2017年9月17日日曜日

バナナケーキ(レシピ)&ピーチコブラ―


 私はだいたい朝食にバナナを食べるのだけれど、8月にナイアガラ砦に旅行する前に買ってあったバナナが、旅行から帰ったら少し食べごろを過ぎていたので、バナナケーキを焼きました。
 バナナケーキも度々作るので自分のブログにレシピを書いておくことにしました。

 

 

 

 

 材料:
(直径24cmのバント型1つ分)
・小麦粉  …240g
・砂糖   …240g
・バター  …220g
・卵     …4個
・バナナ  …4本
・レモン汁 …少々
・バニラエッセンス…小さじ1/2
・ベーキングパウダー…小さじ4

作り方:

型にクッキングスプレーかオイル(サラダ油またはバター)を塗っておく。
バターは室温に戻しておく。
小麦粉とベーキングパウダーは合わせて篩っておく。
オーブンは170℃~180℃に予熱しておく。
バナナを(フードプロセッサーやミキサーなどで)潰して滑らかにし、レモン汁とバニラエッセンスを加える。
ボウル(大)にバターを入れて泡だて器で混ぜ、砂糖を3回に分けてその度によく混ぜ、ふわふわになるまで混ぜる。
卵黄を1個分ずつ入れ、その度によく混ぜる。
②のバナナを④の生地に合わせて混ぜる。
篩った粉類を3回に分けて入れ、切るように混ぜる。
別のボウルに卵白を固く泡立て、⑥に切るように混ぜる。
型に生地を入れて表面を均して、170~180℃に予熱したオーブンで串を指して生地がつかなくなるまで焼く。(約35~45分くらい?オーブンによって調節してください)
オーブンから出して15分くらい冷まし、型を外す。

 

※マイライフシリーズNo.233「焼きっぱなしのケーキ作り」p47参照
分量などを少し変えてあります。

 

 

おまけ:

 以前の記事で紹介したピーチコブラーをちょっとアレンジしたものも作ったので画像を載せることにしました。

 アレンジした部分は、ピーチコブラーをオーブンに入れて暫く焼いて、表面が固まったあたり(約20~25分くらい)でクレマカタラナの時に使って余っていた三温糖とシナモンを混ぜたものをふりかけて焼いただけです。

(←一人分に切り分けたピーチコブラー)

 表面がカリッとしてシナモンの風味が美味しそうな仕上がりになりました。

 

 

2017年9月14日木曜日

ナイアガラ砦旅行の雑感など


 オールド・フォート・ナイアガラ(ナイアガラ砦)はニューヨーク州にある。
 我が家からニューヨーク州にいくルートはカナダを経由するルート(距離は短いけれど制限速度が低い)とアメリカ国内を通るルート(距離は長いが制限速度は高い)がある。

 今回は(アメリカ国内ルートのハイウェイが工事中だった事もあって、アプリで調べたらカナダ経由が最短の時間だったので)カナダ経由でニューヨーク州に行った。

(←ナイアガラのレインボーブリッジのアメリカ入国のレーン。
2012年の時に撮影したもの。
現在は入国審査のゲートの撮影は禁止されています。)

 カナダを経由する場合は国境越えなので入国審査がある。
 グリーンカードを提示して、聞かれる質問は大体同じ、
・どこに行くのか?(入国の目的)
・どこに住んでいるのか?
・(私たちはアメリカに住んでいるので)どれくらいの時間カナダに滞在する(またはしたのか)?
・カナダで何か購入したか?
・火器の持ち込みはないか?
・特定の品物やフルーツなど申告しなければならないものはないか?
等です。

 昼間(明るい時間)の入国審査は、係官も愛想がよく質問もサクサク進むけれど、早朝や深夜(暗い時間帯)は疑いの目で見られている感じで質問も執拗に細かい質問をされることが多い。

 今回ナイアガラのレインボーブリッジでカナダからアメリカに入国する時(昼間)に当たった係官は、私たちのグリーンカードを見るなり
「国籍はどこ?」
と、訊いてきた。
国籍はあまり訊かれることはないので、ちょっと面食らって
「日本だけれど…パスポート必要ですか?」
と、訊いたら、
「いや、要らない」
との返事。
後はいつもの質問が続いて、最後にグリーンカードを返してくれる時に。
「サヨナラ~、気ヲツケテネ~」
と、片言の日本語で挨拶してくれた。
(どうやら、アニメやゲームが好きなのか日本に興味を持っている係官だったみたい。
それで、日本語が使いたくて国籍をきいてきたのか…)
「あ、サンキュー、ありがとうございます~」
と、日本語で返事をして入国審査のゲートを抜けた。

(↑ニューヨーク州、牧場。) 

 ナイアガラのレインボーブリッジを抜けると、アメリカのニューヨーク州。
橋の周辺は観光地で、お土産品店やカジノや商業施設があるのだけれど、車で数分も走ると景色が変わってくる。

(↑マンハッタンの夜景)

(←メトロポリタンミュージアム前)

 日本人が『ニューヨーク』と聞くと、ニューヨーク・シティを思い浮かべるのではないかと思う。
 だけれどもニューヨーク州の殆どは丘や小山の多い地形で、車でドライブすると牧場や畑と森が入り混じった景色が続く。

 今年のイースターの頃にオンタリオ湖岸の灯台巡りに行った時も、森と農地の景色ばかりだったし、今回の旅行も田舎の道を走ることが多かった。

(↑森と風力発電の風車)

(↑矢印の先:ニューヨーク・ステート・スルーウェイの案内板)

(↑トウモロコシ畑の広がる農地)

(←矢印の先:ネイティブアメリカンの表記?のある案内板
春の旅行の時に撮った画像)

 ニューヨーク州はネイティブアメリカン(インディアン)も多い地域で、ネイティブアメリカンにちなんだ地名も多い。
 ナイアガラ砦の五か国の門は、モーホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、カユーガ族、セネカ族の5つのネイティブアメリカンの部族連合(イロコイ連邦)に敬意を表してつけられた。

(↑一つ上の画像の看板の部分の拡大図)

(←ローカルのコンビニエンスストア?とイトマル。
コンビニの隣はポストオフィスでポケモンGOのジムがあった。)

 ドライブの途中、ネイティブアメリカンの5部族の名前の1つ、セネカの町に近いローカルのコンビニ?(スーパー?)で、お昼ご飯を買った。

 スマホのアプリの口コミで評判が良かったので寄ったのだけれど、70年代の田舎のスーパーという感じで、半分は食料品や日用雑貨が並べてあって、半分はピザやサンドウィッチやフライドチキンなどの軽食を作って売っているお惣菜コーナーだった。

(←私が注文したローストターキーサンドウィッチ)

 お惣菜コーナーのサンドウィッチ類はできたものを並べて売るのではなく、注文を受けてから作るもので、中に挟む具やソースやドレッシングを選ぶ形式だった。

(←ナイアガラの近くのアイスクリーム屋さんで買ったアイス。
左:カスタード
右:ピーチシャーベット)

 食べ物といえば…
ナイアガラ砦を見た後に、(これもアプリの口コミで探した)アイスクリーム屋さんに行った。

 このアイスクリーム屋さんはカスタード(アイス)が評判らしく、が注文して食べていた。
 私はピーチシャーベットを注文したのだけれど、カスタードの方が美味しかったので後悔した。
 写真でもわかるように、普通のサイズでこの大きさ。
一人で一つ食べたら絶対太るよこれは…

 ナイアガラ砦は、ナイアガラ滝から少し離れていて(中国人団体以外の)観光客は多くはなかったけれど、アメリカの歴史を感じられる場所なので、ナイアガラ滝に行くことがあったら立ち寄ってみてもいいかも…

 今回でナイアガラ砦の旅行の記事はおしまい。
次からの更新は3日に1度の通常のペースに戻りま~す。
(◎´∀`)ノ

 

 

2017年9月13日水曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その7
ポケモンGOプレー

(↑左:ポケモンGOの地図画像
右:同じ場所からのAR画像)

 ナイアガラ砦の中にもポケモンGOのポケストップが幾つか、ジムが1つあった。
(ジムはフランス城にあった)

(↑左:フランス城とヤドン
右:フランス城にあるジムのフォトディスクの画像)

 ナイアガラ砦はカナダとの国境に近いため電波の状況があまり良くなくて、(時々カナダのキャリアに切り替わったりして)ポケモンGO三昧という事にはならなかった。

(↑南方形堡③、食物貯蔵庫⑤、丸太小屋⑦とトサキント)

 砦内の建物やデモンストレーションを見るのに忙しくて、ポケモンGOどころじゃなかったけれど…

※:○で囲まれた番号はナイアガラ砦の一番最初の記事の案内図の番号です

2017年9月12日火曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その6

 ナイアガラ砦の中ででは、デモンストレーションやツアーなどもやっていました。
 私たちが行った日は、大砲のデモンストレーションが1日2回、マスケット銃のデモンストレーションは1日6回、砲台回廊のツアーが1日2回、私たちは大砲とマスケット銃のデモンストレーションを見る事ができました。

(↑大砲のデモの説明)

(↑大砲のデモの様子)

 大砲のデモは大砲の砲火までの手順やそれに使う道具などを説明(英語で)したあと、空砲を湖に向けて撃つデモをしていた。

(↑デモが終わった後の大砲を北方形堡⑭にしまうところ)

(↑マスケット銃の説明をする人。
着ている服はイギリス支配時代のイギリス軍の軍服)

 個人差はあると思うのだけれど、私たちが見たマスケット銃のデモンストレーターはジョークを飛ばしたり、子どもの見学者に質問をしたり、結構話が面白かった。

 お城の前でデモを見るために集まって来た人たちに、
デモ:「そこの(製パン所の横の)ベンチに座って~
そうそう、並んで…」
と、皆をベンチに並んで座らせてから、ボソッ
デモ:「(射撃の)的にちょうどいい。(・∀・)ニヤニヤ
観客:(^w^) ブハッ!!
とか、
デモ:「この中で自分が一番遠くから来たと思う人~?」
子どもたちが
近隣の州の名前次々上げていく中、
ある家族が:「アリゾナ」
と、答えていた。
デモンストレーターが(多分私たちをチラ見しながら、)
デモ:「もっと遠くから来た人~、外国とか…」
ある白人夫婦が:「カナダなんだけど~」
と、答えると
デモ:「ダメダメ、川の向こう岸だからカナダは(外国に)入らない」
観客:「ヾ(^▽^*ハハハ!
デモ:「アリゾナの勝ちぃ~僕はイギリスから来た(ことになってる)んだけど…」
と、バリバリの米語の発音で喋って観客の笑いを誘っていた。

(↑マスケット銃のデモの様子)

2017年9月11日月曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その5

(↑製パン所⑩)

 フランス城を出た時に左隣にあるのが製パン所(The Bakehouse)です。
イギリス軍が1762年に火事で焼失したフランス軍の製パン所の代わりに建築したもの。
駐屯兵用のパンを焼くのに使っていた。

(↑製パン所の窯)

(↑丸太小屋⑦)

 丸太小屋(The Log Cabin)⑦は1757年にフランス軍によって建てられ丸太小屋を再現して1932年に建てられたもの。
 現在はお土産品店と売店になっている。

(↑火薬倉庫⑥)

 丸太小屋の隣にある火薬倉庫は1757年にフランス軍によって建造されたもの。
1929年まで駐屯軍の弾薬補給品庫として使われていた。

(↑食物貯蔵庫⑤)

 食物貯蔵庫(The Provisions Strehouse)⑤は1762年にイギリス軍によって建造されました。
 もとは2階建てで、駐屯軍のための食料貯蔵に使われていました。日には兵舎や馬小屋としても利用されました。

(↑18ポンド砲台⑱)

 18ポンド砲台(18-Pounder Battery)⑱は1840年~1872年にかけてアメリカによって建造されました。
 砲台回廊⑰と同じくカナダを威嚇するために作りましたが、一度も使用されることはなかったそうです。

(↑鍛冶小屋⑯)

 ⑯の鍛冶小屋(The Blacksmith Shed)は現在はデモンストレーション用の火薬を置いておく場所として使われたいた。

(↑Fort Niagara Lighthouse

 砦の外にある灯台は1871年建造、1993年まで使用されていた。
灯台についての詳しい説明はFort Niagara Lighthouseの記事に書いてあります。

※:○で囲まれた番号は4つ前の記事の案内図の番号です

 

 

2017年9月10日日曜日

Old Fort Niagara
オールドフォートナイアガラ その4

(↑フランス城⑪)

 砦の中で一番大きな建物がフランス城(The French Castle)⑪。
フランス城は1726年にフランスによって建てられたもので、北米の五大湖地域の(現存する?)最古の建物らしいです。

※:○で囲まれた番号は3つ前の記事の案内図の番号です

(↑1727年当時のフランス城の内部
画像クリックで拡大
A:貿易物品の倉庫、B:貿易事務員の部屋、C:玄関ホール、D:守衛部屋/簡易ベッド付き兵舎、E:火薬倉庫、F:貯蔵室、G:食糧貯蔵室、H:製パン室、I:聖具保管室、J:礼拝室、K:指揮官事務室、L:指揮官の部屋、M:士官用食堂、N:士官の部屋、O:士官の台所、P湖岸の窓へ通じる廊下)

・1階

(↑貿易物品の倉庫A)

 フランス城はフォートナイアガラの要塞施設として建設されたが、原住民のイロコイ族の警戒心を和らげるため、貿易所という名目で建設、1階の貿易室では実際にインディアンとの交易が行われていました。

(↑玄関ホールCにある井戸)

 玄関ホールCにある井戸は1726年~1815年頃まで使われていましたが、1926年に再び開けられるまで閉鎖されていました。
 殺されたフランス士官が首なし幽霊になって井戸に出没するという言い伝えがあったそうです。

(↑1階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑製パン室H)

(↑食料貯蔵室G&F)

 1階の1727年当時は食料貯蔵室だったGと二つある貯蔵室だったFのうちの一つは、現在は内壁を取り払って繋げられて食堂として展示されています。

(↑1727年当時貯蔵室Fだった場所にある暖炉)

(↑貯蔵室F)

(↑火薬倉庫E)

 

・2階

(↑2階のホール。
1階の玄関ホールの真上C)

(↑2階の守衛部屋/簡易ベッド付兵舎D)

(↑礼拝室J)

 2階の礼拝室は西部ニューヨーク州に現存する最古の教会らしいです。

(↑指揮官の部屋L)

(↑士官用食堂M)

(↑士官の部屋N
左の画像の奥に士官の台所が見える)

 士官の台所は現在は作業所になっていました。

・屋根裏

(↑はね出しはざま)

 フランスが支配していた時代は、屋根裏の張りだした屋根裏窓に、銃や小さな大砲が置かれていましたが、1812年戦争の時に屋根が取り外されて塁壁が築かれ、対岸のフォートジョージを攻撃するために大砲が置かれていました。

(↑屋根裏の空間)

 現在の城は1926年~33年にかけて修復されたもので、城の内部の調度品などはフランス支配時代の雰囲気を作るために18世紀半ばのスタイルに複製されて置かれているそうです。