2009年1月30日金曜日

モンブラン


ここが田舎だからなのか、アメリカに来てから一度もモンブランを売っているのを見た事がないです。
 ガナッシュやチーズケーキを売っている専門店は見た事があるのですが、日本のようなケーキ屋さんは見た事がないです。

 去年の暮に、突然モンブランが食べたくなったので、自分で作ろうと思ってマロンクリームの缶詰を探したのですがどのお店にも置いてませんでした。
栗の甘露煮も見つからず、やっと近くのスーパーで生栗(500gで8ドル!すごく高かった)を見つけて作ることができました。

生栗から作ったので、日本で売っているような黄色いモンブランにはならなかったけれど、味はモンブランそのもので美味しかったです。

 また機会があったら作ってみたいですが、生栗の手に入る季節にしか作れないのが残念です。
日本ならケーキ屋さんに行けば食べたい時にいつでも食べられるのに・・・
和食にはあまり未練のない我が家ですが、日本のケーキには未練いっぱいです。

2009年1月28日水曜日

スパニッシュ(スペイン語)のクラス

 今学期はスパニッシュのビギナー(初級)のクラスを取っています。
 日本で私の卒業した学科は、第2外国語が必修ではなかったので(英語が苦手で英語の単位を取るだけで精一杯だったと言う事もあって、)履修していませんでした。
ところが現在の専攻では2ヶ国語以上の外国語が必修で、おまけに「留学生の場合は母国語は外国語として認めない」と言う事だったので、日本語以外の何か二ヶ国語を履修しなければならなくなりました。

 普通の授業も辞典が必要なくらいのおぼつかない英語なのに、その堪能でない英語で他の外国語を学ぶのは大変そう
こんな事なら、日本の大学で第二外国語を履修しておけば良かった
と、後悔したのですが、後の祭りです。
仕方がないので、今学期はスパニッシュを取ることにしました。

 スパニッシュを取ろうと思ったのは、私とがよくヒスパニックに間違われるからです。
英語とスペイン語と両方喋れる人に間違われるのは、英語で説明すればいいので問題ないのですが、スペイン語しか喋れない人が話しかけてくるとお手上げです。
英語でいくら説明してもなかなかわかってもらえなくて、しばらく英語とスペイン語で会話?をして、やっと「スペイン語が通じないんだ」と言う事がわかってもらえる状態です。

 あんまり頻繁に間違われるので、メキシコ人に
「デスクリペ、ノー アブロ エスパニョール(申し訳ありませんが、スペイン語が話せません)」
と言うフレーズを教わって、スペイン語で話しかけられるたびに使っていたのですが、一言でもスペイン語を話すと、
「喋れない」と言っているにも関わらず、
「今喋ったじゃない。」
と、言う流れになって更にややこしい事になってしまったりしていました。

 アメリカは英語の次にスペイン語人口の多い国なので、簡単なスペイン語を勉強するのは(単位のためだけではなくて、)実生活にも役に立つのではないかと期待していますが、「果たしてこの年齢で新しく学ぶ外国語がどれだけ身につくのだろう?」
と、いう不安もあります。

今回の教訓
必修でなくても第2外国語は履修しておく方が良い。」

2009年1月26日月曜日

英語の勉強法4 (アバウト暗記法)

時々日本人の留学生に、
「Yuukiさんは、日本が恋しくなったり、英語を見るのも嫌になったりと言う事はないの?」
と、聞かれます。
 
聞かれて初めて気が付いたのですが、日本がたまらなく恋しい日本シックのようなものになったことは今の所はないです。

(↑私の使った心理学の教科書。付箋に授業のポイントと関連するハンドアウトの番号が書かれている。クリックすると大きい画像が見れると思います。)

家族と暮らしていて、家に帰れば会話はほとんど日本語と言う状態だし、
インターネットは日本語でできるし、
日本にいた頃から、日本食はあまり食べない生活をしていたし、テレビもアンテナがなかったため視ていなかったし、
考えたら学校に行っている以外は日本にいた時とあまり変わらない暮らしをしているので、
日本シックになりようがない状態です。

(←上の教科書の一部を拡大したもの。
英語の脇に日本語で意味が書き込んである。)

 確かに英語が流暢ではないので、不便さは感じますが「見るのも嫌」と言う状態にはなったことがないです。
多分、見るのも嫌になるくらい英語を勉強した事がないからかもしれません

 私の英語の勉強法はかなりアバウトです。

まず、授業のノートは取りません
私はノートを書いても、書いたノートを整理して管理する事が出来ないからです。

(↑テスト用に作った社会学の要点ノート。ノートを作っている間に大体の要点は覚えてしまう。テストは英語で受けるので、ノートも英語。)

 教科書やハンドアウト(授業中に配られる資料などのプリント)に直に書き込むか、付箋(ポスト・イット、スティッキー・メモ)に書き込んで教科書に貼っておくだけです。

 テストがオープンブック(本やノートなどを見ながら回答してもいいテスト)でない時には、暗記するために授業の内容をまとめた短いノート(カンニングペーパーのようなもの)を作りますが、オープン・ブックのテストではノートは作りません。
 

単語帳も使った事がありません
日本でいたときからそうでしたが、私は丸暗記が苦手で単語だけを覚える事ができません。

 
分からない単語はできるだけ文脈から憶測して済ませます。
どうしても分からない単語は辞書で引いて自分の本で書き込みができるものには本に直に意味を書き込んでおきます
図書館の本等で書き込みのできない物は、必要な部分をコピーして書き込みをすることもあります。
その方が、テストの前に見直したときに意味が書き込んであるので、単語を暗記しておく必要はないし、辞書を引く手間が省けます

 前に辞書で引いたことのある単語で、見覚えはあるけれど意味が思い出せない単語は何度でも辞書を引きます
同じ単語を何度も引いていたら、暗記する努力をしなくても自然に覚えてしまいます。
この方法だと、使用頻度の高い単語を先に覚えられるので便利です
同じ分からない単語でも、使用頻度の少ない単語を覚えるのに無駄に時間を使わなくて済みます。

 会話でも同じです。
分からない言い回しがあったら、その場で意味を聞きますが、覚える努力はしません
頻繁に使う表現なら、また聞く機会も使う機会もあるので自然に覚えるだろうと思っているからです。

  基本的に「忘れて当然」と思って勉強しているので、覚えていなくても落ち込む事がありません。
ある程度年齢が高くなってからの留学では、あれもこれも欲張って吸収しようとせずに、最低限必要なことを少しずつ覚えていく事が、日本シックにかからないコツかもしれません。

2009年1月24日土曜日

猫と発達障害


発達障害の人とのお付き合いの仕方は、猫を飼うのとよく似ていると思う。
彼らは、教えなくても出来ることと、教えてもなかなか定着しない事の差が激しい。

猫はトイレを教えなくてもちゃんと砂箱でして、砂までかける。
でも、犬のように「お手」や「お代わり」を教えようと思ったらすごく根気がいる。

猫の場合は言葉が通じないので、(実は猫は人間の言葉が話せないだけで、
幼稚園児並みの知能はあると言われている)
「仕方がない」で済んでしまうけれど、
発達障害の場合
同じ人間なのに、どうして出来ないんだ?!
と言うことになってしまう。

発達障害者は、人間の姿かたちをした別の種だと考えるのが一番しっくり来る

猫を飼っている人は、猫に常識や協調性なんて求めない。
芸を覚えなくても、一緒に生活している。

発達障害者は覚えなければならない芸が多すぎて、本当に大変

2009年1月22日木曜日

オセロット


コネタマ参加中: 飼えるものなら飼ってみたい動物は?

(←写真:ナショナル・ジオグラフィックより引用
http://www.nationalgeographic.co.jp/animals/mammals/ocelot.html

子供の頃から1度は飼ってみたいと思っている動物は中南米のジャングルに住むオセロットです。

 ライオンやトラほどは大きくないけれど、身長が90センチくらいになるらしいです。
大型の猫科の動物に比べると大人しくてペットとして飼われていたりもしたそうですが、
豹柄の毛皮が綺麗なため、毛皮目的で乱獲されて現在は絶滅危惧種として保護の対象になっているらしいです。

「できたら屋内で飼って、遊んだり一緒に寝たりできたら良いだろうな…」
と、思っていたのですが、
ナショナル・ジオグラフィーのサイトで鳴き声を聞いてみたら、夫の鼾にそっくりでした
「あんなにうるさかったら安眠できそうもないので、やっぱり屋外飼育しかない。」
「屋外で飼うなら暖かい地域で、運動のために庭に100坪くらいのミニジャングルをこしらえて…」
「餌はキャットフードを主に与えて、時々生餌も必要かな?…」
等と、保護動物だから飼えないことはわかっているのに、つい飼育計画を立ててしまいます。

いつか、また数がふえて、ペットとして飼う事が出来る日が来ないなぁ~

追加:保護動物と言えば・・・
 

夫が子供の頃、天然記念物の亀を一時期飼った事があるそうです。
もちろん許可なしで飼育禁止なのですが、当時はそれが天然記念物だとは知らずに自宅の庭で見つけたので飼っていたそうです。
しかも、甲羅にマジックで名前まで書いて
 しばらくして、亀の種類が知りたくなって図鑑で調べたら天然記念物だと言う事がわかって庭に放したそうですが、名前入りの天然記念物はその後どうなったんだろう

2009年1月21日水曜日

大統領宣誓式と大学生


今朝(アメリカの日付で1月20日)バスを1本逃してしまって、いつもより遅めに学校に着きました。

 いつも通る廊下(廊下といってもバスケットコートくらいの幅がある)のインフォメーションデスクのあたりが黒山の人だかりでした
 イベントとかも廊下でやるので、「何のイベントだろう?」と思ったら大統領の宣誓式を廊下のテレビで見ている生徒たちでした

 今日が大統領の宣誓式だったのをすっかり忘れていました。

 いつもはテレビが付けっぱなしでも誰も立ち止まってみる人はいないのに、今日は廊下を通り抜けるのが大変なくらい人がいました。

 通りががりの教室をいくつか覗くと、中には宣誓式の様子をクラスのスクリーンに映して見せているクラスもありました。

これが日本の大学だったら、総理大臣の就任演説なんか廊下でテレビに映っていても、黒山の人だかりなんていうことにはならないだろうなぁ
と、思うと同時に、
アメリカの学生って、結構政治に関心を持っているんだなぁ
と、感じました。

 私のクラスはスペイン語のクラスだったので、宣誓式は映していなかったので、どんな演説をしたのか直には聞けなかったけれど、学校から帰ってインターネットで演説の抜粋を聴きました。
ざっと聞き流しただけなので、曖昧なのですが、
 オバマ大統領のどのステートメントにも拍手が飛んでいたのですが、
”核の脅威を推し進める国に対して立ち向かうことには、弁明をするつもりはない・・・”
という感じの内容の部分の後では、拍手の数が減ってパラパラと言う感じだったのが印象的でした。

2009年1月19日月曜日

ファイヤーエンジン(消防車)


年末から年明けにかけてラスベガスに旅行した時に、黄色いファイヤーエンジン(消防車)を見かけました。

(←黄色いファイヤーエンジン)

 信号待ちで停まったら、たまたま隣のレーンで信号待ちをしていたので、助手席の窓越しに写真を撮りました。


(←普通のファイヤーエンジン)

 アメリカでも日本と同じで、ファイヤーエンジン(消防車)は赤で、黄色いのは珍しいと思います。

 素朴な疑問なんですが、どうして消火をする車の名前がファイヤーエンジンで建物の名前がファイヤーステーションなのか不思議です。
私は「ファイヤー」と言う言葉からどうしても「燃えている車」や「燃えている建物」を想像してしまって、最初に「ファイヤーエンジン」と聞いた時には、消防車が思い浮かびませんでした。
日本でも「すのを」と書くのだから似たようなものかもしれませんが・・・


(←デスバレー・ナショナルパーク内で見かけた古いファイヤーエンジン。
多分展示されているだけで、実働していないと思います。)

2009年1月17日土曜日

アップルソース

アメリカに来て色んな食のカルチャーショックを受けました。
こちらで生活を始めたばかりの頃、スーパーでよく見かける食品で一番不可解だったのがアップルソースです。

(←アップルソース。 1.36kgの瓶。)

 手っ取り早く説明すると、「すりリンゴにコーンシロップを混ぜたもの」なんだけれど、見た目はどう見ても離乳食です。
1㎏くらいの大きな瓶詰めと、桃缶くらいのサイズの缶詰、プリンカップに入ったもの、と色々サイズがあります。
離乳食の棚ではなくて、普通の瓶詰めの棚や缶詰の棚に置いてあるので、最初に見た時には
「いったいどんな料理に使うんだろう?」
と、不思議でした。


(←中身はこんな感じ)

多分、お菓子や料理にも使うのだと思うけれども、私が見た限りではそのままスプーンですくって食べている人ばかりでした。
プリンサイズのカップに入っているものは、ランチのデザートとして持っていくものらしいです。


(←プリンカップのサイズ。
写真はピーチフレーバーのものだけれど、アップルソースも同じような入れ物に入って売られている。)

「離乳食のような物のどこが美味しいのだろう?」
と、思っていましたが、お腹を壊した時にアップルソースとパンのみの食事を勧められて、食べてみたら結構美味しくてお腹の弱い私はそれ以来毎朝ヨーグルトと混ぜて食べています。

今回の教訓
やはり、アメリカの食品は、日本の食品と見掛けは似ていても味が違う。」

2009年1月15日木曜日

フライト遅延


日本に比べると、アメリカのフライトは遅延や欠航が多い。
特に国内線は遅れた飛行機を待っている間に話しをしたのがカップルの出会いのきっかけになってしまうくらい、時間通り飛ばない事が多いらしい。

 私も初めてアメリカ本土に来た時にストで遅延を経験しているし、も去年の年明けに雪のためミネアポリス(ミネソタ州)の空港で足止めされた。

 今年はの帰りの便はサンフランシスコ経由にしたので、
「雪で足止めにはならないだろう。
飛行機に乗り遅れなければ予定通り日本に着く筈。」
と、思っていたのですが、予想が外れてしまいました。

  6日サンフランシスコ発成田行きのUA機に乗ったから、
「日本到着が丸1日遅れた」
と、連絡が入った。
なんでも、妊婦(36週)が産気づいてしまい、機内に医師も看護士もいなかったため、アンカレッジ空港に降ろして病院に運ぶためだったらしい。

 乗客は全員アンカレッジで足止め。
翌日、医師から旅行OKの許可を貰った件の妊婦も乗せて、成田に出発したらしい。

 2年連続でフライト遅延に出くわすなんて・・・
1月のフライトはにとって鬼門なのかもしれない。」

2009年1月13日火曜日

ラスベガス旅行(ニュー・イヤー・カウントダウン)


当初はデスバレー・ナショナルパークだけに出かける予定だったのですが、近くにホテルが見つからなかったので、ラスベガスで宿泊する事になりました。

「折角ラスベガスに泊まるなら、年越しのカウントダウンもしよう。」
と、言う事になって、
今回の旅行は年を跨いでの旅行になりました。


(←車両通行止めになったフラミンゴ・ストリート)

 12月31日の夜はデスバレーから戻って、シャワーを浴びて8時くらいからホテルやカジノの立ち並ぶストリップに、カウントダウンに出かけました。

 (↑ストリップ)
私たちが出かけた時間帯には、ストリップ付近の交通規制が始まっていて車両通行止めになっていました。
ストリップと近隣の地区を結ぶシャトルバス、デュース、(料金:大人2ドル、子供1ドル2009年1月現在)もストリップには乗り入れが出来ないため、ストリップに向かう路線は無料になっていました。

(↑ストリップのネオン)

 まだ8時だったのに、ストリップは人で混んでいました。
初めは華やかなネオンを観て、
「カウントダウンするには、パーフェクトな場所だ!」
と、喜んでいた怪獣も行けども行けども人ばっかりなので、うんざりしたのかだんだん文句が出始めました。

(↑人で混雑するストリップ)

特にホテル・ミラージュからフォーラムショップスの前が通行止めになっていて、反対側の歩道に人が集中しておしくらまんじゅう状態でした。
年明けと共に乾杯するためにアルコールのビンやジョッキを持って移動する人、人ごみの中でもタバコを吸い続ける人がかなりいました。


(←年明け直後に打ち上げられた花火。
トレジャーアイランド付近。)

 約4時間人ごみのストリップを彷徨っているうちに、年明けを迎えました。
綺麗だったけれど、疲れた年越しでした。

 
今回の感想
「来年は我が家で年越ししよう。」

2009年1月12日月曜日

2009年1月11日日曜日

デスバレー・ナショナルパーク旅行 その4


Furnace Creekエリアの次はStovepipe Wells Village(ストーブパイプ・ウェルス・ビレッジ)付近を見て回りました。

(←モザイク・キャニオンへの道。
舗装されていなくて、対向車とすれ違うと砂埃で周りが見えなくなる。)


 ロッジ付近のジェネラルストア(雑貨店?)でトイレを済まして、最初に向かったのがモザイク・キャニオンでした。

(←モザイク・キャニオン)

ゴールデン・キャニオンは砂岩でしたが、モザイク・キャニオンは大理石と礫岩がモザイクのように入り組んでいました。


(←モザイク・キャニオン。
岩の上に立つ怪獣。

 キャニオンの岩はクリーム色から茶色っぽかったのですがモザイク・キャニオンを歩いているうちに日が傾いて暗くなってきて、写真に撮ると全部がグレー(モノトーン)に写ってしまっています。
肉眼で見ると、カラフルで大理石はすべすべしていて綺麗だったのでちょっと残念です。


(←サンド・デューン:砂丘。)

 モザイク・キャニオンを出た時点で暗くなりかけていたので、他のエリア(Scotty's CastleとPanamint Springs。どちらもモザイク・キャニオンから70㎞以上離れている。)には行かずに、近くのサンド・デューンを見て、ラスベガスでのカウントダウンに備えてホテルに戻ることにしました。

(↑左:サンド・デューン。
右:サンド・デューンの砂。
結構細かかったので、歩くと靴の中に入り込んできた。)

 今回のナショナル・パーク旅行は1日だけと日程が短かったのと、思ったより観光スポットの間が離れていたので、公園の半分しか見ることが出来なくて残念でした。

2009年1月9日金曜日

デスバレー・ナショナルパーク旅行 その3

 
アーティスト・ドライブは距離9マイル(14.4㎞)の一方通行の道路で、9メートル以下の長さの車両のみが通行できます。
道幅は狭くてアップダウンが激しく、ジェットコースターのような感じでした。

(←アーティスト・ドライブ)


(←アーティスト・パレット)

 アーティスト・ドライブの一番の見所はアーティスト・パレットです。
岩肌に色々な岩石の色が出ていて、綺麗でした。


 (←ハーモニー・ボーラックス・ワークス)

 ボーラックス(硼砂:ホウ酸ナトリウム。金属の加工やガラスの加工やセラミックの上薬に使われる。)の採掘跡地で精製用の設備や運搬用の蒸気機関、作業員の住宅などの残骸がありました。


(←運搬用のワゴン)

 ボーラックスの採掘の為に近くに町も作られましたが、稼動していたのは数年で財政難の為に閉鎖されたそうです。

2009年1月8日木曜日

雪やこんこ


 昨日は10日間ぶりの大雪でした。
年末はラスベガスとデスバレーに出かけていたのでよくわからないのですが、年が明けてからは小雪は降るものの気温が暖かくて、道路の雪も除雪されるか融雪剤で解けるかでほとんどなくなっていました。

(←庭と道路の区別がつかないくらい積もった雪。)


(←庭の積雪量。
ピンクの物差しの長さは30センチメートル。)
 
ところが、昨日の雪は除雪が追いつかずに常に道路に雪がある状態で、チェーンなしで運転するのは危険でした。
我が家の車のタイヤは全天候型のタイヤでスノータイヤではないため、雪の酷い時は車を使わずに徒歩で用事を済ませているのですが、昨日は夫を飛行場まで送っていかなくてはいけなかったので、車を運転する事になりました。

 空港付近は気温が高くて、雪ではなくて霙だったので路面がぬれているだけで走行に問題はありませんでしたが、家に近づくに連れて霙が雪に変わって普段は時速65マイル(104㎞/h)くらいの高速道路も時速30マイル(48㎞/h)以上出すのは危険な状態でした。


(←積もった雪にペットボトルの飲み物を埋めて冷蔵庫代わりに使う。
クリスマスのようにお客様が来る時は便利。)

 比較的頻繁に除雪される高速道路と違って、自宅付近の一般道はさらに状態が酷くて、4WDでもスノータイヤでもない我が家の車は信号などで停止すると発信時に横滑りして危なかったので、怪獣に学校を休ませて家で過ごす事にしました。

2009年1月7日水曜日

デスバレー・ナショナルパーク旅行 その2


 午前中はビジターセンターに近いFurnace Creekエリアを中心に見て回ることにしました。

(←ゴールデン・キャニオン)

 Furnace Creekエリアには観光ポイントは沢山あったのですが、我が家が行ったのはゴールデン・キャニオン、バッドウォーター・ベイスン、アーティスト・ドライブ、ハーモニー・ボーラックス・ワークスの4箇所です。


(←レッド・カテドラルの真下からの写真)

 ゴールデン・キャニオンはガイドに片道800メートルの距離と書かれていたので、歩いてみたのですが実際は奥に続く道がいくつかあって、我が家は片道3.2㎞のレッド・カテドラルまで歩きました。
結局、ゴールデンキャニオンで午前中いっぱい時間がかかってしまい、残りのエリアは昼食後に行く事になってしまいました。


(←バッドウォーター・ベイスン
白い部分は湖が干上がって、塩の平原になったもの。)

 バッドウォーター・ベイスンは直径5マイル(8㎞)の塩の平原です。
北米で一番標高の低い場所で、海抜-282フィート(約-92.5m)だそうです。


(←塩の塊。結構結晶が大きい。)

 ベイスンは行けども行けども塩ばかり。
いくら歩いても景色が変わらなかったので、500mくらい歩いて引き返しました。
靴が重かったので駐車場に戻って靴の裏を見ると、靴底の溝に塩がぎっしり詰まっていました。

 (↑左:駐車場の近くの岩山に海抜0の標識がありました〈矢印の先の四角の中〉。
真下の駐車場の高さと比べてもかなりの高低差がある。
駐車場とベイスンの底の高低差は1.5mくらい。
右:四角の中付近を拡大した写真。)