2017年9月10日日曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その4

(↑フランス城⑪)

 砦の中で一番大きな建物がフランス城(The French Castle)⑪。
フランス城は1726年にフランスによって建てられたもので、北米の五大湖地域の(現存する?)最古の建物らしいです。

※:○で囲まれた番号は3つ前の記事の案内図の番号です

(↑1727年当時のフランス城の内部
画像クリックで拡大
A:貿易物品の倉庫、B:貿易事務員の部屋、C:玄関ホール、D:守衛部屋/簡易ベッド付き兵舎、E:火薬倉庫、F:貯蔵室、G:食糧貯蔵室、H:製パン室、I:聖具保管室、J:礼拝室、K:指揮官事務室、L:指揮官の部屋、M:士官用食堂、N:士官の部屋、O:士官の台所、P湖岸の窓へ通じる廊下)

・1階

(↑貿易物品の倉庫A)

 フランス城はフォートナイアガラの要塞施設として建設されたが、原住民のイロコイ族の警戒心を和らげるため、貿易所という名目で建設、1階の貿易室では実際にインディアンとの交易が行われていました。

(↑玄関ホールCにある井戸)

 玄関ホールCにある井戸は1726年~1815年頃まで使われていましたが、1926年に再び開けられるまで閉鎖されていました。
 殺されたフランス士官が首なし幽霊になって井戸に出没するという言い伝えがあったそうです。

(↑1階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑製パン室H)

(↑食料貯蔵室G&F)

 1階の1727年当時は食料貯蔵室だったGと二つある貯蔵室だったFのうちの一つは、現在は内壁を取り払って繋げられて食堂として展示されています。

(↑1727年当時貯蔵室Fだった場所にある暖炉)

(↑貯蔵室F)

(↑火薬倉庫E)

 

・2階

(↑2階のホール。
1階の玄関ホールの真上C)

(↑2階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑礼拝室J)

 2階の礼拝室は西部ニューヨーク州に現存する最古の教会らしいです。

(↑指揮官の部屋L)

(↑士官用食堂M)

(↑士官の部屋N
左の画像の奥に士官の台所が見える)

 士官の台所は現在は作業所になっていました。

・屋根裏

(↑はね出しはざま)

 フランスが支配していた時代は、屋根裏の張りだした屋根裏窓に、銃や小さな大砲が置かれていましたが、1812年戦争の時に屋根が取り外されて塁壁が築かれ、対岸のフォートジョージを攻撃するために大砲が置かれていました。

(↑屋根裏の空間)

 現在の城は1926年~33年にかけて修復されたもので、城の内部の調度品などはフランス支配時代の雰囲気を作るために18世紀半ばのスタイルに複製されて置かれているそうです。

2017年9月9日土曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その3

 (↑砲台回廊への南側入り口)

 内岸の壁(Scarp Walls)と砲台回廊(Casemate Gallery)⑰は、アメリカが1863~72年の間に対岸のカナダ(イギリス領)との緊張状態を反映して防衛のために土塁をコンクリートと煉瓦で補強し大砲を設置するための回廊を建設したものです。

(↑砲台回廊からの眺め)

 砲台回廊が完成した1872年までに緊張は収まり、一度も砲が置かれることはなかったらしいです。

(↑左:南砲台回廊
中:中央のゲート、右:北砲台回廊)

(↑北方形堡⑭とミレーの十字架⑬)

 北方形堡(The North Redoubt)⑭は砲台回廊を挟んで南方形堡と対になる位置にある建物。

(↑北方形堡の入り口)

 1771年にイギリスが建造したもので、北方形堡の1階には火薬庫があったらしいです。
(現在、1階部分はデモ用の大砲を仕舞って置く場所になっていました。)

(↑北方形堡3階)

(↑北方形堡3階からの眺め
上:フランス城側
下:砲台回廊側)

※:○で囲まれた番号は2つ前の記事の案内図の番号です

2017年9月8日金曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その2

(↑五か国の門②とドーフィン砲台④:1756年フランス時代)

 ナイアガラ砦観光の記事はいつもの3日に1度の更新ペースでUPの予定でしたが、9記事もあるため旅行記で9月が終わってしまいそうなので、今日から観光の記事が終わるまでは毎日更新することにしました。

(↑門の内側からのナイアガラ川の眺め)

 五か国の門(Gate of Five Nations)はフォートナイアガラの正門、イロコイ五か国連合をたたえてフランス軍によってつけられた名前です。

(↑五か国の門の釣り上げ橋を上げ下げする門の内部にある左右の錘)

 門の手前は釣り上げ橋で、門の中には橋を上げ下げする錘が左右に設置されている。

(↑砦の内側から見た五か国の門)

(↑南方形堡③:1770年イギリス時代)

 五か国の門を通りぬけるとすぐ近くに南方形堡(South Redoubt)があります。

(↑南方形堡の内部:1階)

 南方形堡は五か国の門の防衛と大砲用の高台を作るために建造された建物。
対になる北方形堡⑭が内岸の壁を挟んで反対側にある。

(↑南方形堡の内部:2階兵隊用詰所)

(↑南方形堡の内部:階段)

 英語のRedoubtの意味は小さな砦と言う意味で、日本語の案内には『堡(ほう)』と書かれているけれど、私の持っている日本語の辞書には『堡』という項目はなく、中国語なのかもしれない、と思った。

(↑南方形堡3階:大砲)

(↑南方形堡可らの眺め
上:砲台回廊⑰と北方形堡⑭と3つの歴史的旗⑮
下:ドーフィン砲台④)

 砦の中央にある3つの歴史的旗(The Three Historic Flags)⑮は、オールドフォートナイアガラを支配した3つの国の旗が掲げられているそうです。
 白いフランスの旗、イギリスのユニオンジャック、アメリカの15の星と15の線の合衆国旗だそうですが、私たちが行った時はあまり風がなくよく見えませんでした。

※:○で囲まれた番号は一つ前の記事の案内図の番号です

 

2017年9月5日火曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その1

 8月の第2週の週末にイースターの時に行ったけれど、閉園時間が近くて見る事のできなかったオールドフォートナイアガラ(ナイアガラ砦)へ行きました。

(↑南方形堡③と食物貯蔵庫⑤)

 ナイアガラ砦はナイアガラ川が五大湖の一つのオンタリオ湖にそそぐ河口にある歴史的建物群と遺構です。
 有名な観光地ナイアガラ滝から北に約22キロ川を下ったところにあります。

(↑ナイアガラ砦の案内地図

①陸防壁、②五か国の門、③南方形堡、④ドーフィン砲台、⑤食物貯蔵庫、⑥火薬倉庫、⑦丸太小屋、⑧川防壁、⑨ラサールの記念碑、⑩製パン所、⑪フランス城、⑫ラシュ‐バゴット記念碑、⑬ミレーの十字架、⑭北方形堡、⑮3つの歴史的旗、⑯加治小屋、⑰内岸の壁と砲台回廊、⑱18ポンド砲)

 ナイアガラ砦はFort Niagara State Park(Fort Niagara州立公園)内にあって、州立公園への駐車料金が車1台8ドル、砦への入園料はビジターセンターで払い、大人一人12ドル(砦の入園料を払うレジで駐車場のレシートを渡すと入園料から駐車料金を引いてくれる)でした。(2017年8月現在)
 入場料を払うとパンフレットを渡してくれて、それが入場チケットの代わりになっていたようです。
(私たちは日本語の案内も貰うことができました。日本語版は英語版のパンフレットより説明が詳しかったです。
貰ったパンフレットのナイアガラ砦の歴史を簡単にまとめたものをこの記事の最後↓に書いたので、興味のある方はどうぞ…)

(↑陸防壁①フランス時代)

 ビジターセンター内に小さな資料館があって、そこで展示とナイアガラ砦を紹介する簡単なオリエンテーションのビデオがみられて、それを見た後自分で砦内を見てまわるようになっています。
 ビデオの上映の後、希望者にはビジターセンター最初のいくつかの遺構や建物の説明(英語)をしてくれる簡単なツアーがありますが、私たちが参加した時は入り口までのガイドという感じでした。

 最初に見たのは陸防壁(案内図の①)で、ビジターセンターを出てすぐの所にありました。
 この陸防壁と五か国の門(案内図の②)まではガイドがついて説明してくれました。

五か国の門を含めた砦内の観光の様子は次回へ…

 

 

 

ナイアガラ砦の歴史

 ナイアガラ川の河口付近は植民地時代から1825年にエリー運河が完成するまで大西洋から五大湖へ至る物流の要所だったため、軍事的に奪い合いが続いた場所でした。

  フランス、イギリス、アメリカ合衆国の3つの国がナイアガラ砦の支配権を巡って戦闘が繰り返され、1679-1759年まではフランス、1759-1796年の(アメリカ独立戦争※1中も含む)期間はイギリス、1796年の条約で砦は1度アメリカに引き渡されますが、1813年に(1812年戦争※2で)イギリスに奪還され、1815年の戦争終結時に再びアメリカに返還されています。

 1815年以降は国境駐留地や兵士訓練所や兵舎として使われ、1963年に最後の軍隊が撤退しました。

 現在の建物は1926年~1934年にかけて復元され、オールドフォートナイアガラ協会とニューヨーク州公園/レクレーション/歴史保存管理局と協力して管理しています。

※1:アメリカ独立戦争
 1775年4月19日~1783年9月3日までのイギリスとアメリカ東部のイギリスの植民地13州との戦い。
 1776年7月4日にアメリカは独立宣言するが、戦闘は1781年まで続き、1783年のパリ条約で戦争が終結する。

※2:1812年戦争
 1812年6月~1815年2月まで、イギリス(カナダ)とアメリカ合衆国の間の植民地争奪戦争、第二次独立戦争ともいわれる。
 インディアン(原住民)の部族も巻き込んだ戦争で、インディアンは部族でイギリスとアメリカに分かれて参戦したため、多量に虐殺され彼の土地を奪われる結果になった。
 

2017年8月30日水曜日

ブルーベリー・ヨーグルト・チーズケーキ

 節分の食事会にお招きしたアメリカ人(R.Cさん)とドイツ人のカップルがこの春結婚して、8月の第3土曜日に新居に引っ越したのでパーティーに招かれた。

 結婚と引っ越しのお祝いという事で、夏至の日に作ったブルーベリー・ヨーグルト・チーズプチフールの大きいケーキを作って、ケーキプレートとドームに入れて入れ物ごとプレゼントにすることにした。


(←夏至の日に作ったプチフール)

 パーティーに持っていったら、好評でR.Cさんからレシピをリクエストされた。
(R.Cさんは副業で日本語を教えていて、日本語を読むことができるので、)日本語のレシピでいいか?と訊いたら、OKということだったのでレシピを渡すことにした。
 折角レシピを書くならブログにも乗せちゃえ…と言うことで、以下は作り方です。

材料:(21㎝の底の抜ける型1つ分)
ケーキ
・スポンジケーキ …24㎝の型で焼いたもの
・粉ゼラチン …6g
・クリームチーズ …300g
・プレーンヨーグルト …120g
・ブルーベリージャム …140g
・生クリーム …70g
・レモン汁 …大さじ1~2(好みで調整)
飾り
・ブルーベリー適宜(200g?)
・ブラックベリー適宜(200g?)

(↑プレゼントしたケーキスタンドとドームとケーキ)

作り方:
①粉ゼラチンは水に浸してふやかしておく。
②クリームチーズは2㎝角に切って室温に戻しておく
③スポンジケーキの焼き色のついた上の部分と横の部分を切り落として21㎝の型に合うようにし、横に2等分する。
④フードプロセッサーかミキサーにクリームチーズ、ヨーグルト、ブルーベリージャム、生クリーム、レモン汁を入れ滑らかになるまで混ぜる。
⑤①のふやかしたゼラチンを電子レンジ弱で30秒またはゼラチン液になるようにとかす
⑥④に⑤のゼラチン液を入れてフードプロセッサーで撹拌してムース液を作る。
⑦21㎝の型の底にワックスペーパーを敷き、内側サイド(横)にも長方形に切ったワックスペーパーを敷く。
⑧⑦の底に③でカットしたスポンジ1枚を敷き、⑥のムース液の半分を流す。
⑨⑧をフリーザーで30分ほど冷やし、ムース液が固まったら残りのスポンジをムースの上に置いて、残ったムース液を再度軽く撹拌してスポンジの上に流し込む。
⑩冷蔵庫に入れて3時間くらい上の段のムースが固まるまで冷やす。
⑪ムース液が固まったら、型を外して皿に移し、サイドについているワックスペーパーをはがす。
⑫飾りのブルーベリーとブラックベリーを洗って、キッチンペーパー(ペーパータオル)で水気をよく切って⑪のケーキの上に飾る。
⑬出来上がったケーキは食べる直前まで冷蔵庫で冷やしておく。

 

 

余談:

 ケーキ作りとは全く関係ないのだけれど、R.Cさん夫妻の新居パーティーに行ったら、R.C妻さんの知り合いのドイツ人の家族も来ていた。
 R.CさんもR.C妻さんも再婚同士で、そのドイツ人の家族の旦那さんはR.C妻さんの前の旦那さんと同じ会社に勤めていて、子どもの年齢が近かったことから離婚前から家族ぐるみでお付き合いのあった家族だったらしい。

 私とその家族の奥さんが
「初めまして~…」とお互い(英語で)自己紹介をしていたら、
 うちの夫とその家族の旦那さんが「(僕を)覚えてる?」「久しぶり!」とお互いを見た途端、歓声をあげている。 
 なんと、その家族の旦那さんは夫が日本にいた時に働いていた会社のボス(上司)だったらしい。
ヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!
「いやぁ~世界は狭いねぇ~」
と、皆で驚いた。

 

 

2017年8月27日日曜日

A Street Cat Named Bob
ボブという名の猫 幸せのハイタッチ


 『A Street Cat Named Bob』は2016年のイギリスの伝記ドラマ映画。
 ジェームズ・ブラウンの同名の本を元に作られた映画で、本は著者の薬物依存から抜けだした経験を元に書かれた作品。
 邦題は『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』で2017年8月26日公開らしい。(この記事を書いている時点では未公開)

 ジェームズ・ブラウン(ルーク・トレッダウェイ)はヘロイン依存症でホームレス。
 ロンドンの路上でギターと歌のパフォーマンスで投げ銭をもらって生活しているが、収入はほぼ0でゴミ箱を漁って食料を手に入れるしかないこともある底辺の生活をしている。

 ジェームズには父親がいるが、父は再婚して小さな子どももいて、再婚相手はジェームスを嫌っており、父もジェームズを煙たがっている。

 ジェームズはある日ドラッグ仲間と一緒に打った薬物が原因で死にかけて、病院に搬送される。
 病院で目が覚めたジェームズは彼の担当になるサポートワーカーのヴァル(ジョアン・フロガット)に、1回きりの過ちだったと告げて病院を出ようとするが、薬物依存であることを見抜かれ、ヴァルの監視下に置かれることになる。

 ヴァルはジェームズは薬物依存から抜けることができれば、更生できると考え住む場所提供できるように奔走し、ヘロインの解毒のためのメサドンを処方して、定期的にヴァルとのカウンセリングを受けるようにジェームズに約束させる。

 ジェームズが提供されたボロアパートに入った初日に、1匹の猫が迷いこみ、翌日アパートを回って飼い主を探すも見つからず屋外に放すが、夜には怪我をしてジェームズのアパートに戻ってきてうずくまっているのを見つける。

 見かねたジェームズは、猫の飼い主探しの時に知りあった同じアパートに住むベティ(Ruta Gedmintas ルタ・ゲドミンタス)に相談すると、ベティはその猫にボブという名前をつけ、彼女がボランティアしている診察費が無料の獣医を教えてもらってそこへ連れていく。

 ジェームズはその後獣医に勧められるままボブに去勢手術をした後、野良に戻そうとするがボブはジェームズにくっついてはなれず、仕方なくストリートのパフォーマンスに連れていくことになる…

 この作品はタイトルにCatとついていたので、興味をそそられて図書館から借りてきました。
 タイトルにCatとついているだけに、どのシーンも猫のボブの映像がいっぱいで、猫好きにはたまらない作品なのではないかと…
 猫と映画が好きなら、お勧めの作品です。
もちろん、猫好きじゃない人でも楽しめる作品で、本を出版した時のサイン会でジェームズが
「友達のベティがいっていたのだけれど、『誰にもセカンドチャンスは与えられるけれど、そのセカンドチャンスを掴める人は少ない。』…」と、話すセリフがいいなぁ…と思いました。

(←著者のジェームズ・ブラウンと猫のボブ)

 映画の中でボブを演じている猫はかなりカメラ慣れしてるなぁ…と思ったら、ボブ本人(本猫?)だそうで、本の著者のジェームズ・ブラウン本人も映画の最後の方で端役で出演しています。
 

 

 

 

 

2017年8月24日木曜日

Eclips 日食観測


 8月21日は北米で日食が見られるという事で、我が家も裏庭で観察した。

(←日食当日の朝。
薄雲り、果たして観測できるのか?)

 皆既食の見られる地域もあったようだが、我が家で見られたのは部分食で8割くらい欠けるという事だった。

 知り合いによると、最寄りの皆既食の見られるところは車で8時間くらいかかるらしく、天気予報で現地の天気をモニターしていたのだけれど、曇り/晴れの予報でだったので、前日まで迷った挙句行かないことになった。

(←ピンホール法の観測機器?)

 天気が微妙だったため日食グラスやフィルターのようなものは買っていなかったので、ピンホール法で観測することにした。

 ピンホール法は、光を通さない紙に小さな穴を開けて、穴を通った光を白い紙に移して観測する方法なのだけれど、穴のサイズがわからなかったのでネットで調べたら、使用済みテレホンカードのパンチ穴くらいのサイズらしい。
(穴が大きいと光を通す紙と移す紙の距離が長くなるし、ぼやけの度が大きくなるらしい)

(←無効になったパスポートのパンチホールの穴を通った光を写したところ)

 テレカなんてこっちににはないし、日本でも今どきテレカなんて使わないだろう。
 何かないか…と家の中を探していたら見つけたのが期限切れで無効になったパスポートのパンチホール。
 試しに光を通してみると使えそうだったので、パスポートの穴を型にして、色画用紙に目打ちで穴を開けて、ピンホール観測の道具のできあがり。

(←画用紙に開けたピンホールの光をうつしたところ)

 段ボール箱などを使って、焦点を調整して光をうつすほうの紙の周りを暗くすると見やすいらしいけれど、工作が面倒だったのと、写真が撮りにくそうだったので、人間がピンホールの空いた紙を持って焦点を合わせる最も簡単な(原始的な?)方法で観察することにした。

(↑欠け始め)

 我が家で日食が始まったのが午後1時を少し過ぎたあたりでした。

(↑欠け始めの画像の部分拡大画像)

 左側から欠け始めました。

(↑欠け始めから30分)

(↑欠け始めから30分の画像の部分拡大画像)

(↑欠け始めから55分)

(↑欠け始めから55分の部分拡大画像)

(↑欠け始めから1時間13分、食の最大の頃?)

(↑欠け始めから1時間13分の画像の部分拡大画像)

 食が最大になった頃に薄雲が出始めて、(危険だけれど)サングラスをかけて太陽をチラッと見る事ができたので、(フィルターのついていない)カメラを直接太陽に向けて撮影してみることに…

(↑薄雲のかかった太陽)

(↑一つ上の画像の部分拡大画像)

 『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』で、数枚の日食の画像の撮影に成功?

(↑欠け始めから1時間30分)

(↑欠け始めから1時間30分の画像の部分拡画像
欠け残りの部分が左上に移動してもどり始める)

(↑欠け始めから1時間58分)

(↑欠け始めから1時間58分の画像の部分拡大画像)

 食の最大が過ぎて後は薄雲がかかることが多く、ピンホール法では観察が難しかった。
(太陽が満ちてきて光量も多くなると、フィルターや専用グラスなしで太陽を見る事もできなくなった。)

(↑欠け始めから2時間30分)

(↑欠け始めから2時間30分の画像の部分拡大画像)

 欠け始めから2時間30分の頃には、太陽も完全にもとに戻っていた。

(↑左:食の最大の頃の裏庭
右:日食が終わった頃の裏庭)

 食の最大の頃と日食が終わった後の裏庭の写真も撮ったのだけれど、パッと見にはあまり変わらない。
 実際目で見た感じだとかなり薄暗い感じがしたのだけれど…

 アメリカ人の友人によると、次に同様の日食が北米で見られるのは約90年後だそうで…
どう考えても私はそれまで生きていられないよなぁ…

 

 

おまけ:

(↑日食イベントの案内のマーカー)

 日食の日の朝に図書館の近くの公園にポケモンGOをしに行ったら、図書館の駐車場が閉鎖されていて、日食観測のイベントの準備をしていた。
 図書館で日食観測のイベントがあることは知っていたが、1月前にイベントの説明会があってそれには参加していないので、参加することができなかった。
(一月前までは皆既食の見られる地域に行く気満々だったから…)

(←娘の大学で無料で配られていた日食グラス)

 夏休みの間帰省していた娘は、日食の日から大学の授業が始まるので、日食の前日に他州に戻っていた。

 大学に行くと無料で日食グラスを配っていたが、日食の時間は会計学の講義の時間と重なっていたため観察を諦めていたらしい。
 ところが、講師が
「みなさん、今日は日食です。
私はこれから日食を見に行くので帰ります。
皆さんも日食(見たかったら)みてください」
と、授業を早めに切り上げてくれたそうです。

(←娘がスマホに日食グラスをかけて撮影した画像)

 私と怪獣が裏庭で日食観測をしていたら電話がかかってきて、無料で配られた日食グラスの画像とスマホで撮影した日食の画像を送ってくれた。