2025年9月15日月曜日

4度目の転職 その6 とりあえず一段落、そして…

 今回の記事で、4度目の転職シリーズは終わりの予定です。

(↑猫の手?何ソレ?コレかな?状態の水墨画シスターズ)

 身の回りの物と最低限の家具を運んで借家へ移り、働き始めた
 オリエンテーションを終えた後は、同僚のTさんにマンツーマンで仕事を教えてもらいながら、健康保険や税金や401k(確定拠出型年金)の手続きをしなければならなくて忙しかったようです。 アメリカは26歳以上の家族は扶養家族であることの証明が必要で、怪獣の健康保険に加入させるには所定の書類の提出を求められます。
 前職の時は、担当の事務の方が日本人だったため、扶養の証明の手続きは前々職から引き継いでHRで手続きしてくれたのですが、今回の担当者はアメリカ人で採用の手続きの時に行き違いのあった件のHRなので、手続きがスムーズに進まないようでした。
 そのうえ今回の転職は州をまたいでの転職なので、会社関係の手続きの他に免許の切り替えや車のナンバープレートの変更もしなくてはならないなど、仕事の時間が終わって家に帰っても手続き関係で忙しいようです。

 が働き始めたのは8月の最終週でしたが、9月1日はレイバーデーで3連休だったので、週末は家へ帰って来ました。
 週末とレイバーデーに家の修理をして、インデペンデンスデーの花火に招いてくれたWさんの車のラジエーターの交換を手伝ったりして、レイバーデーの午後に車(ミニクーパーS)に積めるだけの荷物を積んで借家に帰って行きました。

(↑本や飾りを本棚から出して梱包作業中、ほぼ壁一面の本棚なのでかなりの物が収納出来ていた。1/5の本は廃棄することにした)

 現在、今住んでいる家から借家への引っ越しを進めていますが、荷物を整理梱包してが月に2度帰って来る時に少しずつ運んでもらって、ある程度荷物を運べたら大きな家具はレンタルトラックを借りて一度に運ぶ予定でいます。

 運ぶ荷物の梱包なのですが、借家は現在住んでいる家の2/3の床面積しかなく、そのうえ地下室もないので、実質的に今の家の1/2の面積しかないので、全ての荷物を持っていく事はできない。
 不要なものは処分しなければならないのですが、これがなかなか捨てられない。
 去年くらいから断捨離を進めてきたつもりだったのだけれど、思ったほど断捨離出来ていなくて脱力~
 いったい、いつになったら荷造り終わるのか…

  ┫o(^‥^=)~ おかたずけニャ ~(=^‥^)o┳

マジで猫の手も借りたい…

 引っ越し完了するまでには時間がかかりそうなので、これからの引っ越しの様子の記事は節目ごとにUPすることにします。

 

 

 

アメリカの健康保険の手続き:

 以前の記事にアメリカには基本的に公的な保険がない(低所得者と高齢者の公的保険はある)ことは書いたのですが、今回は加入(更新)手続きについて書こうと思います。

 アメリカの医療保険は民間の保険なので、保険で補償される項目や範囲や自己負担額などが保険会社や選んだプランによって色々です。
 保険料も選んだプランや加入する家族の人数などによって色々です。
 本採用になった時に保険に加入しますが、保険会社が変わるとプラン(補償の内容)も変わるので、内容の全てに目を通さなければならず、プランの中で自分にあった物を選ぶ事になります。
 また、歯科と眼科はそれぞれ健康保険とは別の保険会社で、多くの場合はプランは1つで掛け金も一律です。
 その上、毎年秋頃に翌年の保険のプラン選んで更新しなければならず、更新の時に選べるプランの内容や掛け金が変更になったり、時には会社が契約する保険会社が変わったりするので、面倒ですが毎年プランに目を通して更新しなくてはならないです。

 日本の様に高額医療費制度もないので、保険のプラン自体に自己負担金の上限額が決められていて、上限を越えたらその年はそれ以上の自己負担金を払わなくてもいいけれど、翌年の更新時には掛け金が変わったり低額のプランが選べなくなったりします。
 また、医療費の積み立てもだいたいセットになっていて、積み立ては非課税ですが医療費以外には使えず、使わずに翌年に持ち越せる額が決まっているので、健康で積み立てを使わなかった場合は持ち越せなかった積立金を失う事になります。
 なので、どれくらいの額を積み立てるのかも考慮しなければならず、保険に新規加入や更新の時は決めることが多すぎて面倒です。

 日本の健康保険みたいに1種類のプランにしちゃえば、手続きもシンプルで楽なのに…と、思うのですが、アメリカ人に言わせると「自分の掛ける保険の内容は自分で決められることが大事」だそうで、なんとも高額な自由の代償で、アメリカらしいなぁ…と、思いました。

2025年9月12日金曜日

4度目の転職 その5 単身引っ越し

 やっと入居日が8月21日(木曜日)に決まって、の身の回りのものや最低限の食器や調理器具や家具を運ぶことになりました。
 家具などを運ばなくてはならないため、引っ越しには怪獣と私の家族総出で行く事になりました。

 不動産会社からのメールで、「家の鍵は21日の午前10時に家の玄関のキーボックスに入れるので、メールに書かれているパスワードでキーボックスが開きます」と、いう連絡がきていたので、午前10時頃に入居先に着くように出発する事にしました。

 今住んでいる家から入居先までは車で約5時間。
午前10時にたどり着こうと思ったら、朝5時に出発することになるので、入居の前日に怪獣のSUVにトレーラーを連結して荷物を積んで、当日は出発するのみの状態にすることにしました。

 トレーラーとSUVに積んだ荷物は、デスク、チェア、本棚、ソファーベッド、ライトスタンド×2(の仕事部屋に置いてあった家具)と、キッチンのテーブルと椅子のセット、チェスト型の衣装ケース、掃除機、アイロン台、スピーカー(オーディオ)小型エアコンプレッサー、食器、調理器具、調味料、枕や毛布などの寝具、の衣類、トイレットペーパー、シャンプーやボディーソープなどの衛生用品などでした。
 スピーカーと小型エアコンプレッサーは元々は積む予定ではなかったのですが、トレーラーに積んだ荷物に隙間があって不安定なため、隙間を埋めるために積みました。
 積んだ荷物を固定ベルトで固定して、ブルーシートをかけてその上から固定用のベルトでブルーシートを固定しました。
 
 当日は朝5時出発予定でしたが、引っ越し荷物以外の準備に時間がかかって出発できたのは朝5時半でした。

 ハイウエイを2時間くらい走ったところで、荷物に被せてあったブルーシートが風圧でめくれ始めた(↑の画像)ので、近くの出口で降りてガソリンスタンドに寄って荷物の固定とブルーシートの固定をやり直しました。
 また、車とトレーラーのタイヤにも空気を入れて高速走行に適切な空気圧にして、再出発。
荷物の固定とタイヤにエアを入れる作業で40分くらい時間のロスをしてしまいましたが、到着予定の時間より約1時間遅れで無事に入居先に到着しました。


(←1階の玄関を入った部屋の様子)

 鍵をキーボックスを開けて受け取り、家の中に入って間取りなどを確認。
 屋内の様子はネットの画像でしか見ていなかったため、間取りがどうなっているか全く分からず、荷物を運びこむにもどの部屋に運べばいいか分からなかったので、取り敢えずざっと家全体を見て回りました。

 1階はリビングとダイニングとキッチンとトイレとガレージ、2階はベッドルームが3部屋とバスルーム2つとメンテナンスルーム(湯沸し器や暖房器具と洗濯機や乾燥機を置く部屋)とファミリールームがありました。

 ファミリールームにデスクやチェアや本棚とライトスタンドを、ベッドルームの一つにソファーベッドと衣装ケースとライトスタンドを運び入れ、1階のキッチンにテーブルと椅子と調理用具、ダイニングにスピーカーを運びました。
 小型エアコンプレッサーはガレージに置きました。
 ソファーベッドとデスクとキッチンテーブルは運ぶ時に分解してあったので、組立作業もしました。

 荷物の搬入&組立てが終わったら、インスペクション(入居時の家や各部屋の状態をチェック)をしました。
 インスペクションは入居時に義務付けられていて、入居の日も含めて4日以内に不動産会社に報告しなければならず、チェックの項目がメールで送られていて、問題のある部分は写真を撮って画像を添付して送り返す必要がありました。
 その日は荷物を運び入れるだけで、一旦家に戻り日曜日にが一人で戻って来る予定だったので、インスペクションが出来るのは入居当日しかなかったので人手があるうちにやってしまうことにしました。

 インスペクションの点検の項目がかなり細かくて項目数も多く何ページにも渡っていて、チェックして回るだけでかなりの時間がかかりました。
(屋内、屋外、庭、特に屋内の部屋はコンセント一つ一つ通電しているか確認しなければならず、たまたま持ってきたテーブルタップにパイロットランプ付きのスイッチがついていたので、全部屋回ってテーブルタップを繋いで点検しました。)
 点検の結果、2階のマスターバスのシャワーのドアがなかったり、キッチンの水回りなどに多少の問題はあったのですが、修理や交換を要求する程ではなく、入居時から問題があった事を知らせるだけなので、写真を撮って後で報告する事にして、入力データを一旦セーブしました。

(←キッチン)

 入居日は荷物を運んでインスペクションだけの予定だったので清掃道具は持って来ておらず、ところがキッチンがあまりにも汚くて(特に床と水回り)掃除をしないわけにもいかない状態だったので、掃除道具を買いにスーパーへ出かけるついでに遅い昼食も買いに行くことにしました。

 掃除用具とサブウェイでサンドウィッチを買って借家へ戻って、昼食を済ませてキッチンの掃除をして戸締りをして帰路についたのが午後4時頃でした。

 家に戻って来たのは午後9時過ぎで、猫に餌をやって、それから遅い夕食を食べてシャワーを浴びて寝ました。

 インスペクションに思ったより時間がかかってしまった+往復に10時間と、かなりハードな1日でした。

グッタリ~_(⌒(_´-ω-)_ ヅガレダ~

 

追記:

 が新しい職場で働き始めた後で分かったのですが、同じ職場で働く人の中でが一番職場に近い所に住んでいたそうです。
 というのも、リモートワークが主流で、職場に出勤しても午前中だけで帰って午後は自宅で仕事をする人が多いようです。
 まだ仕事が始まったばかりなので、を指導してくれる同僚は毎日来てくれているみたいですが、最初の1週間で1度も会った事のない同僚もいたらしいです。
 前職は毎日出社が基本で、リモートワークの許可が下りることが殆どなく、毎日片道1時間かけて車で通勤するのが苦痛で、「会社の近くに引っ越したい」と、言っていたので、日系の企業でも会社が変わると就業形態もかなり違うんだなぁ…と、思いました。
 
 

 

2025年9月9日火曜日

4度目の転職 その5 家探し2


 会社近くで賃貸の戸建てを探す事に決めたので、帰宅して早速不動産プラットフォームサイトで物件を探し始めました。

(←不動産プラットフォームサイトのトップページ、zillow.comより引用)

 仕事の開始日が8月25日(月曜日)なので、(週末は不動産会社はお休みなため)遅くともその前の週の金曜日(22日)までに入居出来なければ数日はホテルで滞在するしかない事になってしまいます。

 生活に必要な最低限の荷物の搬入もしたいので、ホテル滞在は避けたいところ。
 残り1週間で申し込みから契約、入居まで済まさなければならないのでかなりのハードスケジュールです。

 幸いコロナ以降、オンラインでの申し込みと契約が主流になっていて、現地に行かなくても手続きできるのは助かりました。

 オンラインでの手続きのデメリットは、物件選びを地図アプリと不動産会社のサイトの画像で見るだけで判断しなければならず、実際の様子は見る事ができない事です。

 不動産会社の画像は印象を良くするためか、何年か前に撮った画像を使っているようでした。
 と、言うのも、アパートの内覧の帰りに立ち寄った一軒家の外観が、不動産会社の画像と比べると外壁などが薄汚れて古びていたので、不動産会社の画像はあてにせず、築年数から推察する方が良いと感じたためです。

 不動産会社のウエブサイトで新しい会社のある市内で探したら、2件ほど候補が見つかって、比べてみて最終的に1つの物件に決めました。
 どちらもほぼ同じような物件で、最後の決め手は庭に木が生えているかどうかでした。
庭に木が生えていると手入れや落ち葉などの作業が大変なので、庭に木の生えていない物件を選びました。

 申し込む物件が決まったら、メールで管理している不動産会社にコンタクトを取って手続きを進めて行きます。

 申し込みには家賃を払える経済力があるかの証明が必要で、直近3回分の給与の銀行振り込みの記録を提出しなければならないのですが、信用調査は不動産会社とは別の会社が担当していて、手続きはオンラインで出来るのですが会社が違うので、アクセスのために不動産会社のサイトで登録したアカウントとは別の信用調査会社でアカウントを作り直さなければならず色々面倒でした。

 信用調査会社に銀行振り込みの記録を提出して2日くらいして、調査に通ったと言う連絡が来て、不動産会社と賃貸契約の手続きを進められることになりました。

 不動産会社から賃貸契約書がメールで送られてきたのだけれど、備え付けの電化製品が故障した場合とか、屋外の庭の手入れとか、退去の際にはハウスクリーニングを入れてその際の領収書を提出するとか、細かい項目が沢山で読むだけでかなりの時間がかかりました。
 項目に全て目を通して、デポジットなどの手続き料金を支払ってやっと入居日が21日(木曜日)に決まりました。

 新会社との雇用契約の手続きよりも、賃貸契約の方が複雑で時間だかかったのは「これ如何に?」と、言う感じでした。

手続きの料金:

 手続きの料金の内容は、デポジット(日本の『敷金』のようなもの)、入居者一人当たりの入居料、ペットを飼う場合はペットの入居料、月の途中からの入居だったので、日割り計算で算出した家賃などでした。
 今回は一人の入居だったので、入居料は1人分、家族が引っ越せるようになったら追加で入居料と、ペットの入居料を払う事になります。また、ペットを飼う場合は月々1頭あたりの追加料金が家賃に加算されます。

戸建ての賃貸を契約した感想:

 今回、戸建ての賃貸を借りることになって、細かい項目が沢山で長い契約書を読みながら、契約書の項目は自分たちの家を貸す時の契約書の項目の参考になると感じました。
 家を売却して住み替えするのでなくて、今の家を賃貸に出そうと決めた理由は主に2つあります。
 一つは、今回の転職で引っ越す事になったのですが、(At-will employmentなので)長く働ける補償はないため、どれくらいの期間新しい職場で働き続けられるかがわからないし、リタイア後に住む場所を確保しておきたいと、考えた事。
 ふたつ目の理由は、幸いにも今住んでいる家はリーマンショックの直後に購入したため、価格もほぼ底値で住宅ローンも完済していて、賃貸に出して家賃収入が得ることができれば、新しい職場の近くて家を借りる時の家賃だったり、家を買った場合は買った家の住宅ローンに充てることができるからです。
 単身用のアパートを借りるよりは予算はかなりオーバーしてしまったけれど、戸建ての賃貸を借りたのは結果的に良い経験だったのかもしれない。

 

2025年9月6日土曜日

4度目の転職 その4 家探し1


 無事就職も決まり8月25日から仕事が始まるので、取り敢えずが住むところを探す事にしました。

 雇用契約が決まってから仕事の初日まで約2週間。
 家族で引っ越しするとしても、2週間で引っ越し完了するのは無理なので、だけ単身で数か月アパートを借りて、その間家族で住める家を探して貰って見つかったら残りの家族で引っ越す事にしました。

 人材会社のSさんが住む家について隣社に訊いてくれて、の上司になる予定のGさんが地元の出身なので相談するといいと、連絡先を教えてくれました。
 Gさんに相談すると、日本から赴任で来ている人たちが多く住んでいるエリアを教えてくれました。
 日本人が多く住んでいるエリアは新しい職場から車で40分くらいの場所で、隣社のある場所よりは都会よりの地域で日本食品のスーパーや日本食レストランとかもあるということでした。

 取り敢えず薦めて貰ったエリアで1ベッドルームのアパート見学するために、8月13日と14日の1泊2日で夫婦で出かけました。

 予め予算などの条件に合いそうなアパートの運営会社いくつかに連絡して、内覧の予約を取り、13日の午後に3件、14日の午前中に3件見て回りました。

 見学に行った殆どのアパートは2~3階建ての棟が複数集まった集合住宅地で、アパートの敷地内に住民専用の公園やプールやBBQスペースがあり、管理棟や共用棟にはアパートの住人が使えるエクササイズ・ジムやラウンジやパーティールーム(有料)が設けられていました。
 多くのアパートが1年の契約期間で家賃が設定されていて、1年以下の契約OKな物件でも契約期間が半年だと家賃は1.5倍、月毎の契約だと2倍近い家賃になると言う事でした。

 2日目(14日)の最後に見学に行ったアパートで、案内してくれたスタッフにの職場はどこなのかと訊かれたので、市の名前を答えると、
「マップアプリで調べたらここから車で45分かかるし、ラッシュアワーだと1時間くらいかかるかも、うちに契約してくれたら嬉しいから強くは勧めないけれど、職場のあるところでアパートを見学してみてもいいかも…」と、言ってくれました。

 幸いの新しい職場は帰り道だったので、予約は取ってなかったけれど、飛び込みでアパートの管理事務所を訪れて1か所見学させてもらう事が出来ました。
 都市部から離れたこともあって、同じ予算で日本人の多いエリアよりも部屋の大きさも広く新しい建物で、周りも静かで住環境はかなり良かったです。
 ただ、新しい職場の近くのアパートも1年契約のみでした。

 アパートは1年契約しかないなら、家族が途中で引っ越して来るには荷物が多すぎなので、一軒家の貸家も見てみようと言う事になりました
 不動産会社に連絡を取って内覧させてもらうには時間がなかったので、不動産プラットフォームサイトで貸しに出されている物件の住所を探して、外から眺めてみることにしました。

 時間があまりなかったので、1軒しか見る事はできなかったのですが、直前に見学に行ったアパートと比べると古いけれど、ガレージとその前に2台分の駐車スペースもあり、裏庭もあって、アパートと比べると屋外のスペースがゆったりしていると感じました。

 帰りの車の中で、2日間で見たアパートと戸建てや住むエリアなど色々な条件を比較してどの物件を契約するか話し合いました。

 日本人の多いエリアのアパート買い物など便利だけれど、都市部の近くなので部屋のサイズは狭くて少し騒音がある事、1年単位で借りるなら途中で家族が合流するには荷物が多くて入りきれないので、レンタル倉庫を借りたりガレージを借りなければならない

 会社の近くのアパート新しいし、部屋のサイズも広めで周りの環境は静かだけれど、車がないと買い物には不便で、家族が合流した場合は駐車スペースも倉庫も別で借りなければならない

 会社近くの戸建てを借りる場合は、買い物には車が必要月々の家賃は高くなるけれど、部屋数もアパートより多くガレージに2台+ガレージ前に最低でも2台の駐車スペースがあり、裏庭もあるので家族が合流した場合も別に倉庫やガレージを借りる必要がない

 などのメリットデメリットを比較して検討した結果、会社の近くに賃貸の戸建てを探そうと言う事になりました。

 会社近くで戸建てを借りる事に決めたのは、
・屋内、屋外ともスペースが広いこと
・駐車スペース(我が家は車4台+トレーラー1台持ち)
・家賃が少し高くても、通勤の時間やガソリン代を考えたら納得できる
の主に3つの理由からでした。

 は、「(会社近くの戸建てを借りることになるなら)最初から戸建ての賃貸を見て回れば良かった時間の無駄」と、言っていました。
 私は、元々はが単身赴任で数カ月暮らして、その間に家族が住める家を探して購入し、その後に家族の引っ越しを予定していたため、アパートを探したけれど、アパートに見学に行って初めて契約期間が1年単位(短期契約は家賃が高額になる)だと知ったのだから仕方がないと思い、その旨をに話し、「アパートを見に行って、私たちは都市部のアパートに住めないと言う事が分かったのだから、それだけでも収穫だよ」と、説得しました。

 長くなったので、続きは次回に…

 

2025年9月3日水曜日

4度目の転職 その3 採用

 隣社の2次面接後に、紹介してくれた人材会社のイギリス人エージェントのSさんから「隣社から提示された給与や健康保険などの雇用の条件を送ったので、確認してください。質問などがあれば隣社のHR(人事)の担当者と話す機会を設定するのでその時に訊いてください。内容に同意できれば採用通知を送ります。」と、連絡が入りました。

 隣社を紹介&斡旋してくれた人材会社は、本社はイギリスにあるけれど世界各地に支社があって、アメリカの中西部担当のNさんも今回の雇用契約に連絡係として関わってくれていました。
 交渉はSさん、HR(人事)との連絡はNさん担当という感じでした。

 面接の翌週の火曜日に隣社のHRと電話で話し、疑問点などの回答ももらって、「金曜日までに同意するかどうかの連絡をメールでください」と、言われました。
 雇用の条件には納得できたので、その日のうちに就職の意思を伝えるメールを送りました。

 前職までは採用通知は手書きのサインをする欄があって、PDFからプリントアウトしたものに手書きでサインしてスキャナでスキャンしてメールで送り返して雇用契約が成立するという流れでした。
 今回も手書きのサインをする採用通知が送られてくると思ったら、なかなか送られてこないので、連絡係のNさんに採用通知が来ない事を連絡して、隣社のHRに訊いてもらいました。

 HRによると、「採用受け入れの意志表示のメールが届いていない」と、いうことでした。

(・・。)ん? 

 送ったよなぁ…と思って、確認したら、ちゃんと送ってある。
 でもHRには届いていないと言う。

 ホエ?(´д` ) ホエ?(´д`) ホエ?( ´д`) ホエ?

 送ったメールの内容をAIにかけてみたら、
「この内容は曖昧で、はっきりした意思表示とは取られず誤解を生む可能性があります。」
と、回答。

 メールの内容は元々は日本語で書いたものを、AIの翻訳で英語に翻訳してがチェックした後送ったものでした。
 翻訳された英語の文章は、日本人の感覚だと採用の意志を十分に伝えているように思えたのですが、アメリカ人にしてみれば『はっきりした意思表示』には感じられなかった模様です。

(こういう小さい誤解が軋轢を生んでいるんだろうなぁ…)

 もう一度メールを書き直して、今度は最後にAIにもチェックしてもらって、曖昧ではなくクリアである事を確認して送りました。

 その後、HRから採用受け入れのメールを受け取ったと連絡があり、次は手書きのサイン用のPDFが送られてくると思ったのですが、いつまで経っても送られて来ない。
 連絡係のNさんに訊いてみたら、意思表示のメールを出したら雇用契約の締結は終わり、との事でした。

( ´゚д゚`)エー 「そんなんでいいの?」

 と、思ったけれど、そんなんでいいらしい。

 雇用契約の書類も会社によって色々だけれど、日系企業で手書きのサインなしでの締結は初めてだったので驚きました。

 少々行き違いはあったものの、8月の頭に無事に雇用契約も済み、8月25日から新しい職場で働くことが決まりました。

 

 

2025年8月31日日曜日

4度目の転職 その2 職探し

 前々回は即日解雇について書きましたが、今回は職探しについて書こうと思います。


 解雇になったのが金曜日だったので、翌週の月曜日16日から就職活動を始めました。

 3度目の転職の時は、転職活動を始めたのがサンクスギブン~クリスマスにかけての年末休暇の時期で、求人も少なく転職活動を始めて採用が決まるまで7カ月もかかったので、長い就職活動になるのではないか?就職先が見つかるのか?と、即日解雇のショックと年齢のことも含めては疑心暗鬼になっていました。

 しかし、今回(4度目の転職)は学年末の時期からの就職活動だったので、求人は結構あってLimkedInに入って来た複数の人材会社のメールに返信してレジュメを送ったら、すぐにそれぞれいくつかの企業への申し込みをするように紹介されました。

 3度目の時は、今住んでいる家から通える範囲で仕事を探していたのですが、今回は地域を限定せずに就職活動をしたのも紹介してもらえる企業が多かった要因の一つだと思います。

 週に2~3件の企業にレジュメを提出して、書類選考を通ったらオンライン面接という流れで複数の企業と同時進行で進めていました。

 7月には就職希望の企業が2つに絞れてきました。

 1件は日本の人材会社が紹介してくれた日本の大手メーカーで、仕事の内容にかなり興味はあったのですが、勤務地は東京で採用されたしても単身赴任する事になる。
 もう1件は、イギリスの人材会社が紹介してくれた在米の日本のメーカーで、の職歴からこなす事はできる仕事内容だったのですが、職種が違う。勤務地は隣の州で車で5時間くらいの場所なので、こちらも少なくとも週日は単身赴任になる。

 東京の会社(以降『東社』と書きます)と隣の州の会社(以降『隣社』と書きます)は書類選考や1次面接などがほぼ同時に進行していて、どちらにしようか迷っていたのですが、イギリスの人材エージェントの押しが強く、隣社にかなりプッシュしたらしく、オンラインで1次面接をした翌週に対面の2次面接を設定したいと打診が来ました。
 おまけに、「非課税で1万ドル(約150万円)引っ越し費用を出させるから単身赴任ではなく家族で引っ越して来て」と、の方にも猛プッシュ。
 対面の2次面接に臨むにあたって、面接での経歴のどこをアピールしたらいいのかなどの面接の戦略を同じ人材会社のリサーチ部門に立てさせて、面接のコツを指南してくれるなど至れり尽くせり(「逃がさないぞ感」満載)でした。
 職種が開発部門から量産部門に変わる不安はあるものの、隣の州はが大学時代を過ごした州で私たちが結婚した州でもあるので、家族全員での引っ越しにもあまり抵抗はなく、東社の件がなければ積極的に話を進めたい案件でした。

 一方、東社は大企業で、オンラインの1次面接の後に守秘義務への同意などのいくつかの書類の手続きが済んでからのオンライン2次面接だったため、東社の2次オンライン面接の前に既に隣社との対面での2次面接は終わっていて、2次面接の翌日には「採用通知を出すのでいつからなら働けますか?」と、連絡が来ていました。

 隣社の採用の決定が早かったのは、隣社の求めていたのは量産部門の経験のある、言葉も含めた日本とアメリカの職場の文化や考え方を理解している人材でした。
 求められていた人材はが今まで働いてきたR&D(開発部門)の仕事ではなかったものの、マネージャーとして量産分野にも関わった事があり大まかな流れは把握できていたこと。
 日本人のマネージャーとアメリカ現地のマネージャーとの間で慣習や考え方や言葉の違いで軋轢が生じていて、は日本で日本の企業と外資系で働いた経験があること、アメリカでアメリカの企業と日系企業で働いた経験があることが評価されたようです。
 また、隣社の大口取引先の日系会社の一つと日本で働いていた企業も含めて殆どの会社で取引経験があった事、隣社の製品を開発の前のアセスメントで使った経験があった事なども良い印象を与えたようです。

 隣社のスピード感とは逆に、東社との面接は4次か5次面接くらいまでありそうで、全ての面接が終わるまで隣社に待ってもらうわけには行かないし…と、悩んでいたら、東社のオンラインでの2次面接を終えて暫くして「探していた人材と違いました…」と、メールで連絡が入ってホッとしました。(東社との2次面接は、隣社の件が気になってあまり意欲的に臨んでいなかった。)
 これで就職活動を隣社一本に絞れることになり、隣社との雇用契約を進めることにしたので、その他の人材会社に紹介してもらっていたその他の会社との面接申し込みはキャンセルすることになりました。

 長くなったので続きは次回へ…

 

2025年8月29日金曜日

6月~8月中の出来事

 前回に引き続き4度目の転職の続きをUPする予定だったのですが、8月も終わりなので、転職以外のこの夏の出来事の記事をUPする事にしました。

(↑胡瓜、8月27日)

(↑ローマントマト、8月27日)

 今年のプランター菜園は胡瓜、トマト、シシトウ、シソを栽培しました。
 苺も前年から越冬した株があったのですが、今年もリスとの戦いに敗れて人間の口には殆ど入りませんでした。

(↑シシトウ、8月27日)

 8月の最終週にはトマトとシシトウは収穫が出来るようになりはじめましたが、胡瓜は最初に撒いた種が上手く発芽せず、撒きなおしになったため育成が遅れて花は咲いているものの、8月27日時点ではまだ実はついていません。

(↑青じそ、8月27日)

 6月、7月と雨が多く、猛暑の日も多かったのですが、8月下旬になると最高気温が25℃を切って夏日でなくなったので、胡瓜は無事収穫できるか心配です。(8月27日の最低気温は9℃と10℃を切りました。)

 この夏もカナダで林野火事が発生し、度々空気質の注意報が発令されました。

 去年は13年ゼミ(年次集団19)と17年ゼミ(年次集団13)が同時に大発生しましたが、今年は17年ゼミ(年次集団14)の発生年で今年も蝉の鳴く声が聞こえました。

(↑塗り替え前のデッキ)

 今年は10年ぶりに裏庭のデッキの塗り替えをしました。(塗り替えの様子は来月以降に記事にする予定です。)
 その他にも、が在宅で時間の都合がつきやすく、DIYで家の改装や修理をこなせたので、完成次第順次ブログにUPしていこうと思います。

 

おまけ:

 夏とは関係がないのだけれど、7月に書いた『アメリカのお土産』と、言う記事で紹介した、期間限定のセレーナ・ゴメスのオレオを買って食べてみました。

 普通のオレオのクッキーは真っ黒ですが、セレーナ・ゴメス・オレオは茶色いクッキーで、間に普通のクリームとシナモンクリームが挟まっています。
 クッキーの模様は片面は普通のオレオ、もう片面は音符やハートやヘッドフォンなどの模様が刻まれていました。
 シナモンクリームが挟まっているだけあって、パッケージを開けたらシナモンの香りが漂って来て食欲をそそります。
 気になるお味ですが、チョコレートクッキーと普通のクリームとシナモンクリームの組み合わせが意外に美味しくて、また見かけたら買おうと思っていたのですが、期間が過ぎてしまったのかお店では見かけなくなってしまって残念です。

2025年8月26日火曜日

4度目の転職 その1 即日解雇


 6月13日にが去年就職したばかりの会社を解雇になりました。

 去年の6月9日付けで採用されて6月14日から働き始めたので、1年で解雇になった事になります。

 考えられる原因は、採用時に担当していた案件が日本の本社に横取りされてしまったこと。
 その後代わりに担当する事になっていた案件2つが、トランプ関税の影響で先行き不明なため客先が開発や量産に消極的になって、様子見のために最低でも1年延期になってしまって、仕事量が激減し社内で仕事の奪い合いが起こり、採用されて最も日の浅いが解雇されてしまったのではないかと思います。

 夫は大学を卒業して以来ずっと製造業の業界で働いてきたのですが、今回解雇になった会社は製造業者を顧客としてカウンセリングやコンサルタントを行うのが主な業務で、製造業と関りはあるものの所謂『物を作る会社』ではなかったためも働きにくそうにしていました。

 解雇になった直後にから電話で「解雇になった」と連絡があり、それを聞いた私の第一声は「合ってなかったもんね、次は自分のやりたい仕事しなよ」でした。

 今回は自分から辞めたのではなくて会社都合での解雇(レイオフ)なので、Servarance Package(解雇パッケージ)が会社から提供されることになりました。
 の場合の内容は、1か月分の給与と6月いっぱいまで(約2週間)の健康保険を延長し、その後COBRA(働いていた時と同じ条件で健康保険を継続できる保険のプログラムだけれど、保険料は会社の負担分はなく100%自腹)に加入するか、1か月分の保険料(約3000ドル)貰うかでした。

 Servarance Packageでは通常数カ月分の給与が出る事が多いので、の場合はかなり低額だけれど、勤続期間が1年と短いので妥当な額ではあると思います。
 解雇になる前に少額だけれど夏のボーナスも支給されていたし、満足のいくものではなかったけれど納得がいくパッケージの内容ではありました。

 は今回解雇になった会社でも仕事の効率化をするプログラムを2つ作ったのですが、その2つのプログラムは解雇になった時に「置いて行くように」と、言われたそうです。
 その前の会社で働いていた時にも構築したプログラムを置いてきていて、折角作ったプログラムを持ち出せないのは残念だけれど、社外持ち出し禁止のデータも入力されていたため、たとえデータを全削除したとしてもセキュリティの問題があった事と、が辞めても会社が使いたかったので「置いていけ」と、言う事になったようです。

 レイオフになってしまったので、翌日から就職活動を始める事に…

 

 

Servarance Package(解雇手当):

 アメリカの殆どの州でAt-will employment(随意雇用)という採用の形式のため、いつでも自由に会社都合の解雇を行うことができます。
 即日解雇も稀ではないため、解雇の手続きをスムーズに行うため企業側がServarance Package(解雇手当)を提供するケースが多いです。

 一般的なServarance Packageの内容は、
・解雇に伴う一時金
・未使用の有給休暇等の補償
・健康保険、生命保険
・401kや退職金
などで、一括で支払われる事が多く課税対象です。

 企業によってServarance Packageの細かい内容は様々で、手厚い補償をしてくれる企業もあれば、そうでない企業もあります。

 大規模な解雇を行う場合は、企業イメージを損なわないためServarance Packageの内容を公開する事もあります。

 

 

2025年8月20日水曜日

ブラックフォレスト・ケーキ(ネイキッドタイプ)

 毎年の誕生日にディナーを作っているのですが、去年はが出張中、今年は転職活動で忙しくディナーを作れなかったです。
 何もなしというのは寂しいので、誕生日当日にケーキを作りました。

 初めの予定では、スポンジ部分が4層でタワーのような形にするつもりでした。
 スポンジを2段まで重ねたところで、かなり高くなってしまったので3段にする事にしました。

 クリームはホイップクリームムースを使ったのですが、下の段のクリームが固まる前にスポンジを重ねてしまって1段目のクリームの層が潰れてしまったので、2段目の層は冷蔵庫で少し冷やして固めてから3段目のスポンジを重ねました。

 次回作る時はスポンジを薄めに焼いてクリームは冷やし固めてからスポンジを乗せようと思いました。

(↑一人分に切り分けたケーキ)

 食べるためにカットするまでは再挑戦する気満々だったのですが、一人分に切り分けたらかなりの量で食べるのが大変だったので。再挑戦するかどうか迷っています。
(多分今年は再挑戦しないかも…)

 

 

 

おまけ:ブラックフォレスト・カップケーキ

 ホールケーキには再挑戦しなかったけれど、同じ材料で友人の誕生日のためにカップケーキを作りました。

2025年8月17日日曜日

渡米20年目 その2

昨日の記事からの続きです。

2023年:

・1月、結婚30周年を迎える


・2月、マダラ猫の定期健診に行ったら、腎臓の数値が去年より悪化していて腎臓ケア以外のフードが禁止になった。

・5月~6月、日本に一時帰国

・6月、マダラ猫が20歳の誕生日を迎えた。

(↑2023年5月のマダラ猫)

・8月8日、容量がほぼ満杯になってしまい古い記事を削除しないと更新が出来なくなってしまったため、容量の大きいBloggerへ古い記事の引っ越しを開始しました。

・8月、ウィスコンシン州(ミシガン湖岸)へ灯台巡りツーリング

・10月下旬、が転職を決意。モラハラ上司の下で働きながら転職活動を開始する。

(↑ココログゲーム終了時のプロフ画面)

・10月31日の午前10時に、ココログゲームが終了ニコっとタウンを始めました。

・11月上旬、マダラ猫が体調を崩し介護生活に…

(↑2017年12月撮影)

・12月5日、マダラ猫が虹の橋を渡り、火葬してもらう

・12月半ば、クリスマスツリーと一緒に再生修理をしていたホンダ・スーパーカブを飾る。

 

2024年:

・2月、クリスマスの時に飾りの一部として置いた修理中のスーパーカブにバレンタインの飾りつけをする。

(↑バレンタインのデコレーション)

その後、イースター、 独立記念日、と、イベントに合わせてスーパーカブのデコレーションをたのしみました。

(↑2024年3月31日撮影、スイッチプレート1か所と、換気扇のダクトカバーの取り付け、割れた飾り棚のガラスの交換を残してほぼ改修が終わったキッチン)

・3月31日、2011年にレンジフードの交換から始まったキッチンの改装がほぼ完了。

・4月、のケーキ店の店舗を閉めてオンラインショップに切り替える。

・4月8日、日食(90%欠ける)が起こる。

(↑卒業式のセレモニーでディプロマを受け取るところ)

・5月18日、怪獣のカレッジの卒業式に他州に住むも帰省して家族全員で参加。

・6月、23年の秋から進めて来た3度目の転職活動がやっと実り、2ウィーク・ノーティスを経て無事に転職。

・8月、怪獣、私の3人でミズーリ―州にドライブ旅行へ…

(↑WWⅠミュージアム、ミズーリー州)

・9月18日、保護施設から生後6か月の猫の姉妹を引き取り、スミ(スモークタビー)ちゃんとシマ(グレーの縞柄?)ちゃん、合わせて水墨画シスターズと命名。新しい我が家の家族になりました。

(←窓の外を眺める水墨画シスターズ)


(←ハロウィン用のシュシュをつけたスミちゃん)

(↑12月5日、シマちゃん生まれて初めての雪

(←「イエス・キリストに投票しよう」と、呼びかけるヤードサイン

・11月5日には大統領選挙が行われ、民主党で当時の副大統領だったハリス氏と共和党で前大統領だったトランプ氏が出馬して、トランプ氏が当選。

 

 

 

 

2025年:

・1月1日から、私たちの住んでいる州でケージ飼いのタマゴの販売が禁止になり、鳥インフルエンザと物価高と一部の会社の寡占でただでさえ高かったタマゴの価格が更に高騰して、タマゴの値段が2月には最高値の1ダース8ドル15セントまで上がり、趣味のお菓子作りもタマゴを使わないビーガンのスウィーツが増えました。

・1月20日、トランプ大統領の2期目の就任式が(極寒のため)議事堂内で行われた。

・3月19日、2022年の5月から始めたサイディング(外壁)の作業が、西側のガレージ横のサイディングを最後に完了。

・4月、水墨画シスターズが満1歳の誕生日を迎える。

・4月16日、インターネットがいきなり使えなくなり、再開してもらうもトラブル多発&プロバイダの対応が悪かったので契約を打ち切り、携帯のキャリアと同じ系列のプロバイダに乗り換える

・5月末、高騰していたタマゴの値段が1ダース3ドルを切るようになった。

・6月13日、が1年前に就職したばかりの会社を解雇になり、就職活動を始める。

・6月25日、23年8月から始めたBloggerへの記事のコピーが現在に追いつき、引っ越し完了

・8月12日(現在):の再就職先が決まり、引っ越しの準備中。

 2023年後半から現在2025年8月にかけて、色々なものが動き出した感じです。
 次の5年はどうなるのだろう?
 これから暫くは引っ越しの準備などでブログの3日に1回の定期更新は出来ないかもですが、記事のネタは増える筈なので、落ち着いたら記事を書き溜めて後、頻度を上げてアップロードしようと思います。

 

2025年8月16日土曜日

渡米20年目 その1


 ここのところ私事でゴタゴタしていてブログを更新できずにいましたが、8月16日で母子留学で渡米して20年目、在米も20年目で節目なので箇条書きだけれど記事を書くことにしました。

 10年前の記事に2005年から2015年の8月まで、5年前の記事2015年から2020年8月までの回想を書いたので、今回は2020年8月から2025年8月までのまとめを書くことにします。

2020年:

 2020年と2021年はほぼCOVID19(コロナ)一色の年でした。

(↑『I survived 2020(2020年を生き残った)』ジュースのラベル。2020年にあった出来事の絵が描かれている。
左クリックで拡大画像へ。)

・11月には大統領選挙があり、トランプ(共和党)VSバイデン(民主党)でバイデン氏が当選。

2021年:

(↑アメリカに来て初めて作った手作りおせち
それまでは適当に食べたい和食を作っていた)

・1月6日、大統領選の結果を確定する上下両院合同会議で開票作業が行われている最中に、トランプ支持者が国会議事堂に侵入し、警備の警官の発砲によって死者5人をす騒ぎになり、選挙での敗北を認めないトランプがバイデン氏の大統領就任式へ出席しなかった。

・怪獣は年明け早々から親知らずの抜歯の手術をうけました。

・2月に、以前住んでいた州に住んでいるが大学時代の友人と2人でケーキショップを開業、11月末から12月のクリスマス直前まで私はケーキ店のお手伝いに行きました

・4月に飼い猫のマダラが肥満細胞腫切除の手術を受けました。

・5月にコロナのワクチン接種を受けた。

・10月にはアラバマ州への旅行でグレート・スモーキー・マウンテンに寄りました。

2022年:

・1月、コロナ2回目の接種の順番を待っている間に、怪獣がコロナのオミクロン株に感染し、その後私も感染してしまいました。

(↑コロナ感染で隔離されている間暇だったので、作ってあったお菓子を撮影したのがきっかけで、お菓子作り&撮影の趣味がスタートしました。)

・3月、2012年4月に取得したグリーンカードの有効期限が切れるので、オンラインで更新

・3月、2月に始まったウクライナ戦争の影響で、原油価格が上がり物価も高騰6月にはレギュラーガソリンが1ガロン(約3.8ℓ)5ドル20セントに高騰

・8月、エリー湖畔に灯台巡りのツーリングへ…

・11月、バイク仲間のIさんが他界

・2022年に始まったお菓子作りと撮影の趣味で、カレンダーを作ったり、年末には22年に作ったスウィーツの画像(上半期下半期)をブログにUPました。

 2020年~2022年はコロナの影響で大きな出来事は少なめだったけれど、2023年は濃い1年で出来事も多くて長くなりそうなので、2023年以降は明日の記事に…

 

2025年7月28日月曜日

70年代の西表島観光?

 6月の半ばからゴタゴタが続いていてブログ記事を書くことが出来ずにいます。

(↑2001年、マリユドゥの滝?)

 今回の記事もニコッとタウンの日記に書いたものをほぼ転載しています。

 ニコッとタウンの7月21~27日の週のお題は『子供の頃の不思議な記憶は?』で、1970年代に西表島に行った時の事を書きました。

 残念ながら手元に70年代当時の写真がなかったので、この記事には2001年と2018年に西表観光した時の画像を使っています。

(↑2018年、仲間川のマングローブ)

 不思議な記憶とはちょっと違うかもしれないのだけれど…

 私が未就学児だった頃(1970年代)に、沖縄の西表島に観光?に行った時の記憶が今も鮮明に残っています。

 当時は沖縄が復帰したばかりの頃で、今のようにメジャーな観光地でなく、特に西表島は観光客も少なくてまさに秘境の島と言う感じでした。

 西表島に行く事になったのは、母方の祖父が軍事教練の一環として海軍に配属された時に仲良くなった人の家族が西表島で旅館を経営していて、その戦友?から祖父に旅館に泊まりに来ないかとお誘いがあり、祖父が私の家族にも声をかけて、祖父と私の家族で行く事に…

  西表島には羽田空港から那覇空港へ(機材はB747?)飛び、那覇空港から石垣空港(旧石垣空港)へ(機材はYS11だったと記憶しています)、石垣島の離島桟橋から船で約2時間で西表島の大原港へと言う経路でした。
 羽田から西表島へ当日につく事が出来ず、石垣島で1泊して翌日西表島へ向かった記憶があります。

 石垣の離島桟橋から西表の大原港への船での移動中の景色も素晴らしく、透明度の高い明るい海で水底や海底のサンゴや海藻や魚の群れまで見えて、私は普段は船酔いするのですが、海や景色を眺めているうちに西表についてしまいました。

 当時の西表島は舗装された道路もなくて、島の大きな2つの集落を行き来するには船が使われていました。
 島全体がジャングルと言う感じで、祖父の友人の家族が経営する旅館も見晴らしのいい場所に建っているものの、見渡す限り周りはジャングルで、客室は畳の部屋でクーラーなどもなく、アルミサッシもなく窓?をあけ放って蚊帳をつって扇風機で寝ました。
(蚊帳を見た事のなかった私は蚊帳の中で寝るのがワクワクしすぎて中々寝付けなかったです。)

 西表島入りの翌日、島の観光と仲間川をさかのぼるツアーに行ったのですが、道路が舗装されていない+大型のバスを運べるような船の入れる港もなかったのか、観光バスなどなくアメリカ軍の払い下げのトラックの荷台にベンチを2つ固定したもの(多分ベトナム戦争の時に兵士の輸送に使われていた?)に乗って観光。

 正にジャングルツアー(映画『ジュマンジ―2』の世界)と言う感じで、仲間川をさかのぼるツアーはリアルジャングルクルーズ、観光と言うよりは探検か冒険といった方がピッタリの旅行でした。

(↑2018年、サキシマスオウの木)

  2001年に怪獣と私の4人で西表島に再度訪れたのですが、観光地として整備されていて70年代当時の面影はなくなっていました。
でも、それなりに秘境っぽい感じを味わえて、私以外に一緒にツアーに参加した人たちは自然を満喫したり、驚いていたりしていたのですが、私は70年代の西表島の様子から随分変わってしまっていて、「あの70年代のジャングルだらけの西表島は夢だったんじゃないか?」と不思議な気分になりました。