2015年5月19日火曜日

メイソンジャーとジャーサラダ


 怪獣の卒業パーティーに使おうと思ってメイソンジャーを探していた。

(←パイント=約480mlとハーフパイント=約240mlの瓶)

 メイソンジャーは広口のネジ蓋式の密閉ガラス瓶で、ジャムやソースなどの家庭保存食用(瓶詰)に使われる。

 ちょっと前に、メイソンジャーにドレッシングと野菜を入れてサラダを作り、冷蔵庫に保存してランチに持って行くのが、ニューヨークで流行ったらしく、日本でもメイソンジャーが注目され始めたようで、ネットのレシピなどでも見かけるようになりました。

(←パイントジャー=約480ml)

 瓶や蓋を煮沸消毒して、サラダなどを詰めて冷蔵庫で保管すると(材料にもよりますが)4~5日フレッシュな感じが持つそうで、日曜の夜に1週間分のランチ用を作って置く人もいるらしいです。

(←ハーフパイントジャー=約240ml)

 怪獣の卒業パーティーに使おうと思った理由は、前もって一人分ずつのジャーサラダを作っておけば、日持ちするので当日サラダを作らなくて済むし、残ってしまっても一人分ずつ分けてあるので、その日うちに食べきらなくても済むからです。

(←上:パイント=約480ml
下:ハーフパイント=約240ml)

 メイソンジャーはいろんなサイズと形や色があるのですが、一人用のサラダに使うのはハーフパイント=約240mlの瓶です。

 今回買ったのはスタンダードな形のパイントジャー(=約480ml)とハーフパイントジャー(=約240ml)を1ダースずつ。

 パイントジャーは税抜きで1つ70¢、ハーフパイントジャーは66¢でした。

(←シンプル・メイソンジャー・サラダ)

 メイソンジャーの使い道は、食品の保存や入れ物としてだけではなく、ストローが挿せる蓋に交換して飲み物やスムージーを飲んだり(マグカップのような持ち手のついている瓶もある)、カップケーキを焼くのにも使えるとか…

 調理関係以外では、キャンドルホルダーとして使ったり(キャンドルをぶら下げることが出来るようなバケツのような取っ手を売っている)、花瓶の代わりに使ったり、インテリア用品として使ったり用途は色々です。

(←自作のサラダ)

 ジャーサラダを作ってみたのですが、冷蔵庫に置いておけば日持ちするので、思った以上に便利。
 ネットのレシピも豊富だし、作り置きして常備して置くといいかも…と、怠け者の私は思ってしまった。

 ↑の画像のシンプル・メイソンジャー・サラダの作り方は↓から…

 

 

ジャーサラダの作り方:

 まず、瓶を洗って煮沸消毒します。

・瓶が完全に浸かる鍋に、瓶と水を入れ、火にかけます。
(熱湯に瓶を入れると温度差で割れてしまうらしいので、水から火にかけます。)
・沸騰したら、(80~90℃の水温で)約10分間煮る。
・蓋は3分間煮る。
・トングなどで瓶を鍋からだして、お湯をよくきって、清潔な布巾に並べて乾かす。

調理に使うまな板や包丁も煮沸消毒したお湯の余りで、熱湯消毒するといいです。

シンプル・メイソンジャー・サラダ
(ハーフパイントジャー4つ分)

材料:
・アーモンドバター…大さじ3※
・米酢  …大さじ1
・塩   …少々
・メープルシロップ…大さじ1
・ごま油 …大さじ2
・サラダ用ほうれん草…4カップ弱※※
・セロリ  …1本
・ラディッシュ…2~3個
・青りんご …1/4個
・刻み胡桃 …80㏄

作り方:

ドレッシングを作る
①アーモンドバター、米酢、塩、メープルシロップ、ごま油、を密閉容器に入れて蓋をしっかり締めて、瓶を振って完全に混ぜる。

野菜類を準備する
②リンゴは良く洗って芯を取り、薄切りにして、変色防止のため塩水に晒す。
③ラディッシュも良く洗い、スライサーでスライスする。
④セロリも洗って、7ミリ角くらいのサイコロ状に切る。
⑤胡桃も荒く刻んでおく。
⑥サラダ用ほうれん草は(必要なら)水洗いして、水をよく切り、キッチンペーパーなどで水気を完全に乾かしておく。

瓶に詰める

⑦メイソンジャーに①のドレッシング大さじ1を入れる。
⑧⑦に、底から、リンゴ、ラディッシュ、セロリ、胡桃、ほうれん草の順で詰めて蓋を閉めて密閉し、冷蔵庫に入れて3~4日保管。

⑨食べる時は瓶をひっくり返してボウルに移して食べる。

 

※アーモンドバターがなければ、練り胡麻で代用できます。
※※私が作った時は、ベビーほうれん草とスプリングミックスを混ぜたサラダミックスを使いました。元々のレシピではミックス・グリーン・サラダになっていました。

レシピは
http://eatwithinyourmeans.com/simple-mason-jar-salad-review-conscious-cleanse/
より、引用。
日本語訳にして一部材料を変えました。

 

 

2015年5月16日土曜日

カレッジ見学


 4月の中旬くらいから、やっと我が家の庭の木も芽吹き始めました。

(←桜、4月18日)

 4月23日に小雪がちらついたものの、その後は順調に気温が上がって、4月28日には我が家の桜の花がようやく咲き始めました。

 やっと遅い春が来た~♪
ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
と、喜んだのも束の間、庭の木が芽吹くのと同時に、雑草も急激に伸び始め、表の庭が雑草の花畑になってしまった。

(←桜、4月28日)

 話は変わって、4月29日に怪獣はIEPのクラスで近くのコミュニティー・カレッジの見学に行きました。

 見学は29日の9時ごろから学校の授業中に出かける予定だったため、見学に先立って4月17日に、親の承諾の書類を提出してくださいと、お知らせの紙を怪獣が持って帰って来ました。

 ところが持って帰って来たのは、お知らせの紙と、先月終わったIEPのお知らせの紙のみ。

(←桜 4月28日)

 お知らせには、
「添付の承諾書にサインをして24日までに担当の__に提出してください。」
と、書いてあったけれど、
承諾書もついてないし、提出先の担当者の名前も空白のままでした。
 多分、承諾書をプリントアウトするつもりで、終わったIEPのお知らせの紙をプリントアウトしてしまったと思われます。

(←桜、4月28日)

 怪獣の担当のIEPのリーダーの先生は、親身になってくれるいい先生なのだけれど、(今年のIEPの記事にも書いたのだけれど)どこかが抜けている。
(それでも、プロフェッショナルとして働けるアメリカって…)

 

 怪獣に、他の紙は貰わなかったのかと何度も確認したけれど、お知らせ以外の紙は貰っていない様子。
 17日の日は金曜日で、翌日学校はなかったので、週明けにIEPのリーダーの先生に訊いてみるように怪獣に話しました。

(←桜、5月2日)

 週明けの月曜日、学校から帰って来た怪獣に承諾書について話に行ったかどうか訊いたけれど、話していなかったようなので、翌火曜日に要件を書いたメモを持たせました。

 火曜日にやっと承諾書と提出先の担当者の名前の書かれたお知らせを持って帰って来ました。
(担当者は案の定、IEPのリーダーの先生だった)
 サインをして、水曜日に承諾書を提出させました。

(←桜の花、5月2日)

 見学当日の29日は、普段通りに学校に出かけて普段通りの時間に帰宅。
 見学先のコミュニティ・カレッジは、もともと出願しようと思っていたカレッジだったので、何か興味のあるコースはなかったかと怪獣に聞いたら、グラフィックデザインのクラスはまあまあ興味があったけれど、特に他は面白そうなコースはなかったらしいです。

(←桜、5月4日)

 見学を機会に、進学したい学校かどうか雰囲気がつかめるといいな…と、思ったのですが、本人はあまり積極的ではない感じ。
 今回見学したカレッジは、オープン・エンロールメントの大学で無試験で入学できるし、秋からの学期の入学申し込みの締め切りが8月で、出願を焦る必要はないので、もう少し様子をみることにしました。

(←桜の花、5月4日
ほぼ、満開の状態。)

 

 

 

2015年5月13日水曜日

もしかして強運男?


 私が怪獣と娘を連れて2005年8月にアメリカに留学した当時、怪獣は日本で小学校3年の1学期を終わったところで、誕生日の関係から、エレメンタリースクール(小学校)の4年に転入することになりました。

 日本でも言語の遅れがあったのに、小学3年の2学期と3学期を飛ばして、いきなり4年生になってしまって、しかも(当然のことながら)全部英語の授業だったため、授業に全くついて行けず大変なことになってしまいました。

 ストレスからか、クラスで問題を起こすようになってしまい、学年を3年に落とす事(留年?)を勧められました。

 3年のクラス担任のMs.Dは、学生時代日本で過ごしたことがあり、その当時でも簡単な会話や日本語を読むことができる先生でした。

 クラスのテューター(補助)でついていた、大学生で教師の卵のMr.Dは、ハワイ出身でお祖母さんが日本人、英語と日本語のバイリンガルで、クラスのテューターとして働いていたけれど、ほぼ怪獣の専属でついてくれて、アルファベットの発音から怪獣に英語を教えてくれました。

 ESLも集団のクラスではなくて、教師と生徒の1対1で、パソコンを使ってゲームで遊びながら英語を学んでいく方法で、テレビゲームの大好きな怪獣のお気に入りの授業になりました。

 おかげで、3年生の1年間で、学校生活を送るのには不自由のないくらい成長しました。
(読み書きはまだ遅れはあったけれど…)

 怪獣の転入した学校が、たまたま大学のキャンパスの近くの学校で、大学の家族寮も近く留学生の子どもが多く通っている学校で、テューターのアルバイトで来ている学生も、英語以外の外国語が喋れる人が多く採用されていたこと、たまたま日本語と英語のバイリンガルのテューターに巡り会えたこと(日本語のバイリンガルは非常に少ない)など、本当に運が良かったとしか思えない状況です。

 その後、仕事の都合などでアメリカの公立学校子どもを通わせることになった日本人から話を聞いたことがあるのですが、ここまで恵まれた環境で最初の一年を過ごせる例は極めて稀なことなんだと、知りました。
(実際、当時中学生だった娘の方は、ホームルームの担任のみが日本語を少し話せる教師で、ESLもスペイン語圏の子どもたちに囲まれた集団の授業で、英語の習得に苦労したようです。)

 私たちの渡米から5年後に、夫のアメリカ転勤が決まり、今住んでいる市に移って来た時も、引っ越し先を決める時に近隣に住んでいる知り合いや、不動産屋の評判などから、今通っている高校の学区に引っ越す事を決めました。
 知り合いや不動産屋の口コミも、一般的な情報や子どもや自分自身が通ったことがある経験からの情報で、発達障害の教育やサービスについての情報は全くありませんでした。

 お金持ちが多いエリアだけあって、学校の設備は整っているし、「引っ越し前に住んでいた州に比べると、サービスはいいなぁ…」と、感じてはいましたが、「評判の良い学区だからなのだろう」くらいにしか思っていませんでした。

 今年の2月に、(怪獣のIEPについてきてくれた)元ソーシャルワーカーさんと知り合いになる機会があって、彼女の話から私たちの住んでいるカウンティ(郡)は、発達障害や知的障害者の就労プログラムが全米でも最も充実している地域で、州内からだけでなく州外からも就労サービスを受けるために引っ越してくる人がいることを知りました。

 元ソーシャルワーカーさんは、退職する前は主に障害者の就労支援の仕事をしていて、今年卒業する怪獣の進路を探していく上で彼女がIEPに参加してくれたのは本当に助かりました。

 彼女と知り合いになったのも、2月に我が家の車が故障してしまい、私が昼間に車を使う用事があって、友人に誰か用事に行く先に乗せていってくれる人って知らないかどうか相談したら、「同じ場所にたまたま同じ日に行く人がいるので、紹介してあげる」と、言われて、紹介してもらったのが、元ソーシャルワーカーさんでした。

 車が故障してなかなか直らなかった時は「ついてないなぁ…」と、思っていたのですが、車が故障したお蔭で元ソーシャルワーカーさんに会えたのだから凄い。

 渡米したての頃、日英バイリンガルのテューターに出会えたのも、夫のアメリカ転勤が決まって今の家に引っ越して来たのも、ソーシャルワーカーさんと知り合いになれたのも、ラッキーが重なったとしか言いようがないです。

 もっと遡れば、留学のためのビザが取得できたことも、日本の小学校で色々あって、あの時期に留学を決意したことも、怪獣にとっては全て良い結果に繋がっているように思えます。

 必要な時に必要な場所で必要な人や必要な出来事と巡り会えるなんて、もしかしたら怪獣ってかなりラッキーな男なのかも…

 

 

2015年5月10日日曜日

職業(就労)援助プログラムに合格


 去年の秋に申し込んであった職業(就労)援助プログラム。
今年の1月に、申し込みが受理されて、援助プログラムの対象になると言う通知が来ました。

 通知は来たものの、その後何の動きもなく、どうなるんだろう?と思っていた。
 この間の最後のIEPに行った時に、IEPの翌週の月曜日(3月30日)にアセスメント(調査)が行われるらしいことがわかった。

 アセスメント(調査)は、本人と面接して、スキルや能力などを判断し、どのタイプの職業を斡旋するか、政府からの障害者手当などに該当するかどうか調べるもの。

 怪獣はアメリカの市民ではないため、政府からの手当の対象にはならないけれど、どのタイプの職業に斡旋されるかはその後の就職活動に影響してくる。

 IEPの時に一緒についてきてくれた元ソーシャルワーカーさんの話だと、政府からの手当の対象になると、つける職業が制限されてくるので、普通に企業に就職する能力がないなら手当を貰う方がいいけれど、能力があるにも関わらず手当を貰ったことで職種や賃金が制限されるケースもあるから、要注意だと話していました。

 アセスメントの結果がどうなったかは、まだ連絡はないです。
 就労支援プログラムの団体は、今のところ、直接親や本人とコンタクトしてくるのではなくて、学校を通してやり取りしているので、何がどうなっているのかが見えにくいです。
(折角、プログラムが利用できるようになったのに、何が起こっているのかが不透明なのは残念です。)
 おまけに、就労支援プログラムだけに限らず、アメリカの事務の手続きは、日本とは比べ物にならないくらいのんびりしています。
 就労支援プログラムにはあまり期待せずに、こちらも進学や他のプログラムの参加を考えた方がよさそうです。

2015年5月7日木曜日

端午の節句2015

 5月5日はアメリカは公休日ではなかったのだけれど、怪獣の学校は何故か(多分先生たちの研修)休みだった。
 折角休みになったのはいいけれど、生憎の雨で、怪獣はどこへも出かけることなく家でゴロゴロしていた。

(↑端午の節句のテーブルセッティング)

 ゴロゴロしていた怪獣とは対照的に、私は日本食で端午の節句をお祝いするべく準備に追われていた。
(ディーなーと言っても平日なのでお客さんが来るわけではなく、家族のみの食事だったけれど…)
 お惣菜ではない和食のディナーを作るのは、雛祭りの時以来。
今回は品数を減らしてデザートも入れても6品目でした。

(↑一人分の盛り付け)

メニューは、
・稲荷寿司
・軍艦巻き(4種類)
・牛のたたき
・タコとオクラのネギ醤油
・うどん
・兜型アップルパイ
・柏餅
でした。

(↑デザート一人分)

 一番手間がかかったのは兜型のアップルパイ。
ネットで見つけたレシピの通り、春巻きの皮を利用して作ったのですが、皮が乾燥ていたためかバラバラになってしまい、7つ作った内の3つしか兜の形にはなりませんでした。
 柏餅は日本食の食品店に買い物に行った時に見つけたので買っておいたのですが、冷蔵保存で餅が固くなってしまってあまり美味しくなかったです。

 柏餅以外は好評だったので、頑張った甲斐がありました。

 

 

 

 

おまけ:

(↑稲荷寿司)

(↑軍艦巻き:
納豆巻き、いくらと胡瓜、スモークサーモンと玉ねぎ、海老とアボカド)

(↑炊飯器で作った牛のたたき)

(↑タコとオクラのネギ醤油)

 

 

 

 

2015年5月4日月曜日

Lighthouse(灯台) 17 
‐Livingston Memorial Lighthouse‐

 温室見学の後、車でBelle Isleの北東端にあるLivingston Memorial Lighthouseを見に行きました。

 Livingston Memorial Lighthouseはアメリカ全土で唯一の大理石でできた灯台で、1929年に個人の寄付で建てられました。

 1902年~1925年まで、Lakes Carriers団体の長をしていたWilliam Livingstonを記念するために建てられたもので、現在は稼働していないそうです。

 今回訪れたBelle Isleのあるデトロイト・リバーは、北の川辺がアメリカ、南の岸辺がカナダと、他のアメリカカナダの国境とは南北が逆で面白いです。
(普通はアメリカが南側、カナダが北側。)

 

2015年5月1日金曜日

Belle Isle Park


 4月最後の土曜日(25日)にデトロイト市のダウンタウンの近くにある、Belle Isle Parkに行ってきました。

(←水族館と温室)

 Belle Isleはデトロイト市とカナダの間を流れるデトロイト・リバーにある、約400ヘクタールの小島。
 島はアメリカに属していて、デトロイトから橋がかかっていて、陸路でアクセスできる。
 カナダは目と鼻の先だけれど、カナダ側に渡る橋はないので、カナダからは車ではアクセスできない。
(沿岸警備隊が常駐して監視しているので、多分ボートなどでもカナダからはアクセスできないと思う。)
 ステイトパークで島には、ビーチやカジノや博物館など色々なレクレーション施設がある。

(↑水族館の入り口)

 土曜日は久しぶりに晴の天気だったのだけれど、朝寒かったので、出かけようかどうしようか迷っていたら、パークに着いたのが午後3時ごろになってしまい、全部の施設を回ることはできなかった。

(↑水族館の内部)

 最初に訪れたのは水族館。
建物の入り口にアクアリウムと書かれてあったけれど、間口の大きさはあまり広くなくて、本当に水族館なの?と疑いながら中に入って驚いた。

(↑水族館の内部)

 水族館の内部は、トンネル状の通路と通路の両側に水槽が並んでいて、通路全体は床も含めてタイル張りで、ビクトリア様式の内装で、ハリー・ポッターの映画の魔法省のシーンを彷彿とさせるデザインだった。
 建築物大好きの私は、魚は殆ど見ずに内部のデザインに釘づけでした。

(↑入り口から中をみたところ
途中の吹き抜けが工事中で、足場が組んであるのがちょっと残念でした。)

(↑温室。正面からの全景
温室も1889年のパリの万博の頃の建物風っぽい作りでした。)

 水族館の次は隣にある温室を見に行きました。

(↑真ん中のドーム状の温室の内部)

 真ん中のドームと正面から向かって右側の温室は熱帯植物のコーナーでした。

(↑ブラジリアン・プリーム?)

(↑熱帯植物のコーナーの一角)

 真ん中の奥は北アメリカやメキシコなど中米の植物を集めたコーナーで、主に花が中心でした。

(↑北米・中米コーナーに咲いていた水芭蕉に似た花)

(↑サボテンのコーナー)

 正面から向かって左側の温室は、サボテンのコーナーと奥はシダ植物のコーナーでした。

(↑シダ植物のコーナー)

 温室を出た後は、島の北東の端にある灯台を見に行くことにしました。

次回に続く…