリオールについた夜、深夜にもかかわらず交通止めや渋滞が多かったのは、工事だけではなくてジャズ・フェスティバルのイベントがあったためでした。
タクシーの運転手によると、いつもは、そんなに混んでいないそうです。

2010年7月13日火曜日

カナダ旅行その2 ハイウエイ長距離ドライブ


 ミシガン州からカナダに入った私たち。
目的地のモントリオールまでは、国境から約900㎞。
時速100㎞でノンストップでドライブしても9時間以上はかかる計算です。

(←カナダのハイウエイの案内板。
フランス語が併記されている事と、距離などの表示がメートル法で書かれている事以外は、アメリカの標識や案内板と色や形がほぼ同じ。)

(←トロントの高層住宅。
日本の風景に似ている感じです。)

 カナダに入ってすぐ、近くの銀行で米ドルをカナダドルに変えるためと、ビサの申請料を払うために立ち寄った銀行で、
「ここからモントリオールまではどの道を通って行けばいいですか?何時間くらいかかりますか?」
と、聞いたら、
キングス・ハイウエイ401※を真っ直ぐ。ケベック州に入ったら20に変わるけれど、同じ道だから。11時間くらいかかると思う。」
との事。

「11時間!!」(゚0゚)

 私たちがびっくりしていると、両隣のブースにいた行員にも確認してくれて、そのうちの一人が、
「モントリオールまで900kmくらいだから、11時間はかからないかもしれない。
ハイウエイの制限速度は時速100kmだけれど、時速120kmまでなら捕まることは(ほとんど)ない。」
と、質問したこと以外の情報まで教えてくれました。

 自分の仕事とは関係ない質問をされた時、アメリカでは聞かれた人がわからなければ、"I don't know."でおしまいの事が多いし、他の人たちに聞いてくれる事は全くと言っていいほどないので、
カナダ人って親切~
と、感じました。

 カナダの国境越えで思ったより時間がかかってしまって、カナダに入った時点で午後2時を過ぎていた事と、トロント市内のハイウエイ渋滞を抜けるのに2時間半くらいかかったため、結局モントリオール市に着いたのは日付が変わって翌日の午前1時になっていました。
(結局、最初の行員が答えてくれたとおり、国境からモントリオールまで「11時間」かかってしまいました。)
 
(↑夜のモントリオールのハイウエイ) 
 
※キングス・ハイウエイ401
カナダは日本と同じ立憲君主制で、王様(又は女王)が国家元首です。
(2010年現在のカナダの国家元首は、イギリスのエリザベス2世女王です。)
カナダのハイウエイは"King's highway"と呼ばれていて、道路案内版には、一番上の写真の様に王冠のマークの中にハイウエイの番号が書かれています。

2010年7月11日日曜日

カナダ旅行その1 国境通過


 先週の火曜日(7月6日)から、ビサのステッカーを貰う目的も兼ねてカナダへ行ってきました。

(←カナダ側のゲート、小さくて見にくいのだけれど、真ん中の黒い電光掲示板に"BIENVENUE AU CANADA (フランス語で「ようこそ、カナダへ」)"と、書かれている。
画像をクリックすると大きいサイズで見られると思います。)

 今住んでいる場所から一番近い領事館はトロント(オンタリオ州)なのだけれど、面接のスケジュールの関係でその隣の州のモントリオール(ケベック州)に行く事になりました。

(←アメリカとカナダの国境の橋。
左のレーンが一般車。
真ん中のレーンは特別なパスを購入した車用。
右のレーンはトラック。)

 島国日本で生まれ育ったら、陸路で国境を越える経験がないのは当然と言えば当然なんだけれど、アメリカに住んでもう少しで5年になるというのに、今までアメリカからメキシコにもカナダにも行った事がなかった母子。
はメキシコにもカナダにも出た事がある。)
今回は初めての陸路での国境越えを経験する事になりました。
子供たちは
陸路で外国に行くなんて初めて
と、ワクワクしていました。

 アメリカ・カナダ間の入国手続きは、結構簡単(実際、夫の職場にはカナダから毎日出勤してくる人がいる)で時間もかからないとは聞いていたのですが、イミグレのブースに並ぶのが人か車かの違いだけで、手続きは日本から入国するよりは簡単だった(I-94入出国カードの返還や記入がなかった)けれど、国境の橋に入ってからカナダに入国するまでに1時間もかかりました。

(←英語とフランス語で併記された案内板。
「とまれ、前の車が(ゲートから)出る(開放される)までは」と、書かれている。)

 アメリカ側では案内板や標識などが 英語オンリーだったのですが、カナダの公用語は英語とフランス語なので、カナダ側のゲートは全てフランス語と英語の両方で書かれていました。

 「フランス語と英語の両方で書かれているなんて、カッコイイ~
と、感動のカナダ入国でしたが、目的地のモントリオールでは
「カッコイイ」なんて言っていられない状況に…

 カナダ旅行その2に続く…

2010年7月6日火曜日

転校手続き(怪獣) その2 二度あることは…


 前の記事からずいぶん時間が空いてしまいました。

(←ミドルスクールに隣接しているハイスクール。)

 年明けに私と子供たちのビサのステータスの変更が承認されたので、(承認されただけでは仮の状態で、パスポートにビザをつけてもらうのはアメリカの国外に出ないと出来ないため)夏休みの間にカナダにビサのステッカーを貰いに行けたらと思って、弁護士さんと遣り取りしたり書類を揃えたりで、忙殺されていました。

 最寄のミドルスクールに2度も足を運んだものの、転校の手続きが出来ないまま帰ってきてしまった私たち。
 転校の前の登録をするスクール・ディストリクト・オフィスの地図も貰ったし、必要な書類のリストも貰ったので、
「今度こそは…」
と、ミドルスクールでは手続きが出来ないとわかった日の午後に、(ちょうども税金のレポートの手続きで早めに仕事を切り上げて帰ってきたので)家族で出かけました。

 「三度目の正直だ!」
と、準備も万全で出かけたつもりだったのですが…

 必要な書類のリストは、
・出生証明の原本(年齢確認のため)
・居住を証明するもの(新しく転入して来た場合は、6ヶ月以内に作られた賃貸契約書か家屋の売買契約書)
・最新の予防接種の記録
・親の写真入の身分証明書(普通は運転免許書)
・転居前に通っていた学校の名前と住所
・IEP(特殊教育のプログラム)を受けているなら、その最新のプログラム内容
・中学生以上は、履修科目を把握するために成績表
でした。

 元々粗忽者の家族の我が家が、「うっかりミス」をしでかさないわけもなく…

 居住を証明するための、売買契約書は手元に原本がなかったのでコピーを持参。
IEPのプログラム内容は最新の物のつもりが、オフィスについて確認してもらったら、1年前の書類でした。

 「IEPの書類は、転入前に通っていた学校からどっちにしろ取り寄せるからいいです。」
と、言われたけれど、
「売買契約書は、原本じゃなければ受け付けられません。」
と、言われ、オフィスの閉まる時間が迫っていたため、翌日以降に売買契約書の原本を持ってくるように言われました。

 「あ~ぁ、結局また出直しかぁ~」_| ̄|○ガッカリ

出直しで、親もガッカリしたのですが、
怪獣はそれ以上にガッカリ・・・

 
 

 今回持参した予防接種の記録で、前の州では義務でなかった予防接種が未接種だったため、
「夏休みの間、保健センターに行って受けてください。」
と、言われました。

 前回の予防接種で
「これが最後の1回だから」
と、説得されて渋々受けに行ったのに、その他の予防接種も受けさせられた怪獣
接種が終わった後に、
「もう、これで高校が終わるまで予防接種はナシだよ。」
と、医者から太鼓判を押されたのに…
また、予防接種を受けなくてはならなくなってしまった。

 今回も
「後、1回だけ」
と、説得したけれど、全く信用していない怪獣

 そりゃ、そうだよな。
毎回「最後」と言われるのに、最後じゃなかった経験が3度も続けば、いくら記憶容量が少なくて、過去の経験から学ぶ能力がいまいちの怪獣だって、信用出来なくなってしまうのは当然と言えば当然
「『これが最後は』最後ではない」事をバッチリ強化してしまった。

 二度ある事は三度…で、親も怪獣もガッカリした転校手続きだったけれど、1つだけ良いことがありました

 怪獣が転出前に通っていた学校の夏休みは、今度通う予定の学校の夏休みより2週間早く始まって、2週間早く終わりました。
今回の転校で、前の学校で2週間早く夏休みに入って、新しい学校では2週間遅く夏休みが終わるので、合計で4週間約1ヶ月も!w(゚o゚)wいつもより長い夏休みになりました。