2017年9月12日火曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その6

 ナイアガラ砦の中ででは、デモンストレーションやツアーなどもやっていました。
 私たちが行った日は、大砲のデモンストレーションが1日2回、マスケット銃のデモンストレーションは1日6回、砲台回廊のツアーが1日2回、私たちは大砲とマスケット銃のデモンストレーションを見る事ができました。

(↑大砲のデモの説明)

(↑大砲のデモの様子)

 大砲のデモは大砲の砲火までの手順やそれに使う道具などを説明(英語で)したあと、空砲を湖に向けて撃つデモをしていた。

(↑デモが終わった後の大砲を北方形堡⑭にしまうところ)

(↑マスケット銃の説明をする人。
着ている服はイギリス支配時代のイギリス軍の軍服)

 個人差はあると思うのだけれど、私たちが見たマスケット銃のデモンストレーターはジョークを飛ばしたり、子どもの見学者に質問をしたり、結構話が面白かった。

 お城の前でデモを見るために集まって来た人たちに、
デモ:「そこの(製パン所の横の)ベンチに座って~
そうそう、並んで…」
と、皆をベンチに並んで座らせてから、ボソッと
デモ:「(射撃の)的にちょうどいい。(・∀・)ニヤニヤ」
観客:「(^w^) ブハッ!!」
とか、
デモ:「この中で自分が一番遠くから来たと思う人~?」
子どもたちが
近隣の州の名前次々上げていく中、
ある家族が:「アリゾナ」
と、答えていた。
デモンストレーターが(多分私たちをチラ見しながら、)
デモ:「もっと遠くから来た人~、外国とか…」
ある白人夫婦が:「カナダなんだけど~」
と、答えると
デモ:「ダメダメ、川の向こう岸だからカナダは(外国に)入らない」
観客:「ヾ(^▽^*ハハハ!」
デモ:「アリゾナの勝ちぃ~僕はイギリスから来た(ことになってる)んだけど…」
と、バリバリの米語の発音で喋って観客の笑いを誘っていた。

(↑マスケット銃のデモの様子)

2017年9月11日月曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その5

(↑製パン所⑩)

 フランス城を出た時に左隣にあるのが製パン所(The Bakehouse)です。
イギリス軍が1762年に火事で焼失したフランス軍の製パン所の代わりに建築したもの。
駐屯兵用のパンを焼くのに使っていた。

(↑製パン所の窯)

(↑丸太小屋⑦)

 丸太小屋(The Log Cabin)⑦は1757年にフランス軍によって建てられ丸太小屋を再現して1932年に建てられたもの。
 現在はお土産品店と売店になっている。

(↑火薬倉庫⑥)

 丸太小屋の隣にある火薬倉庫は1757年にフランス軍によって建造されたもの。
1929年まで駐屯軍の弾薬補給品庫として使われていた。

(↑食物貯蔵庫⑤)

 食物貯蔵庫(The Provisions Strehouse)⑤は1762年にイギリス軍によって建造されました。
 もとは2階建てで、駐屯軍のための食料貯蔵に使われていました。日には兵舎や馬小屋としても利用されました。

(↑18ポンド砲台⑱)

 18ポンド砲台(18-Pounder Battery)⑱は1840年~1872年にかけてアメリカによって建造されました。
 砲台回廊⑰と同じくカナダを威嚇するために作りましたが、一度も使用されることはなかったそうです。

(↑鍛冶小屋⑯)

 ⑯の鍛冶小屋(The Blacksmith Shed)は現在はデモンストレーション用の火薬を置いておく場所として使われたいた。

(↑Fort Niagara Lighthouse)

 砦の外にある灯台は1871年建造、1993年まで使用されていた。
灯台についての詳しい説明はFort Niagara Lighthouseの記事に書いてあります。

※:○で囲まれた番号は4つ前の記事の案内図の番号です

 

 

2017年9月10日日曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その4

(↑フランス城⑪)

 砦の中で一番大きな建物がフランス城(The French Castle)⑪。
フランス城は1726年にフランスによって建てられたもので、北米の五大湖地域の(現存する?)最古の建物らしいです。

※:○で囲まれた番号は3つ前の記事の案内図の番号です

(↑1727年当時のフランス城の内部
画像クリックで拡大
A:貿易物品の倉庫、B:貿易事務員の部屋、C:玄関ホール、D:守衛部屋/簡易ベッド付き兵舎、E:火薬倉庫、F:貯蔵室、G:食糧貯蔵室、H:製パン室、I:聖具保管室、J:礼拝室、K:指揮官事務室、L:指揮官の部屋、M:士官用食堂、N:士官の部屋、O:士官の台所、P湖岸の窓へ通じる廊下)

・1階

(↑貿易物品の倉庫A)

 フランス城はフォートナイアガラの要塞施設として建設されたが、原住民のイロコイ族の警戒心を和らげるため、貿易所という名目で建設、1階の貿易室では実際にインディアンとの交易が行われていました。

(↑玄関ホールCにある井戸)

 玄関ホールCにある井戸は1726年~1815年頃まで使われていましたが、1926年に再び開けられるまで閉鎖されていました。
 殺されたフランス士官が首なし幽霊になって井戸に出没するという言い伝えがあったそうです。

(↑1階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑製パン室H)

(↑食料貯蔵室G&F)

 1階の1727年当時は食料貯蔵室だったGと二つある貯蔵室だったFのうちの一つは、現在は内壁を取り払って繋げられて食堂として展示されています。

(↑1727年当時貯蔵室Fだった場所にある暖炉)

(↑貯蔵室F)

(↑火薬倉庫E)

 

・2階

(↑2階のホール。
1階の玄関ホールの真上C)

(↑2階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑礼拝室J)

 2階の礼拝室は西部ニューヨーク州に現存する最古の教会らしいです。

(↑指揮官の部屋L)

(↑士官用食堂M)

(↑士官の部屋N
左の画像の奥に士官の台所が見える)

 士官の台所は現在は作業所になっていました。

・屋根裏

(↑はね出しはざま)

 フランスが支配していた時代は、屋根裏の張りだした屋根裏窓に、銃や小さな大砲が置かれていましたが、1812年戦争の時に屋根が取り外されて塁壁が築かれ、対岸のフォートジョージを攻撃するために大砲が置かれていました。

(↑屋根裏の空間)

 現在の城は1926年~33年にかけて修復されたもので、城の内部の調度品などはフランス支配時代の雰囲気を作るために18世紀半ばのスタイルに複製されて置かれているそうです。

2017年9月9日土曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その3

 (↑砲台回廊への南側入り口)

 内岸の壁(Scarp Walls)と砲台回廊(Casemate Gallery)⑰は、アメリカが1863~72年の間に対岸のカナダ(イギリス領)との緊張状態を反映して防衛のために土塁をコンクリートと煉瓦で補強し大砲を設置するための回廊を建設したものです。

(↑砲台回廊からの眺め)

 砲台回廊が完成した1872年までに緊張は収まり、一度も砲が置かれることはなかったらしいです。

(↑左:南砲台回廊
中:中央のゲート、右:北砲台回廊)

(↑北方形堡⑭とミレーの十字架⑬)

 北方形堡(The North Redoubt)⑭は砲台回廊を挟んで南方形堡と対になる位置にある建物。

(↑北方形堡の入り口)

 1771年にイギリスが建造したもので、北方形堡の1階には火薬庫があったらしいです。
(現在、1階部分はデモ用の大砲を仕舞って置く場所になっていました。)

(↑北方形堡3階)

(↑北方形堡3階からの眺め
上:フランス城側
下:砲台回廊側)

※:○で囲まれた番号は2つ前の記事の案内図の番号です

2017年9月8日金曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その2

(↑五か国の門②とドーフィン砲台④:1756年フランス時代)

 ナイアガラ砦観光の記事はいつもの3日に1度の更新ペースでUPの予定でしたが、9記事もあるため旅行記で9月が終わってしまいそうなので、今日から観光の記事が終わるまでは毎日更新することにしました。

(↑門の内側からのナイアガラ川の眺め)

 五か国の門(Gate of Five Nations)はフォートナイアガラの正門、イロコイ五か国連合をたたえてフランス軍によってつけられた名前です。

(↑五か国の門の釣り上げ橋を上げ下げする門の内部にある左右の錘)

 門の手前は釣り上げ橋で、門の中には橋を上げ下げする錘が左右に設置されている。

(↑砦の内側から見た五か国の門)

(↑南方形堡③:1770年イギリス時代)

 五か国の門を通りぬけるとすぐ近くに南方形堡(South Redoubt)があります。

(↑南方形堡の内部:1階)

 南方形堡は五か国の門の防衛と大砲用の高台を作るために建造された建物。
対になる北方形堡⑭が内岸の壁を挟んで反対側にある。

(↑南方形堡の内部:2階兵隊用詰所)

(↑南方形堡の内部:階段)

 英語のRedoubtの意味は小さな砦と言う意味で、日本語の案内には『堡(ほう)』と書かれているけれど、私の持っている日本語の辞書には『堡』という項目はなく、中国語なのかもしれない、と思った。

(↑南方形堡3階:大砲)

(↑南方形堡可らの眺め
上:砲台回廊⑰と北方形堡⑭と3つの歴史的旗⑮
下:ドーフィン砲台④)

 砦の中央にある3つの歴史的旗(The Three Historic Flags)⑮は、オールドフォートナイアガラを支配した3つの国の旗が掲げられているそうです。
 白いフランスの旗、イギリスのユニオンジャック、アメリカの15の星と15の線の合衆国旗だそうですが、私たちが行った時はあまり風がなくよく見えませんでした。

※:○で囲まれた番号は一つ前の記事の案内図の番号です

 

2017年9月5日火曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その1

 8月の第2週の週末にイースターの時に行ったけれど、閉園時間が近くて見る事のできなかったオールドフォートナイアガラ(ナイアガラ砦)へ行きました。

(↑南方形堡③と食物貯蔵庫⑤)

 ナイアガラ砦はナイアガラ川が五大湖の一つのオンタリオ湖にそそぐ河口にある歴史的建物群と遺構です。
 有名な観光地ナイアガラ滝から北に約22キロ川を下ったところにあります。

(↑ナイアガラ砦の案内地図

①陸防壁、②五か国の門、③南方形堡、④ドーフィン砲台、⑤食物貯蔵庫、⑥火薬倉庫、⑦丸太小屋、⑧川防壁、⑨ラサールの記念碑、⑩製パン所、⑪フランス城、⑫ラシュ‐バゴット記念碑、⑬ミレーの十字架、⑭北方形堡、⑮3つの歴史的旗、⑯加治小屋、⑰内岸の壁と砲台回廊、⑱18ポンド砲)

 ナイアガラ砦はFort Niagara State Park(Fort Niagara州立公園)内にあって、州立公園への駐車料金が車1台8ドル、砦への入園料はビジターセンターで払い、大人一人12ドル(砦の入園料を払うレジで駐車場のレシートを渡すと入園料から駐車料金を引いてくれる)でした。(2017年8月現在)
 入場料を払うとパンフレットを渡してくれて、それが入場チケットの代わりになっていたようです。
(私たちは日本語の案内も貰うことができました。日本語版は英語版のパンフレットより説明が詳しかったです。
貰ったパンフレットのナイアガラ砦の歴史を簡単にまとめたものをこの記事の最後↓に書いたので、興味のある方はどうぞ…)

(↑陸防壁①フランス時代)

 ビジターセンター内に小さな資料館があって、そこで展示とナイアガラ砦を紹介する簡単なオリエンテーションのビデオがみられて、それを見た後自分で砦内を見てまわるようになっています。
 ビデオの上映の後、希望者にはビジターセンター最初のいくつかの遺構や建物の説明(英語)をしてくれる簡単なツアーがありますが、私たちが参加した時は入り口までのガイドという感じでした。

 最初に見たのは陸防壁(案内図の①)で、ビジターセンターを出てすぐの所にありました。
 この陸防壁と五か国の門(案内図の②)まではガイドがついて説明してくれました。

五か国の門を含めた砦内の観光の様子は次回へ…

 

 

 

ナイアガラ砦の歴史

 ナイアガラ川の河口付近は植民地時代から1825年にエリー運河が完成するまで大西洋から五大湖へ至る物流の要所だったため、軍事的に奪い合いが続いた場所でした。

  フランス、イギリス、アメリカ合衆国の3つの国がナイアガラ砦の支配権を巡って戦闘が繰り返され、1679-1759年まではフランス、1759-1796年の(アメリカ独立戦争※1中も含む)期間はイギリス、1796年の条約で砦は1度アメリカに引き渡されますが、1813年に(1812年戦争※2で)イギリスに奪還され、1815年の戦争終結時に再びアメリカに返還されています。

 1815年以降は国境駐留地や兵士訓練所や兵舎として使われ、1963年に最後の軍隊が撤退しました。

 現在の建物は1926年~1934年にかけて復元され、オールドフォートナイアガラ協会とニューヨーク州公園/レクレーション/歴史保存管理局と協力して管理しています。

※1:アメリカ独立戦争
 1775年4月19日~1783年9月3日までのイギリスとアメリカ東部のイギリスの植民地13州との戦い。
 1776年7月4日にアメリカは独立宣言するが、戦闘は1781年まで続き、1783年のパリ条約で戦争が終結する。

※2:1812年戦争
 1812年6月~1815年2月まで、イギリス(カナダ)とアメリカ合衆国の間の植民地争奪戦争、第二次独立戦争ともいわれる。
 インディアン(原住民)の部族も巻き込んだ戦争で、インディアンは部族でイギリスとアメリカに分かれて参戦したため、多量に虐殺され彼の土地を奪われる結果になった。