2010年7月20日火曜日

カナダ旅行 その4 モントリオール旧市街地観光

 翌日、モントリオールのアメリカ領事館にビサのステッカーを貰いに行ったのですが、書類不備でビザのステッカーがもらえないことが判明しました。
今年(2010年)の3月29日からビサの申請フォームがが変わってしまって、従来のビサの手続きと違っていて勘違いがあったためです。

 「11時間も高速をドライブして来たのに…。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」
と、がっかりしたものの、立ち直りの早い我が家は、
「折角モントリオールまで来たんだから、観光して帰ろう」
と、一度ホテルに戻ってインターネットで観光する場所を調べてから出直す事にしました。

(↑Notre-Dame Basilica of Montreol ノートリダム聖堂
↓ノートリダム聖堂の内部)

 モントリオール市内だけでも観光スポットは沢山あったのですが、観光の時間が半日しかなかったので、旧市街地の歴史的建物を中心に見ることにしました。

 まず、手始めにノートリダム聖堂。
入場料(拝観料?)が大人:5カナダドル、子供(7-17才):4カナダドル、幼児(6歳以下):無料 (2010年7月現在)でした。
 20分のガイドツアー(英語とフランス語のみ)があったので、英語のツアーに参加しました。

 この聖堂は外観も、内部も中世のゴシック様式なのですが、建設されたのは結構最近で19世紀前半だそうです。
元々あった古い聖堂が手狭になったので建てられたもので、ツアーガイドさんの話によると、中世の建築の様に石で柱や梁などの構造躯体が出来ているのでなく、木で作られているため工期が短く出来たらしいです。

(↑↓聖堂の左右の壁には、モントリオールの歴史を描いたステンドグラスが並んでいた。)
 

 ノートリダム聖堂の裏にはチャペルがあって、1891年に建築されたものが、1978年の火災で燃えてしまい、建て直して1982年に再開したそうです。
古いチャペルはゴシック・リバイバルスタイルだったそうですが、新しく立て直されたチャペルは世界で一番大きい鋳造のレリーフで飾られていて、オリジナルのゴシック・リバイバルと組み合わせたスタイルになっていました。

(↑新しいチャペルのレリーフ)

 モントリオール旧市街地観光2に続く…

2010年7月17日土曜日

カナダ旅行 その3 夜のモントリオール市内ドライブ


 自動アップデートで記事を設定していたはずが、なかなか更新されないと思ってみたら、書いたはずの記事がなくなっていました(u_u。)。
「間違って削除ボタンを押しちゃったのかな?」
と、言う事で、書き直し。

(↑モントリオール市内の夜の交差点。
水色の矢印の先が通りの名前を表示した案内板。
小さい上に、夜なのでほとんど見えない。)

11時間のハイウエイのドライブの末、午前1時頃やっとモントリオールの市街地に到着。
とりあえず予約していたホテルへ向かおうとするのですが、これ思ったより大変でした。

というのも、まず通りの名前が書いてある案内板が小さくて読みにくい上に、全て(英語表記なしの)フランス語。
道路標識もフランス語。
おまけにモントリオール市の中心部は一方通行だらけ、で道路標識が読めなくて通り過ぎてしまうと、簡単にはもと来た道に戻れない。

(↑明るい時に写した通りの名前を書いた案内板と、道路標識。
信号の大きさと比べると、かなり小さいのがわかると思います。
おまけに色もモノトーンで目立たない。)

 さらに、あちらこちら(工事中なのか)通行止めになっていて、全く知らない迂回路を通らなければならなかったうえに、深夜だと言うのになぜか車も人も多くて渋滞していました※。

 やっと、ホテルに到着したのが午前2時過ぎでした。

 翌朝市内を歩く機会があったのですが、道路標識だけではなくて、看板もほとんど全て(マクドナルドやスターバックスなどは看板のみが英語で、メニューはフランス語)がフランス語でした。

(↑フランス語の看板)

 モントリオールのあるケベック州はカナダの他の州とは違って、フランス語が第一言語なので、看板や標識だけではなくて、話される言葉もフランス語。

 (←ガソリンスタンドの給油パネル。
英語に切り替えるボタンはあるけれど、何もしなければ表示パネルはフランス語。)

 日本語と英語しかわからない我が家は、フランス語だらけの街に当惑状態でした。
 
今回の教訓:「カナダのケベック州をドライブする時は、簡単なフランス語を知っている方が断然いい。」

 ※:私たちがモントリオールについた夜、深夜にもかかわらず交通止めや渋滞が多かったのは、工事だけではなくてジャズ・フェスティバルのイベントがあったためでした。
タクシーの運転手によると、いつもは、そんなに混んでいないそうです。

2010年7月13日火曜日

カナダ旅行その2 ハイウエイ長距離ドライブ


 ミシガン州からカナダに入った私たち。
目的地のモントリオールまでは、国境から約900㎞。
時速100㎞でノンストップでドライブしても9時間以上はかかる計算です。

(←カナダのハイウエイの案内板。
フランス語が併記されている事と、距離などの表示がメートル法で書かれている事以外は、アメリカの標識や案内板と色や形がほぼ同じ。)

(←トロントの高層住宅。
日本の風景に似ている感じです。)

 カナダに入ってすぐ、近くの銀行で米ドルをカナダドルに変えるためと、ビサの申請料を払うために立ち寄った銀行で、
「ここからモントリオールまではどの道を通って行けばいいですか?何時間くらいかかりますか?」
と、聞いたら、
「キングス・ハイウエイ401※を真っ直ぐ。ケベック州に入ったら20に変わるけれど、同じ道だから。11時間くらいかかると思う。」
との事。

「11時間!!」(゚0゚)

 私たちがびっくりしていると、両隣のブースにいた行員にも確認してくれて、そのうちの一人が、
「モントリオールまで900kmくらいだから、11時間はかからないかもしれない。
ハイウエイの制限速度は時速100kmだけれど、時速120kmまでなら捕まることは(ほとんど)ない。」
と、質問したこと以外の情報まで教えてくれました。

 自分の仕事とは関係ない質問をされた時、アメリカでは聞かれた人がわからなければ、"I don't know."でおしまいの事が多いし、他の人たちに聞いてくれる事は全くと言っていいほどないので、
「カナダ人って親切~」
と、感じました。

 カナダの国境越えで思ったより時間がかかってしまって、カナダに入った時点で午後2時を過ぎていた事と、トロント市内のハイウエイ渋滞を抜けるのに2時間半くらいかかったため、結局モントリオール市に着いたのは日付が変わって翌日の午前1時になっていました。
(結局、最初の行員が答えてくれたとおり、国境からモントリオールまで「11時間」かかってしまいました。)
 
(↑夜のモントリオールのハイウエイ) 
 
※キングス・ハイウエイ401
カナダは日本と同じ立憲君主制で、王様(又は女王)が国家元首です。
(2010年現在のカナダの国家元首は、イギリスのエリザベス2世女王です。)
カナダのハイウエイは"King's highway"と呼ばれていて、道路案内版には、一番上の写真の様に王冠のマークの中にハイウエイの番号が書かれています。

2010年7月11日日曜日

カナダ旅行その1 国境通過


 先週の火曜日(7月6日)から、ビサのステッカーを貰う目的も兼ねてカナダへ行ってきました。

(←カナダ側のゲート、小さくて見にくいのだけれど、真ん中の黒い電光掲示板に"BIENVENUE AU CANADA (フランス語で「ようこそ、カナダへ」)"と、書かれている。
画像をクリックすると大きいサイズで見られると思います。)

 今住んでいる場所から一番近い領事館はトロント(オンタリオ州)なのだけれど、面接のスケジュールの関係でその隣の州のモントリオール(ケベック州)に行く事になりました。

(←アメリカとカナダの国境の橋。
左のレーンが一般車。
真ん中のレーンは特別なパスを購入した車用。
右のレーンはトラック。)

 島国日本で生まれ育ったら、陸路で国境を越える経験がないのは当然と言えば当然なんだけれど、アメリカに住んでもう少しで5年になるというのに、今までアメリカからメキシコにもカナダにも行った事がなかった母子。
(夫はメキシコにもカナダにも出た事がある。)
今回は初めての陸路での国境越えを経験する事になりました。
子供たちは
「陸路で外国に行くなんて初めて」
と、ワクワクしていました。

 アメリカ・カナダ間の入国手続きは、結構簡単(実際、夫の職場にはカナダから毎日出勤してくる人がいる)で時間もかからないとは聞いていたのですが、イミグレのブースに並ぶのが人か車かの違いだけで、手続きは日本から入国するよりは簡単だった(I-94入出国カードの返還や記入がなかった)けれど、国境の橋に入ってからカナダに入国するまでに1時間もかかりました。

(←英語とフランス語で併記された案内板。
「とまれ、前の車が(ゲートから)出る(開放される)までは」と、書かれている。)

 アメリカ側では案内板や標識などが 英語オンリーだったのですが、カナダの公用語は英語とフランス語なので、カナダ側のゲートは全てフランス語と英語の両方で書かれていました。

 「フランス語と英語の両方で書かれているなんて、カッコイイ~」
と、感動のカナダ入国でしたが、目的地のモントリオールでは
「カッコイイ」なんて言っていられない状況に…

 カナダ旅行その2に続く…

2010年7月6日火曜日

転校手続き(怪獣) その2 二度あることは…


 前の記事からずいぶん時間が空いてしまいました。

(←ミドルスクールに隣接しているハイスクール。)

 年明けに私と子供たちのビサのステータスの変更が承認されたので、(承認されただけでは仮の状態で、パスポートにビザをつけてもらうのはアメリカの国外に出ないと出来ないため)夏休みの間にカナダにビサのステッカーを貰いに行けたらと思って、弁護士さんと遣り取りしたり書類を揃えたりで、忙殺されていました。

 最寄のミドルスクールに2度も足を運んだものの、転校の手続きが出来ないまま帰ってきてしまった私たち。
 転校の前の登録をするスクール・ディストリクト・オフィスの地図も貰ったし、必要な書類のリストも貰ったので、
「今度こそは…」
と、ミドルスクールでは手続きが出来ないとわかった日の午後に、(ちょうど夫も税金のレポートの手続きで早めに仕事を切り上げて帰ってきたので)家族で出かけました。

 「三度目の正直だ!」
と、準備も万全で出かけたつもりだったのですが…

 必要な書類のリストは、
・出生証明の原本(年齢確認のため)
・居住を証明するもの(新しく転入して来た場合は、6ヶ月以内に作られた賃貸契約書か家屋の売買契約書)
・最新の予防接種の記録
・親の写真入の身分証明書(普通は運転免許書)
・転居前に通っていた学校の名前と住所
・IEP(特殊教育のプログラム)を受けているなら、その最新のプログラム内容
・中学生以上は、履修科目を把握するために成績表
でした。

 元々粗忽者の家族の我が家が、「うっかりミス」をしでかさないわけもなく…

 居住を証明するための、売買契約書は手元に原本がなかったのでコピーを持参。
IEPのプログラム内容は最新の物のつもりが、オフィスについて確認してもらったら、1年前の書類でした。

 「IEPの書類は、転入前に通っていた学校からどっちにしろ取り寄せるからいいです。」
と、言われたけれど、
「売買契約書は、原本じゃなければ受け付けられません。」
と、言われ、オフィスの閉まる時間が迫っていたため、翌日以降に売買契約書の原本を持ってくるように言われました。

 「あ~ぁ、結局また出直しかぁ~」_| ̄|○ガッカリ

出直しで、親もガッカリしたのですが、
怪獣はそれ以上にガッカリ・・・

 
 

 今回持参した予防接種の記録で、前の州では義務でなかった予防接種が未接種だったため、
「夏休みの間、保健センターに行って受けてください。」
と、言われました。

 前回の予防接種で、
「これが最後の1回だから」
と、説得されて渋々受けに行ったのに、その他の予防接種も受けさせられた怪獣。
接種が終わった後に、
「もう、これで高校が終わるまで予防接種はナシだよ。」
と、医者から太鼓判を押されたのに…
また、予防接種を受けなくてはならなくなってしまった。

 今回も
「後、1回だけ」
と、説得したけれど、全く信用していない怪獣。

 そりゃ、そうだよな。
毎回「最後」と言われるのに、最後じゃなかった経験が3度も続けば、いくら記憶容量が少なくて、過去の経験から学ぶ能力がいまいちの怪獣だって、信用出来なくなってしまうのは当然と言えば当然。
「『これが最後は』最後ではない」事をバッチリ強化してしまった。

 二度ある事は三度…で、親も怪獣もガッカリした転校手続きだったけれど、1つだけ良いことがありました。

 怪獣が転出前に通っていた学校の夏休みは、今度通う予定の学校の夏休みより2週間早く始まって、2週間早く終わりました。
今回の転校で、前の学校で2週間早く夏休みに入って、新しい学校では2週間遅く夏休みが終わるので、合計で4週間(約1ヶ月も!w(゚o゚)w)いつもより長い夏休みになりました。 

 

2010年6月29日火曜日

転校手続き(怪獣)


 電化製品が壊れていたり、家具がなかったりで、引越しが完全に終わって落ち着くまでには時間がかかりそうだけれど、とりあえず秋から怪獣が通う予定の学校へ転校手続きに行く事にしました。

(←最寄のミドルスクール)

 今住んでいる家から学校は近くて、徒歩圏内なので、
「お散歩がてら歩いていってみよう」
と、いうことになって、娘と怪獣と私の3人で歩いていきました。

 朝は引越しの荷物の整理などをして、午後2時頃から遅い昼食を食べて、3時くらいから出かけました。
学校に着いてみたら、学校の建物自体は開いていたのですが、オフィス(事務所)は3時までで閉まっていました。_ノフ○ グッタリ
 
 仕方がないので、翌日出直すことに…

 翌日、今度は午前中に出かけて、オフィスは開いていたのですが、
「州外からの転校は、まず最初にスクールディストリクトのオフィス(教育委員会?)に行って登録を済ませなければ出来ない。」
と、言われ、必要な書類のリストと、スクールディストリクトのオフィスへの地図を貰ったのですが、少し遠くて徒歩では行けなかったので、一度家に戻ってから車で出直す事にしました。

 転校手続きをするだけなのに、すでに2回も空振りなんて…
ちょっと幸先が良くない気がするけれど、今度こそは「3度目の正直」になるか、それとも「二度あることは三度…」になるのか…

 (長くなりそうなので、次回の記事に続けます…)

2010年6月26日土曜日

家具がない (ρ_;)


 引っ越す前に夫が住んでいたアパートは家具付きのマンスリーアパートだったし、私が住んでいたアパートにあった家具も半分はアパートに付いていた家具だったので、今の家に入居した時は家具がほとんどない状態でした。

 日本からの引越しの荷物は届いていたのだけれど、家具と呼べるものはシングルのベッドとマッサージ・チェアだけ、荷物のほとんどが夫の趣味の道具だったので、私たちが引っ越すまでは夫は何もない家に寝に帰るだけの生活をしていたようです。

 家具のほとんどないガランとした家で住んでいる私たちを見て気の毒に思ったのか、引越しの手伝いに来てくれた夫の職場の同僚Lさんが
「使わない家具を譲ってもいいという友人がいるから、紹介してあげる。」
と、言ってくれて、ソファーセットとダイニングセット、本棚、サイドテーブル等を無料で譲ってもらえました。
(これで何とか人の住んでいる家らしくなりました。)

 後は、インターネットの日本人のコミュニティーの掲示板や、craigslist(クレイグスリスト)のfor sale(日本で言う「不用品の情報交換の掲示板」のようなもの。業者が新品を出している事もあるので、全部が「不用品」とは言い切れないけれど、不用品が取引される事が多い。)で、少しずつ探して行こうという事になりました。

 特に、クレーグズリストは数が豊富で、掘り出し物もあるので、マメにチェックしています。
(世界の色んな都市ごとに掲示板が分かれていて、日本の幾つかの都市の掲示板もあります。
日本で普通に売っている家具が出ている事が多いけれど、米軍基地があるエリアからの出品にはアメリカの家具などが出ていることもあります。
アメリカの家具に興味がある人は、英語だけれど、覗いてみるのも面白いかも。)

 (↑の写真はクレーグズリストで見つけて購入したもの。
どれも中古品なので、修理が必要なものもあるけれど、新品を買うよりはかなり安かったです。)

2010年6月24日木曜日

やっと、インターネット開通


 先週の金曜日、やっとインターネットの接続工事が入りました。

 金曜日の時点で、工事が入る前までに届くはずのモデムがまだ届いていなかったので、インターネットの工事の人に、
「モデムがまだ届いていない」
と、話すと、最初は
「モデムが着いたら自分で接続して」
と、言っていました。

 何もかも対応の遅いアメリカのことなので、
「いったい何時になったら、モデムが届いてインターネットが使えるのやら…┐(´д`)┌ヤレヤレ」 
と、思っていたら…

 外の接続工事を終えた作業員が、
「手持ちのモデムがあるから、モデムの設定もやってあげる。もし、後でモデムが届いたら電話してくれれば、届いた方のモデムは取りに来るから。」
と、言ってモデムの設定もしてくれました。

 インターネットの工事が入ってから今日で6日目。
配達される予定のモデムの届く気配は全くない。
どうやら、モデムの方は郵送されていなかったみたい。
 作業員がモデムを設定していかなければ、未だにインターネットが使えなかったかも…

 アメリカに住んでもう5年になるから、慣れてきてはいるのだけれど、アメリカの企業の対応の遅さにはうんざりです。

2010年6月22日火曜日

ディッシュ・ウォッシャー


 アメリカには日本人の私には理解不能の台所用品が時々売られています。
缶の蓋を開けてくれる缶オープナーや、リンゴの皮むき器、ミキサー(泡だて器?)とボウルがセットになっていてボタン1つで何でも混ぜてくれるもの等、
日本の台所にあったら
「こんなの邪魔だろう。」
「機械にやらせないで、自分の手でやった方が速くない?」
と、思えるようなガジェット(小道具)がいっぱい。

 便利と言えば便利なのだけれど、場所を取るので日本では一般的でない物もアメリカの家庭の台所に普通にあったりします。

便利な物好きなアメリカ人のことなので、
「日本ではあまりポピュラーじゃないディッシュ・ウォッシャー(食器洗い機)も、冷蔵庫の様にどの家にも標準装備だろう」
と、思っていたのですが、意外にもディッシュ・ウォッシャーの普及率は50%とかなり低いので驚きました。

 そういえば、引っ越す前の私たちの住んでいた家族向けのベースメント・アパートには付いていなかった。
家賃が安かったからだろうと思っていたけれど、どうやら家族向けのアパートにはディッシュ・ウォッシャーの付いていないところの方が多いみたい。
対照的に、独身の学生などがルーム・シェアで住むようなアパートにはディッシュ・ウォッシャーが付いているところのほうが多いです。
独身学生のアパートにディッシュ・ウォッシャーがないと、汚れた皿が台所に山積みになった挙句、誰が洗うのかでトラブルになる事を大家が見越してのことだろうと思われます。



追記:

 ちなみに、アメリカのディッシュ・ウォッシャーは馬鹿でかい。
フライパンや鍋も食器と一緒に洗える大きさがあります。
我が家では、包丁などのディッシュ・ウォッシャーに入れられない物を除いて、1日分の食器と調理器具を寝る前にディッシュ・ウォッシャーに放り込んで洗っています。

 この便利さに慣れたら、ディッシュ・ウォッシャーのない生活なんて洗濯機のない生活以上に考えられないのに、どうして普及率が50%なんだろうか?
と、不思議。
自分で食事を作るよりファースト・フードでテイクアウトする方が安いこともあるアメリカでは、調理器具や食器なんてなくても生活できてしまうからなのだろうか?

2010年6月19日土曜日

洗濯機&乾燥機故障


 引っ越した先の家は1970年代後半に建てられた中古住宅です。
日本だと築30年以上の家は住宅の価値はほとんどなく、土地だけの値段で取引されるかなり古い住宅と言うイメージですが、アメリカでは築30年の家は比較的新しい部類に入ります。

 内装や外装をこまめにリフォームして新しい機器などを付け加えていけば、かなり古い家でも新築の家とほぼ変わらない値段で取引されます。
そのためか、アメリカでは持ち家の手入れやリフォームを定期的にやる人が多いです。
(庭の手入れも含めると、一年中手入れかリフォームをしている状態です。)

 リフォームが盛んなアメリカで、我が家が引っ越したのは、正真正銘の築30年越えの中古住宅。
屋根とヒーターと給湯タンク以外は、ほぼ建築当時のまま。
家に備えつけてあった冷蔵庫も調理器具も洗濯機や乾燥機も、多分新築当時に購入したものではないかと思われるようなものでした。

 使ってみると、調理器具と冷蔵庫は使用可能だったのですが、洗濯機と乾燥機は故障?(多分寿命だと思う)している事が判明。
洗濯機はすすぎの時にドラムが動かないし(水を溜めて排水するだけ)、乾燥機は5時間くらい回さないと洗濯物が乾かないうえに、タイマーが壊れていました。
どちらも使おうと思えば使えないことはない(洗濯機は「洗い」を2回繰り返してすすぎの代わりに出来るし、乾燥機は5時間回せば良い)けれども、電気代と水道代を考えるとなるべく早く買い換えた方がよさそう。 

引越しでお金が飛んでいったばかりなのに…(つд⊂)エーン

 

と、言うわけで、新しい洗濯機と乾燥機に買い換えるまでは、とりあえず洗濯だけして乾燥は部屋の中ですることにしました。
日本と違って乾燥しているので、部屋のクロゼット(作り付けの洋服ダンス)に吊るしてクロゼットを開けておけば乾く。
バスタオルなどの大物は、ホワイエ(玄関ホール?)の階段の手すりに干す事になりました。

(↑よそいき顔のホワイエ)

ホワイエは家に入って最初に目にする場所なので、その家の「顔」なのに…(T_T)

 半円型に伸びた階段と手すりが上品な感じで綺麗だったのに…
バスタオルを干すと、晴れた日の集合住宅のバルコニーのような感じ。
(洗濯物の干されていない時はおしゃれな感じだけれど、洗濯物があるだけで一気に生活感が…というか、これで布団を干せば洗濯物干し台以外の何物でもでもない状態)

 玄関を開けると生活感が前面に出てお出迎え、お客様を迎えるよそいき感が全くなくなってしまった。

(↑洗濯物の干された生活感たっぷりのホワイエ)

そういえば、私の実家の階段(玄関を入ってすぐの所にホワイエのような吹き抜けの階段があった)も雨の日に洗濯物を干すのに使われていたっけ。

雑誌やモデルルームのようなおしゃれな階段を維持するには、やはり乾燥機が不可欠なのだろうか?

2010年6月16日水曜日

ナチュラルハウス


 こちらに着いてすぐ、インターネットと電話の接続を申し込んだのですが、どうしたわけか、電話のみの工事が来て、インターネットの工事は来なかった。

 夫のワイヤレスも、新居では接続が不安定で使えない日もあったりして(会社と前に済んでいたアパートでは問題なく使えたらしい)、約10日ぶりの更新になります。

 アメリカ大陸ほぼ横断引越しを、たったの2日で強行した我が家。
引越し先は、夫の会社の隣の市の築30年を超えの中古住宅。
到着した時は深夜だったため、真っ暗で何も見えなかったのですが、翌朝起きて窓から庭を眺めると、何か動くものが庭を横切っていきます。

 「何だろう?」
と、思ってよく見ると、リスや鳥やウサギでした。

(←玄関先に出没した鳥とリス)

 特にリスや鳥は近所の家で餌台を庭に置いてある家があったりして、人間になれているせいか、結構ドアや窓の近くまで寄ってきます。

 元々は森だったところを切り開いて住宅地にしたらしく、時々鹿なども庭に出没します。

 (←リビングの窓からお隣の庭を眺める猫たち。
鳥やリスが庭を横切るので、何時間でも眺めている。)

 昆虫も沢山いるし、動物も頻繁に室内から眺められるので、怪獣は
「ここって、ナチュラルハウスか何かじゃない?」
と、キャンプか林間学校に来た気分。
 猫たちは、窓から庭に出没する小動物を眺めて興奮気味。

 引越し前に住んでいた市(ロッキー山脈の麓でかなりの田舎。その代わり自然や景色はナショナルパーク並み)に比べると、人口も多いしメトロポリスの郊外ということで、もっと都会で殺伐とした感じだと思っていたので、今住んでいる家の周りに自然がいっぱいで静かな環境なので、ちょっとホッとしている所です。 

2010年6月7日月曜日

約2000マイルの大引越し


 6月に入って初めての更新です。

 去年の秋に夫がアメリカ転勤になって以来、夫は北アメリカ大陸の東部に、私と子供たちは西部に住んでいました。
子供たちの(特に娘の)学年が終わって、夏休みに入ったので、夫の住む州に引っ越すことにしました。 

(←ユタ州からワイオミング州へ向かう、ロッキー山脈越えのルート。)

 日本から夫が転勤した時には、引越しの費用を会社が出してくれたのですが、今回の私たちの引越しの費用は自腹だったので、レンタルトラックを夫が運転して荷物を運び、今使っている乗用車を私が運転していくことになりました。

(←多分、ネブラスカ州かアイオワ州に入ったばかりのところ。
ロッキー山脈を越えると、あとはひたすら平坦な草原が続く。)

 (←ナショナル・パーク巡りが趣味の我が家、引越しの途中で車の走行距離のメーターが11万1千1百11マイルのぞろ目になったので、運転しながら撮影しました。)

 日本に住んでいる友人には、
「夫さんが住んでいる町に引越しなの?アメリカ国内だから、日本から引っ越すより近いわよね。」
と、言われるのですが、
直線距離で約1700マイル(2720km)、実走距離は約2000マイル(3200km)近い長距離移動。

 6月3日に、アメリカ大陸ほぼ横断の引越しに出発した我が家。
1日当り15時間近くのドライブの末、6月4日の深夜(正確には、6月5日の午前2時ごろ)やっと夫の住む町に到着しました。