2019年9月7日土曜日

シロ(猫)追悼2&『虹の橋』

(↑2016年5月)

 前回の記事からの続きです。
 3歳の時(2006年)に渡米して以来、獣医いらずで過ごしてきたシロでしたが、陰りが出始めてきたのが2016年春に右上の犬歯抜けてからでした。

(↑3月31日、犬歯が抜けた後の穴)

 1本犬歯が抜けても、以前と同じようにカリカリは食べてられていました。

(↑2017年)

 2017年4月には血尿が出て通院になり、同じ頃左上の犬歯も抜けてしまった

 カリカリは食べているものの、1度に食べる量が多いともどすようになったので、1回の食事の量を減らして1日2回から1日3回に回数は増やしました。

 9月にはまたもや体調不良で獣医のお世話になり、検査は色々するけれど、肝臓のALTの数値が高いことが分かっただけで、これといった治療はないまま過ぎていった。

(←2018年4月、フライドポテトの匂いを嗅ぐ) 

 2018年の夏に、暑さのせいか食慾が随分落ちてしまい、カリカリだけでなく食慾がない時には缶のキャットフードも食べさせるようになりましたが、体重は増加しないままでした。

 10月末には、またもや血尿が起って獣医に行き、細菌の培養検査をする予定が手違いで取ったサンプルが送られないまま治療はうやむやに…

(↑2018年12月)

(↑2019年6月、新しく貼替えたキッチンの床の上で)

 2019年の前半は体重は減って来たものの、カリカリを普通に食べて生活していました。
5月の頭に、の卒業式に参加するために1週間家族で旅行した時も、ペットシッターに頼んだ1日1回のカリカリの給餌だけで元気に過ごしていました。

 体調が崩れてきたのは6月になって、最高気温が30℃を超える真夏日で夜も25℃を切らない熱帯夜になったあたりからです。
食欲が落ちて3回のうちの1回は缶のフードに置き換えるようになりました。

 6月の下旬には、水も食事も自力では食べなくなってしまったので、以前獣医で処方してもらったペースト状の缶フードをアイスクリームのヘラのようなもので口に入れて食べさせ、水はシリンジ(注射器の針のついていないもの)で飲ませました。
 1日3回、2日くらい続けた後、人間の食事用に買ったマグロの赤身の刺身を細かく切ったものをマダラ猫に食べさせるために小さなボウルに入れて置いたら、シロが寄ってきて食べ始めたので、シロの分を新たに切って食べさせました。
 マグロの刺身を食べた翌日からは自力で食べ始めたので、また2食カリカリで、1食は缶フードの食事に戻しました。
その後も7月中は、自力で食べない時は人間が2~3日食べさせると、食欲が戻ってカリカリと缶の食事に戻るという事を繰り返していました。

(↑2019年8月26日、亡くなる2日前)

 8月になって再び体調を崩して、カリカリは食べ亡くなったので、1日3回の食餌を全部缶のフードに替えました。
食べさせていたのはフレーク状の缶詰めで素材の形の残っているものだったのですが、次第にそれも食べなくなり、ペースト状の市販の缶詰に変更しました。

 8月の2週目くらいからは、自力で水が飲みにくそうだったので、1日3回食事の前後にシンリジで水を飲ませていました。
(食事は自力で食べていた。食べない時には人間が食べさせると2~3日でまた自力で食べるようになった。)

 8月の3週目に、体力も落ちてきたのか、階段の上り下りが1段ずつになり、トイレ以外の場所で粗相もするようになってきました。
8月の3週目の週末に、また自力では食事ができなくなったので、人間が食べさせるようになり、土曜日にマグロの刺身を買ってきて食べさせたのですが少し食べただけで食慾は戻りませんでした。
 この頃から1日中家具の下などで寝ていることが多くなり、8月の4週の頭には2階へ上がることもなくなりました。
(それまでは、マダラ猫と一緒に夜は2階の夫婦の寝室で寝ていた。)

 亡くなる1日前の夜から、人間が餌を食べさせても食べた後に戻すようになり、亡くなった当日も食事を戻す状態が続いたので、獣医に連絡して診察を頼んだのですが、予約でいっぱいで診られないとのことだったので、翌日の朝に予約を入れました。
「もし、かなり調子が悪そうなら救急専門の獣医に連れて行くように」と、場所も教えてもらいましたが、調子が悪いのに無理に連れ出すのは負担になるだろうという事で、翌日を待つことにしました。
 容体が急変するかもしれないので、できるだけ家にいたかったのですが、8月の第4週から怪獣のカレッジの新学期が始まり、その日は車で1時間くらい離れたキャンパスで怪獣の授業がありました。
 私たちが学校に行っている間は留守になってしまうので、に電話をして仕事からできるだけ早く帰ってもらうようにお願いして、学校へ出かけました。

 が6時頃仕事から家に戻ると、シロ(猫)がトイレに行く途中で倒れていて、抱き上げると苦しそうだった顔が少し柔らかくなって、暫くして亡くなったそうです。
 私たちが学校から帰った6時半頃には、既に冷たくなっていました。

(↑シロ猫を埋めた場所、矢印の先に目印の石を置いてある)

 猫を飼っているアメリカ人の友人数人に、自宅の庭に埋めることが可能かどうかテキストメッセージで訊いたら、その中の一人から「庭に埋めることは可能。池や川や湖などの水源から200フィート(60メートル)以上離れていること。最低2フィート(約60センチ)の深さに、死後24時間以内に埋めるのが州の法律。」と返事が返ってきました。
 他の友人からは、「自分が埋めた時は、梱包して埋めた。火葬してくれるサービスもあるけれど、どこでやっているのか値段はどれくらいなのかわからない」と返事がきたので、翌日の朝に(は午前中仕事を休んで)庭に穴を掘って埋葬しました。

 埋葬の翌日に、別のアメリカ人と話す機会があって、飼い猫が亡くなって自宅の庭に埋葬した、と、話しました。
そうしたら、その人の家で以前飼い犬が死んだのだ時の話をしてくれて、その時はどうしたらいいのかわからなかったので、その人の旦那さんがゴミ袋に入れてゴミ箱に放り込んで他のゴミと一緒に回収してもらったら、子どもたちが相当怒って非難の嵐だったそう。
 確かに死んだらただの物体でしかないかもしれないけれど、子どもたちにとってはショックでしょうよ…と、思いました。

 

『虹の橋』について:

 『虹の橋』は作者不詳の詩で、ペットを亡くした人の間で語られている伝説のようなもの。

原文は英語で、日本語訳は…

天国には「虹の橋」と呼ばれる場所があります。

飼い主にこよなく愛されていた動物は全て、この虹の橋に集まります。

誰もが皆、走り回ったり遊んだり出来るよう、ここには草原や小高い丘があります。

食べ物も飲み水も豊富にあり、太陽が暖かく照り付けてとっても心地よい場所です。

病気や老いで弱っていた動物たちは、全て元の元気な体に戻ります。

傷ついたり体が不自由だった動物たちも、全て健康で活力に満ちた体を取り戻します。

それはちょうど、飼い主がペットが元気だった頃を懐かしむときの姿です。

動物たちは皆満ち足りており、何の不満もありません。

でも、たった一つだけ、気がかりなことがあります。

それは一緒に虹の橋に連れてくることの出来なかった、飼い主であるあなたのことです。

動物たちはみんな仲良く集まってはしゃぎ回りますが、 そのうちふと足を止めて遠くを見つめるときが来るでしょう。

やがて瞳がらんらんと輝き、体が震えだしたかと思うと、

突然仲間のもとから離れて緑の草原を駆け抜け、飛ぶように走りに走るのです。

そう、あなたを見つけたのです。

特別な感情で結ばれたあなたと友達は、とうとうこの場所で再会を果たし、

もう二度と別れることのない新たな出会いに胸を躍らせます。

友達はあなたの顔にキスの雨を降らせ、

あなたも懐かしい友達の体を撫でて長いこと見ることの無かったその瞳を見つめます。

片時も忘れることの無かったその瞳を。

そうしてあなたと友達は、共に虹の橋を渡るのです。

(↑日本語訳:虹の橋~原文と日本語訳より引用)


『虹の橋』の詩には2番や3番などが新たに付け加えられたり、色々なバリエーションが加えられたものもあります。
その中で、猫の『虹の橋』の詩(英文)があったので紹介します。

The Rainbow Rridge (for your cat)
By Kirk J. Rudell
July 14, 2018

Just this side of Heaven is a place called the Rainbow Bridge.

When an animal that has been especially close to someone here dies, that pet goes to the Rainbow Bridge—even your cat! There are meadows and hills for all of our special friends where they can run and play together. There is also a dark closet for your cat to dart into, because, well, there are a lot of dead special friends running around. Kind of hectic and exposed out there in the meadows and hills.

In the back of the dark closet is a shelf, and on that shelf is the comfiest, coziest cat bed. But your cat will go to the other side of the shelf and burrow into the stacks of expensive sweaters—sweaters that cost a fortune to dry-clean—and after a while it’s, like, fuck it, the sweaters are the cat bed now.

And that’s O.K. at the Rainbow Bridge, where all the animals who had been ill and old are restored to health and vigor, just as we remember them in our dreams. Your cat, threatened by the presence of so many healthy, vigorous animals (even though, truly, they could not care less about him and barely noticed his arrival), will start marking every part of the Rainbow Bridge, until the meadows and hills have a sort of stale ammonia smell.

The animals are content (even your cat, mostly), except for one small thing: they each miss someone very special to them, who had to be left behind. But then the day comes when an animal pauses and looks into the distance. His eager body quivers. Suddenly, he begins to run away from the group, flying over the green grass, his legs carrying him faster and faster.

You have been spotted. Well, not you. That’s more an example of what happens with the dogs. When you show up, you will look around at all the happy, healthy, former pets and think, Huh. Where’s my cat? And then you will catch the ammonia smell (remember when your house smelled like that?), and you will see the dark closet, and you will know. And you will joyously throw open the closet door and yell “Felix!” and he may look up. Maybe not. Probably not. And you will clap your hands and call for him, as you used to do before you were both, you know, dead, and he will remember that sound, and the excitement in your voice, and it will disgust him. Your unquenchable thirst. Your vulgar need. And he will yawn and stretch and extend a claw and pull on a cashmere thread—a loop he’s been working all day—until, gently (oh so gently; you love this little asshole!), you reach into the closet and lift him up and cover him in kisses.

And, as you scratch his ears the way he likes, and look once more into his trusting eyes, he bites your hand for NO GODDAM REASON YOU WERE JUST PETTING HIM, and you drop him, and he runs back into the closet, and he vomits on the sweaters, and you fish him out again and then you cross Rainbow Bridge togeth—

Nope. You were halfway across, and you stepped on a stick or something, and the noise freaked him out, and he raked your chest and leaped down and ran back to the closet.

You live in the meadow now. You and your cat. For eternity.

(↑the NewYorker "the Rainbow Bridge (for Your Cat)”より引用)

 

緑色の文字の部分が原作に加筆されたり書き換えられている部分で、

・沢山の亡くなった動物たちでいっぱいの草原や丘の喧騒から逃れるための戸棚があったり、
・戸棚には猫の寝床があって、それは高価なドライクリーニングが必要な(飼い主の)セーターでできていたり
・猫は(猫の到着を気にも留めない)元気いっぱいの動物たちに脅かされていたり
・虹の橋の詩の動物の飼い主を見つけた時の反応は主に犬の反応で、猫の飼い主は元気いっぱいに走り回る動物を見まわしながら、私の猫はどこ?と探して、戸棚で遂に飼い猫を見つける。
・やっと探し当てても猫は無反応であくびをしている。
・原文ではペットが飼い主にキスをする事になっているが、猫の場合は飼い主が猫を抱き上げ猫にキスをする事になっていたり
・以前のように耳の後ろを掻いてやると、噛みついて戸棚に戻り(高級な)セーターにゲロを吐く
・めげずに猫を捕まえて猫を抱いて一緒に虹の橋を渡るはずが…
・飼い主が途中で何かに躓きそれに驚いた猫は飼い主の胸をひっかいて、戸棚に戻ってしまう。
・このようにして、飼い主と猫は永遠に草原でくらしている。

と、いう内容で、「いかにも猫らしい反応だなぁ」と思いました。

 

2019年9月4日水曜日

シロ(猫)追悼


 10日ぶりの更新です。
先週の水曜日(8月28日)、我が家のシロ猫が虹の橋を渡りました。

(←我が家に来たばかりの頃)

 2003年生まれの16歳なので、猫としてはかなりのお年寄りでした。
(人間に換算すると80歳くらい?)

 我が家のシロは、まだ私たちが日本に住んでいた2004年に野良猫を保護して里親を探しの活動をしている人から譲渡してもらいました。
 我が家に来た時点で約1歳(野良猫なので、保護していた人の記憶で正確な誕生日はわからない)で成猫でした。

(↑2004年9月)

 元野良だったためか警戒心が非常に強くて、我が家に来て数カ月はケージの中で暮らしていました。

(↑2004年12月)

 我が家に来た時はスレンダーな体形だったけれど、寄生虫の駆除後に体重が順調に増えて、年を越す頃には丸々太っていました。

(↑2005年2月 先住猫のマダラと一緒にストーブのそばで)

(↑2006年12月、ベースメント・アパートメントで)

 2006年には、日本から私と子どもたちが住んでいたアメリカの留学先のベースメント・アパートメントに猫を連れて飛行機で飛びました
アメリカに連れてきてすぐくらいの頃に、アパートから脱走して一時行方不明になっていたこともあるけれど、数日で帰還、その時の野良の生活が辛かったのか、その後脱走することはなくなりました。

(↑2007年8月)

(↑2007年12月)

(↑2008年5月)

(↑2009年4月)

(↑2010年6月、今の家に引っ越してきた直後。
庭の動物を窓越しに眺めるマダラとシロ)

 2010年には西部の留学先をでて、の仕事のある現在の家へ猫たちも連れて車で2日かけて引っ越し
庭付きの二階建てのお家に移って、庭にくる鳥や動物に興味津々でした。

(↑2010年10月玄関で日向ぼっこをするマダラとシロ)

(↑2011年9月)

(↑2012年7月、ダイニングでくつろぐシロ)

(↑2013年6月)

(↑2014年7月)

(↑2015年12月、クリスマスツリーの下で)

長くなって来たので、2016年以降は次回に…

 

 

2019年8月24日土曜日

灯台巡りツーリング &バイカ-の挨拶

 今回の灯台巡りツーリングは、1泊2日の予定で1日目は(2017年のツーリングで訪れることのできなかった)4か所の灯台、2日目はトラバースシティー周辺を観光するか、寄り道してデトロイト市の郊外で16日~18日にかけて行われていたドリームクルーズ(ノスタルジックカー・クラシックカーのイベント)に寄ってもいいかな?と思っていました。

(↑今回のツーリングに間に合わせて取りつけたスマホのホルダーと仮付けしたディスプレー)

(↑バイクとManistee Lighthouse)

 1か所めのManistee Lighthouseを見た後、マニスティ―市にあるサンドウィッチとクッキーやカップケーキを売っているランチ屋さんで昼食を食べました。

(↑昼食を食べたマニスティーク市のサンドウィッチ屋さん)

(↑上:クラシック・チキンサンド
下:ベーコンレタスサンド)

(↑バイクとFrankfort Light)

 灯台を2か所回って、そろそろホテルの予約を…と思ってスマホで検索すると、(夏のリゾート地のためか)トラバースシティー周辺は空きがなく、あっても室料がオフシーズンの3倍~4倍のお値段だったので、宿泊はせずに帰ることにしました。

(↑マニスティーク周辺の舗装されていない迂回路。)

 マニスティーク付近の州道は工事中で、舗装のされていない迂回路を通らなければならなかったりしたため、帰るとなったら明るいうちにインターステート(州間高速道路)までたどり着きたかったので、灯台巡りは途中で切り上げて帰途につきました。

(↑ミシガン州道、中央分離帯なし対面通行1車線の道路だけれど、制限速度は65マイル毎時=約104㎞毎時)

 夏時間で日没は午後8時半頃で日没後30分くらいは明るいので、インターステートには暗くなる前に無事にたどりついたけれど、暫く走ると少し強めの雨が降ってきました。
 乗っていたバイクのゴールド・ウィングはツアラーなので、多少の雨でも濡れることはないのだけれど、路面が濡れていてちょっと危険でした。しかし、雨宿りで止まっても近くで給油できるところがないのでそのまま走行しました。
 暫くしたら雨の降っている所を抜けたのか、雨が止んで路面が乾いて来たので給油できるところまで走って、給油ついでに遅い夕食を取って帰路につき、家にたどり着いた頃には日付が変わっていました。

 

バイカーの挨拶:

(↑left-handed low greeting 画像
https://www.adventurebikerider.com/rider-etiquette-bikers-gestures/

より引用。)

 今回のツーリングでは、他のバイカーも結構見かけました。
他のバイクとすれ違う時、が左手を斜め下に出して挨拶しているのに気がついたので、バイカーの挨拶について調べてみました。

AxselAddictの記事"Motorcycle Etiquette: How Not to Wave Like a Dork"(英語)によると、

バイカーの挨拶の起源は1903年にハーレーダビットソンが創業した頃にさかのぼり、創業者のウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビットソンがバイクですれ違う時にお互いに挨拶したのが始まりで、彼らは他のライダーにも同じように挨拶したことから広まったらしい。
挨拶が広まって来た頃のバイカーの挨拶の方法は色々だったけれど、1946に、バイカーたちの間でWave Hard And True Biker Societyが結成され、スタンダードやルールがが決められたらしい。

 

【ハンド挨拶の種類】
サイン 方法
左手ー低 左手を伸ばして、1本、2本、3本、または5本指で路面を指す
左手ー真直ぐ 肩とほぼ同じ高さか、少し低めの高さで左手を横に延ばす
左手ー高 肘をまげて左腕を少し前に上げる
右手 ツアラーやゴールドウィングなどのクルーズコントロールがついているバイクに多い
左手ー前 左手をハンドルから素早く離す(3秒以下)

その他にも、『頷く』という挨拶の仕方もあるらしい。

 

【いつ挨拶するか】

・インターステート:しなくてもいい
・カーブを曲がっている時:しなくてもいい
・雨や夜:しなくてもいい
・凸凹のない2車線道路:適切
・交通量の少ないハイウエイ:適切
・ラリー中:しなくてもいい
・渋滞中:しなくてもいい

【挨拶が返ってこない時】

・こちらの挨拶が見えなかった
・相手がクラッチの操作中だった
・ハンド挨拶の代わりに頷いた場合

(↑ゴールドウィングのハンドル周り
水色の楕の中:クラッチレバー
黄色の楕円の中:前輪ブレーキレバー
ピンクの楕円の中:クルーズコントロールスイッチ
緑の楕円の中:スロットル
スロットル(アクセル)が右についているため、走行中は右手で挨拶をすることはできないが、クルーズコントロールがついている場合はスロットルの操作をしていなくてもスピードがコントロールできるので、走行中も右手で挨拶が可能。)

日本にもバイカーがすれ違う時の挨拶(ヤエー)というものがあるらしいが、日本では車両は左側通行なためとバイクの構造上(↑上のハンドル周りの画像参照)のため、『左手ー低』のサインはない。(『左手ー低』のサインをしても、対向車からは見えない。)
代わりに左手を上げてピースをする挨拶方法らしいけれど、私が日本でバイクに乗っていた時は見かけたことがなかったです。

 

2019年8月21日水曜日

Frankfort North Brakewater Light(灯台50)

 Manistee Lighthouse を見た後は、州道22を北上してFrankfortへ向かいました。

(↑近くのビーチからみた灯台)

(↑防波堤と灯台)

 Frankfort North Brakewater Lightはフランクフォートの港の北の防波堤の先端にある灯台。
最初の灯台は、木製の桟橋に木製の四角錐型の塔と木製のキャットウォークと全て木製で、初稼働が1873年。

 1912年に木製の桟橋の先にコンクリートの土台を作ってその上に鋳鉄製の四角錐の塔(現在の塔)が建てられ、1919年に電化。
1930年に港にコンクリート製の南防波堤と北防波堤が建設され、1932年に桟橋から北防波堤の先端(現在の位置)に塔が移された。
 2010年のコーストガードの灯台整理縮小に伴い、2011年には灯台の所有がフランクフォート市に移転され、現在はフランクフォート市が管理している。

 現在の塔は北防波堤の先端にあるのだけれど、防波堤の高さと水面の高さがほぼ同じで、防波堤は打ち寄せる波で濡れた状態でした。
 桟橋の先の塔の手前数メーターの所は、防波堤が完全に水没していました。

 

ポケモンGOとFrankfort North Brakewater Light:

(↑左:灯台にあるポケストップ
中:灯台付近の地図画像
右:灯台とシャドウゼニガメのスナップショット)

Frankfort North Brakewater Lightの周辺はビーチとして整備されていて、ビーチ周辺や灯台にはポケストップやジムがいくつかありました。
灯台の場所はポケストップになっていて、私たちが訪れた時は丁度ロケット団のポケストップになっていたのですが、防波堤が水没していて灯台に近寄れず、ロケット団と対戦はできませんでした。

2019年8月18日日曜日

Manistee Lighthouse(灯台49)

(↑近くのビーチからみた灯台)

 8月16日は、が有給を取ったのでバイクでツーリングに出かけました。
 今年の夏はどこにも旅行に行っていなかったので、家族でドライブ旅行の予定でしたが、飼い猫のうちシロ猫の調子が暑さと高齢のため食慾がなく、自力で食べられないため給仕する人が必要なので、怪獣が残ることになりました。
 2人で行くなら、バイクで行こうという事になり、ツーリングになりました。

 今回行ったのはミシガン湖畔にある2か所の灯台です。
ミシガン湖の灯台を選んだ理由は、2017年秋のミシガン湖岸ツーリング旅行で近くまでいっていたけれど、日没後で訪れることができなかった灯台だったからです。

 最初に訪れたのは、Manistee Lighthouse。
 現在のManistee Lighthouseはマニスティ―市にある灯台で鋳鉄製。
 最初の灯台は1870年に稼働をはじめたが、1871年の火事で焼けてしまい、1872年に再建。
1875年にマニスティー港にある2つの桟橋のうち南の桟橋に移動。

 1927年に北の桟橋に鋳鉄製の現在の灯台が建設され電化されるとともに、鉄製のキャットウォークを設置、その後オートメーション化されたが現在もキャットウォークの残っている数少ない灯台(ミシガン州では4か所のみ)。

(↑現在南の桟橋の先端にある塔)

 北の桟橋に塔が移ると、南の桟橋にあった灯台守の住宅付きの灯台は取り払われ、代わりに南の防波堤の先に塔が作られた。

 

ポケモンGOとManistee Lighthouse:

(↑左:南桟橋の塔にあるポケストップ
中:北桟橋のビーチからの地図画像。桟橋は表示されていない。ピンクの矢印の先が南塔でグリーンの矢印の先が北塔
右:北桟橋の塔にあるポケストップ)

 現在マニスティ―港の灯台の周辺は公園になっていて、ポケストップやジムも沢山あった。

 電波状態も良かったので、スナップショット機能で灯台とポケモンを記念撮影した。

2019年8月15日木曜日

秋学期2019登録

 8月13日に、私と怪獣の秋学期の登録を済ませで授業料を払って来ました。

 2019年の秋学期は、私がコミュニケーションのクラスと冬学期に登録取り消しをした異常心理学のクラスを登録。
怪獣はコンピュータプログラミングのクラスを1クラスのみ登録しました。

 怪獣はもう1教科登録したかったのだけれど、クラスの開催時間が午後6時30分~午後9時40分までで、おまけに自宅から車で1時間の遠いキャンパスだったため、登録を諦めました。

 それにしても、授業料の値上がりが激しい。
冬学期が1単位当たり100ドルを切るくらいだったのが、秋学期は110ドルになっていました。
1年で1割増しなんて…たいして物価も上がっていないのに…
これでも、州内で一番学費の低いコミカレなのだから、他の大学やカレッジは『推して知るべし』だと思います。

 秋学期のスタートは8月26日。
それまでに教科書を買ったり、準備をしたりで忙しくなりそうです。

 

 

2019年8月12日月曜日

今年はハワイ料理

  (去年以外は)の誕生日のディナーにはいろんな国の料理に挑戦しているのだけれど、今年はハワイ料理を作りました。

(↑誕生日のディナーに使ったテーブルデコレーション)

メニューは

・カルア・ポーク
・パイナップル・チャーハン
・ガーリック・シュリンプ
・マグロとアボカドのポキ
・ロミロミ・サーモン
・ココナツ・パイナップル・ケーキ(デザート)

でした。

(↑料理を並べたところ)

(↑カルア・ポーク)

(↑パイナップル・チャーハン)

(↑ガーリック・シュリンプ)

(↑左:マグロとアボカドのポキ
右:ロミロミ・サーモン)

(↑食事を一人分に取り分けたところ)

(↑デザートのココナツパイナップル・ケーキ)

 デザートにはハワイアンスイーツではないけれど、ココナツパイナップル・ケーキを作りました。
スポンジに刻んだココナツフレークを入れて、生クリームでとパインアップルでデコレーションして、側面にローストしたココナツをまぶしました。

(↑一人分に切り分けたココナツパインアップル・ケーキ)

 

2019年8月9日金曜日

芸術と表現の自由 
あいちトリエンナーレ2019のトラブルについて


  8月1日から開催されている『あいちトリエンナーレ』の企画展『表現の不自由展・その後』 が中止になった事について、論争がおこっています。

 『表現の不自由展・その後』は日本の公立美術館で、展示が不許可になった作品を展示したもので、その中で特に『平和の少女像(慰安婦像)』の展示と昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画が問題になり、抗議が殺到したり、放火の脅迫まで起って逮捕者まででる状況。

 展示を中止された出展者(企画者)は「表現の自由の侵害だ」「憲法21条違反だ」(この展覧会が愛知県や名古屋市などが主なスポンサーだったため)「検閲だ」と抗議。

 それを逐一マスコミが取り上げたりネットでも話題に上ったりして、更に騒ぎが大きくなってしまってます。

 私がこの騒動にふれて思いだしたのが、10年前に(アメリカの)大学の教養で取っていたヒューマニティーのクラスの時に書いた期末レポートのことでした。

 アメリカでヒューマニティーのクラスは『芸術全般を広く浅く学ぶクラス』で、私はそのクラスで『どんなものでも芸術になりうるのか?』というテーマで期末レポートを書きました。

 私のレポートは、ある展示物が芸術作品として認められるかどうかを論文や本などを調べて考察するという内容でした。

 その時に調べたことによると、

芸術(アート)作品とは、
「美学的目的と倫理的な要件を満たしているもの」
だそうです。

美学的目的って言われても…なのだけれど、美しいもの、上品なもの、調和のとれたもの、などのポジティブな表現や体験を鑑賞者にもたらすことによって、作者と鑑賞者の間に(感情や考えなどの)やりとりを生むものらしいです。
(文字で表現すると抽象的でわかりにくいのだけれど、平たく言うと、美的手段を通して作者と鑑賞者がやりとりや情報の伝達のできるものを芸術作品と定義するようです。)

美学的目的はいいとして、では、倫理的要件は?というと、芸術作品は鑑賞者を無視しては成り立たないので、鑑賞者の立場や倫理的価値観を考慮したものでなくてはならないという事です。
(作者の一方的な思想や価値観の押しつけは芸術作品ではない。) 

  私の調べた文献の一つの“Aesthetic Obligation” という記事の中でイートン(Eaton)は、表現の自由は鑑賞者の倫理的価値観を侵害しないものであるべきだ、と主張していました。

 イートンの考えに照らし合わせると、今回の騒動の元になった展示作品のいくつかは鑑賞者の倫理的価値観を考慮に入れているようには見えないので、芸術作品の条件をみたしていないことになりそうです。

 「表現の自由が~」と騒ぐ企画者側ですが、そもそも、芸術作品ではないものを芸術展で展示しようとすることに無理があるのでは…
(芸術作品ではないものの展示を許可しちゃった主催者側にも問題が…)

 企画者の目的は鑑賞者に美的体験の機会を提供するものではなく、自分の思想を一方的に押し付ける(&騒ぎを起こして注目を浴びる)ことだったので、こんなに多くの批判にさらされたのではないかと思います。

 とはいえ、これだけ騒がれたら問題の展示そのものは中止されたものの、世間の注目を集めることには成功しているので、展示企画者の思うつぼであることは確かなようです。

※注:記事中の画像は2009年にヒューマニティーのクラスの課題で訪れたミュージアムで『あいちトリエンナーレ』とは関係ありません

 

・倫理的価値観:善悪や正誤の判断の基準となる(倫理的)原則で、個々人の行動や選択の基準になるもの。

 

・引用:

Eaton, M. M.  “Aesthetic Obligation.” The Journal of Aethetics and Art Criticism 2008,
Winter: 66:1, 1-9.

2019年8月2日金曜日

ポケモンGO 70 
GOロケット団登場

 7月24日に、いつものように近くのモールまでポケモンGOをしに行ったら、怪獣が黒いポケストップを発見したので回してみると、ロケット団が現れて対戦になって、勝ってシャドー・コラッタをゲットしたらしい。
 その日の時点ではまだテスト段階だったのかよくわからないけれど、私の地図画面には黒いポケストップは表示されていなかった。
翌日もプレーしたのだけれど、色の違うポケストップはみつからず、翌々日の26日に別のモールに出かけたら色の違うポケストップを発見したので、回してみた。

 26日に私たちが色の違うポケストップを見つけた時点では、ゲームアプリの提供会社からのお知らせはなく、取りあえず手探りで進めることにした。

 ロケット団のポケモン3体を倒すと、シャドーポケモンを捕獲するチャンスが与えられる、捕獲するボールはレイドで出てくるプレミアムボールで、ボールの数は勝つと無条件で2個+自分の手もちで瀕死にならなかったポケモンの数で決まるみたいで、最低3個は貰えるらしい。

 色の違うポケストップは、ある一定の時間がすぎたり大戦に勝利すると普通のポケストップに戻ってしまう。
26日までは色の違うポケストップは少なくて、見つけても近くまで行くうちに普通のポケストップに戻ったりであまり対戦できなかった。
 翌日の27日から、色の違うポケストップが頻繁に現れるようになり、ロケット団のポケストップが頻繁に現れたのとほぼ同時に、ロケット団関連のスペシャルリサーチもスタートした。