2013年12月6日金曜日

リモデリング63 
ライブラリー&ダイニング窓の交換1-before-


 この記事も9月に作成したけれど、12月に入った現在も室内部分の仕上げが終わっていなかったので、UPできずにいたものです。
 年が変わる前に窓の交換関連の記事を終わらせたいので、毎日連続でUP予定ですが、それまでに内部の仕上げは終わるかしら?

(←左の矢印の先:ダイニングの窓
右の矢印の先:ライブラリーの窓
※注:冬の写真を使ったのは庭木の葉が落ちていて、窓が見えやすかったためで、作業を始めたのは6月後半になってからです。)

 今年の夏は、表庭に面している1階の2つの窓、ライブラリーとダイニングの窓を交換しました。

(←交換前のライブラリーの窓:内側)

 1970年代に建てられた我が家は、あちこち老朽化が進んでいて、修理や交換が必要でした。

 1Fにあるライブラリーとダイニングの窓も、劣化がかなり進んでいて、断熱フィルムを貼って閉め切って使っている状態でした。
(窓の枠にフィルムを貼ってあるので窓が開けられない)

(←ライブラリーの窓に出来ていた、窓枠とガラスの間の隙間)

 特に酷かったのはライブラリーの窓で、窓枠と窓ガラスのの間に5mmくらいの隙間が出来てしまっていて、屋外と室内を隔てるものは薄い断熱フィルムのみになってしまっていました。
 薄っぺらなフィルムだけでは、十分な断熱が出来ず、冷暖房の効率も非常に悪かったです。

  冬場は外気温が-20℃以下に下がることもある地域なので、早めに新しい窓に交換したほうがいいということで、夏の間に窓を交換することにしました。

(←交換前のライブラリーの窓:外側)

 DIYのお店や窓のメーカーに問い合わせたのですが、我が家に使われている窓のサイズとデザインは現在スタンダードのサイズではなくて、同じサイズで同じデザインの窓に交換しようと思ったらオーダーメイドで注文するしかなかった。

 オーダーメイドで注文すると、窓1つ当り5000ドル(約50万円)以上。
ライブラリーとダイニング2つで10000ドル(約100万円)を超えてしまうので、全く同じサイズの窓を探すのは断念して、最も近いサイズの窓を探すことにしました。

(←交換前のダイニングの窓:内側)

 購入することになった窓は、窓枠の屋外部分がアルミで屋内部分が木製のペアガラス製。
 セミオーダーで、スタンダードの高さと幅から組み合わせが選べるもので、既存の窓のサイズより高さが4インチ低く、幅が1.5インチ大きかった。
 お値段は、1つ当り1500ドル(2つ合わせても3000ドル)と大幅にダウンしたので、サイズ調整などの多少の手間は覚悟で選びました。

 

 

2013年12月5日木曜日

リモデリング62 
ガレージシャッターの塗り替え

 この記事は、今年の夏に書き上げてあったのですが、機会がなくてUPできないまま時間が過ぎてしまいました。
今年も残すところ1ヶ月を切ってしまって、このままだと、UPできないまま来年になってしまいそうなので、急いでUPすることにしました。

 去年の9月にガレージのシャッターの塗り替えをしました。
塗り替えてからずい分時間が経っているけれど、まだ記事にしていなかったので記事にすることにしました。

(↑塗り替え前のシャッター)


 我が家の外観はこげ茶色と茶色で、シャッターもこげ茶色でした。

(←エントランスドア)

 建物全体の雰囲気が暗いので、2年前に交換したエントランスドアの色に合わせて、外構建具の色を変える計画です。
 
 エントランスドアの枠はアラビアンサンドという色のペンキで、ドアはオークの木目調のプリントがされているのだけれど、ドアの色に近い色がなかったので、近似色をDIYのお店のペイントコーナーで調合してもらいました。

 まず最初に、①シャッターのパネルをはずします。

(←上:取り外す前のシャッターを裏側から見たところ。
下:シャッターを巻き上げるためのスプリング。)

 我が家のガレージのシャッターのパネルは4枚あって、可動式の蝶番のような金具で繋がれていたので、金具を外せば1枚ずつ外すことが出来るのではないかと考えていました。

 ところが、シャッターを巻き上げるためのワイヤーがシャッターの一番下のパネルの左右についていて、そのワイヤーが強力スプリングと繋がっていて、パネルを外すとワイヤーが巻き上がってしまって元に戻すことが出来なくなってしまうことがわかりました。

①-1:シャッターについている巻き上げ用の左右のワイヤーを固定して、巻き上がらないようにする。
(注:スプリングの力がかなり強いので、固定する時は怪我に注意。
我が家はシャッターを上げ下げするレールに太いボルトで無理やり固定してしまったけれど、レールが曲がったり、ボルトが外れて怪我の原因になる可能性があります。
スプリングを止めておく工具が売っているのでそれを使う方が安全だと思います。)

①-2:蝶番状の金具を外して、パネルを外す。
パネルを外したら、塗装の前にパネルの汚れを掃除する。

②シャッターの汚れを掃除している間に、シャッターの周りの枠を塗装します。

(←上:1回目の塗装が終わったところ。
下:2回目の塗装終了後)

今回シャッターの周りの枠を塗るのに使ったのは、アラビアンサンドという色。
プライマーを入りのペンキなので、汚れを落とす以外の下地の処理をせずに直接ペイント。
塗装にはローラー刷毛とスポンジ刷毛を使いました。

元の色がこげ茶で、新しい色がベージュ系の色だったため、1回だけだと元の色を完全に塗りつぶせないので、1回目を塗って、暫くして乾いたら2回目を塗ります。

③シャッターパネルの汚れを掃除し終わったら、シャッターパネルの塗装をします。

(←上:取り外したシャッターパネル
下:2回目の塗装を終えたシャッターパネル)

シャッターの周りの枠のペンキ(1回目の塗装)が乾くのを待っている間に、シャッターパネルの塗装(1回目)をします。

シャッターも枠と同様に、1回目が乾くのを待って、2回目の塗装をします。
(今回は、枠1回目→シャッターパネル1回目→枠2回目→シャッターパネル2回目の順で交互に乾くのを待って塗装しました。)

④シャッターパネルのペンキが乾いたら、取り付けです。

(←シャッターパネルを取り付ける直前)

できればパネルのペンキが完全に乾く翌日まで待って取り付けしたかったのですが、ガレージのドアを開けたままでは眠れないので、夜まで待って取り付けしました。

(↑シャッターのパネルを蝶番で連結しているところ)

 スプリングに繋がっているワイヤーがついている金具の取り付けに注意すれば、後はパネルを蝶番で連結して取り付けていくだけです。

(←シャッターパネルを取り付けているところ
シャッターが跳ね上がらないように怪獣が抑えている)

(↓取り付けが終わって、翌日のガレージを外側から見たところ)

2013年12月3日火曜日

サンクスギブン&ブラックフライデー2013

 先週の木曜日(11月28日)はサンクスギブン(感謝祭)でした。

 去年は友達の家のディナーに呼ばれたけれど、今年は家族で小ぢんまりとディナーにすることにしました。


(←クランベリーとスプリングミックスサラダ)

メニューは
・クランベリーとスプリングミックスサラダ
・ディナーロール
・鶏モモロースト、マッシュルームとクリーム添え(メイン)
・温野菜の付け合せ
・アップルパイ
・パンプキンパイ
・アップルジュース
でした。

(←鶏モモのロースト、
クリームソース、マッシュルーム、
温野菜の付け合せ)

 メインディッシュは鶏モモのロースト。 
 サンクスギブンの週の月曜日(25日)に、夫が職場から冷凍ターキー(6kgくらいのもの)を貰ってきたので、ターキーの丸焼きを作ることも出来たのですが、家族が3人しかいないので、クリスマスのために冷凍保存しておくことにしました。

(←ディナーを1人分に取り分けたところ)

 

 ディナーロール(パン)とアップルジュースは市販のものを使いました。
 サラダは市販のサラダミックスにチーズとクランベリーと胡桃を加えたお手軽サラダ。
 ドレッシングはポピーシード・ドレッシング(市販)を使いました。

(←上:パンプキンパイ
下:アップルパイ)

 デザートは2種類。
 サンクスギブンによく作られる(食べられている)、パンプキンパイとアップルパイにしました。
 パンプキンパイは手作り、アップルパイは冷凍のものをオーブンで焼いただけです。

 今年はブラックフライデーのセールに出かけるのに忙しくて、手の込んだ料理は作れなかったです。

(←切り分けたパイとアイスクリーム
上:パンプキンパイ
下:アップルパイ)

ブラックフライデーの買い物については、↓

  (←ブラックフライデーのセールで買った、怪獣の掛布団カバー)

 サンクスギブンの翌日はブラックフライデーと呼ばれていて、色んな店で大型のバーゲンセールが行われます。
 私たちがアメリカに来た当時(8年前)は、金曜日の朝6時頃からお店が開いたけれど、年々セールの始まる時間が早くなって、今年はサンクスギブンの当日からセールを始めるお店も出てきました。

(←ダイニングの鏡)

 去年は転職騒動で買い物どころではなく、セールの商品も特に欲しいものがなかったので、ブラックフライデーのセールで買ったものはなかったけれど、今年はアメリカの景気も回復してきたのか、セール品の数も種類も豊富でした。

(←怪獣の衣類)

今年は衣類や寝具類などを中心に購入しました。
買ったものは、
・怪獣の衣類、
・布団カバー×2
・枕×4
・クリスマスの飾り
・ミニクリスマスツリーとリースセット
・ダイニングの鏡
・スライド式のマイタソー(ノコギリ)

(←ミニツリーのセット)

布団のカバーはバーゲン価格で買ったものの、手持ちの布団(日本製)とサイズが合わなかったので、ミシンで周りを縫ってサイズを合わせました。

 一番高かったのは、夫のパワーツール(ノコギリ)で、168ドル(元値は280ドル)でした。

2013年12月1日日曜日

退職後~試用期間~本採用
-アメリカで転職7-

 転職関連のネタも遂にこの記事で8回目。
12月になってしまったことだし、今日こそはシリーズ最後にしたい、退職後色々あった出来事を上手くまとめて書けるかなぁ…

 昨日の記事からの続き

 2ウィークス・ノーティスを提出した日から、少し早いクリスマス休暇に入ることになった夫。
 ゆっくり出来るかなぁ~と、思っていたけれど、1月から始まる新しい仕事への準備で結構忙しかった。

 新しい会社との連絡は、引き続きインド人の人買いさん(アメリカの人材会社の人)がやってくれた。
  インド人の人買いさんは、新しく移る会社の専属のリクルーターを長年やっていて、その会社のことに詳しかった。
 アメリカの人材会社のシステムは色々だけれど、インド人の人買いさんの会社は、担当の会社の欲しい人材を探してきて、探した人が採用になると、採用された人の年収の何割かが報酬として支払われる仕組み。
 新しい会社との賃金の交渉や、転職のサポートを熱心にやってくれたのは、ただ単に親切心だけではなくて、彼自身の報酬にも影響してくるからだった。
 夫のように、賃金の交渉や雇用条件の交渉が苦手なタイプには、今回当った人材会社のシステムはとてもありがたかった。

 インド人の人買いさんから、退職後、新しい会社に出社するまでに必要な手続き関係ののリストが送られてきた。

 まず、やらなければならなかったのは、ドラッグテスト。
アメリカの会社は、(バイトでも)採用前にドラッグテストを受けさせるのが一般的。
新しい会社からも、指定の病院に行ってドラッグテストを受けるように指示が来た。
 夫はドラッグどころか、アルコールもタバコも嗜まないのだけれど、娘の高校の時の先生が、ドラッグテストの前日に食べたポピーシードのパイのせいで、ドラッグテストで陽性になり、採用を断られた話を聞いていたので、転職活動を始めた頃からポピーシードの入った食べ物や風邪薬など避けるようにしていた。
 おかげで、検査の結果は陰性だった。

 第一関門クリア~
d(*'-'*)b イエーイ

 次にしなければならなかったのは、健康保険の延長の手続き。
アメリカでは、はじめの3ヶ月は試用期間で、その間は健康保険などの福利厚生が受けられない。
 国民皆保険制度はないので、公的な保険はない。
かわりに多くの会社が退職後も最長3ヶ月は(保険料は自腹だけれど)保険が延長できるシステムになっているので、試用期間中も引き続き前の会社の保険が使えるように、手続きが必要だった。
 前の会社で同僚だったS.Mさんにお願いして書類を届けてもらって、手続きを進めたのだけれど、担当が例の(夫が失業しかかっているのにレジメを2週間もほったらかしにした)人事の人だったうえに、クリスマス休暇が目前に迫っていたので、結果は推して知るべし。
 手続きが終わって、引き続き保険が使えるようになったのは3月に入って、試用期間も後一月を残すだけになった時点だった。

 さすがアメリカ事務処理が遅い。
(手続きをしてから2ヶ月かかったけれど、)とりあえず第二関門クリア~
v(・_・) ブイッ

 その他には、古い会社と新しい会社の事務手続きが色々あった。
 手続きをしていてひとつだけガッカリしたのは、7年間働いて退職金を全くもらえなかったこと。
 退職金を支払うように会社を訴えることも出来たのだけれど、(弁護士を雇うにもお金がかかるし、)理不尽な会社とこれ以上係わり合いになるのは嫌だったので、縁が切れたのをよしとして忘れることにした。
 残念なこともあったけれど、その他の手続き関係も順調にクリアして、新年を迎えることが出来た。

 新年は、1月2日から新しい会社に出社。
 初日だから挨拶だけで午前中で終わるだろうと思っていたら、いきなり仕事の説明になったらしく、夕方7時くらいになってやっと帰宅した。

 インド人の人買いさんも、初日がどうだったか心配だったようで、夕方5時ごろ家電に電話がかかってきたので、まだ帰宅していないので、求職活動専用の携帯に連絡するように伝えた。

 求職活動を手伝ってくれた、J.CさんやG.TさんやS.Sさんに、無事転職できたことを伝えると、思ったより早く転職できたので、みなびっくりしていた。
 J.Cさんなんかは、早くても4~6ヶ月くらいかかると思っていたらしいから、うちの夫のケースはかなりのスピード転職だったらしい。

 道理で2ウィーク・ノーティスを提出した時に、件のパワハラ上司が、「新しい仕事は決まったのか?」と、何度も聞いてくるわけだと思った。

 1月、2月、3月と、新しい会社のシステムや業務に慣れるのに忙しくしているうちに、試用期間はあっという間に過ぎ、4月になってめでたく本採用になりました。

☆(*^o^)乂(^-^*)☆ ヤッタネ!!

 本採用になって、新しい会社の福利厚生が以前勤めていた会社よりも、ずっといいことが判明。
 例えば娘の歯の治療なんか、以前の会社の保険では自己負担分が6500ドルと見積もりが出ていたけれど、新しい会社の保険では約1/7の1000ドル以下の自己負担金で治療できてしまった。

 おまけに、通勤時間は半分の15分になるし、お給料もちょっとだけ上がったし、海外出張は減るしで、いいこと尽くめだった。

 レイオフを言い渡された時は、
「どうしてこんなことに~(|||_|||)ガーン」
「アメリカで転職活動なんて、どうすればいいんだ~」
と、途方にくれたが、
『転んでもただでは起きない』を地で行くような逆境に強い我が家。
 いい友人と(そのまた友人と)いい人買いさんのおかげで、無事仕事も見つかったし、何よりもパワハラ上司と一緒に働かなくて済むようになったのは、今回の転職騒動の最大の恩恵だったと思う。

 と、言うわけで、これにて長く続いた転職関連のシリーズはおしまいです。
お付き合いありがとうございました。
<(_ _*)> アリガトォ~


 

 2ウィークス・ノーティスの日以来、以前の会社には行っていないし、コンタクトも取っていない夫だったが、元同僚の話で夫が辞めた後、職場が暫くゴタゴタしていたのを小耳に挟んでいた。

 特に、日本企業対応要員で呼ばれたアジア人が、問題を起こしているようだった。
彼は、お客さんと上手くコミュニケーションできなくて評判が悪いうえに、自分がうちの夫を辞めさせるために呼ばれたことを知っていたので、それを脅しに使って、一般職からマネージャー職に昇給させろと騒いでいること。

 新しくヨーロッパから来たマネージャーは、ズケズケ物を言うタイプの人で、件のパワハラ上司は部下虐めがやりにくくなったこと。

 パワハラ上司は夫の退職後、LinkedIn(ビジネスSNS)で友達申請をしてきたけど、即却下。
 保険の書類などを持ってきてくれていた元同僚に、転職先はどこなのかしきりに聞いていたらしいけれど、元同僚は知っていても話す気もなかったし、夫も本採用になるまでは会社の名前を伏せていた。
 今はほとんど使っていないネットの古いメルアドにメールを送ってきて、「また、一緒に食事に行きたいですね」と、書いてあったらしい。
 あれだけの虐めや嫌がらせをしておいて、普通に友達が続けられると思っているところが非常におめでたい。
 今回の転職で縁が切れて本当に良かった。 

 

2013年11月30日土曜日

面接~2ウィークス・ノーティス
-アメリカで転職6-


 転職関係の記事は11月中で終わらせようと思って、毎日連続で更新していたのだけれど、今週はサンクスギブン&ブラックフライデーもあって、思ったように記事の執筆が進まなかった。

 時間は遅くなっても、今日中にUPするぞ~
p( `o´ )qガンバルゾ~
 と言うわけで、昨日の記事からの続き

 夫は仕事や職探しやセミナーでバタバタしているうちに、あっという間に11月が終わってしまった。

 11月が終わった時点で、案の定、企業内への転職先は見つからなかった。
と、いうのも、
 企業内の求職や転職は人事課を通して申し込む決まりになっていたのだけれど、人事の担当者がサンクスギブンの前後2週間も休暇を取ってしまい、2週間夫のレジメは放ったらかしで申し込み先に送られていなかったからである。
 人事の担当が休暇から帰ってきたら、企業内の転職活動の期限は1週間後に迫っていていて、それまでに転職するのは不可能。
 失業しかかっている人がいても、しっかり休暇は取る、さすがアメリカンらしい働き方。
せめて休暇に入る前にレジメを申し込み先に送ってくれていれば、仕事が見つかったかもしれないのに…
 企業外への転職に力を入れていて正解だった。

 会社の求職担当がいい加減だったのとは対照的に、 モンスター・ドット・コムを見て連絡して来たアメリカの人材会社の担当は親切だった。

 人材会社の担当(人買いさん)はインド人で、日本で働いていたこともある人だった。
 カバーレターやレジメのチェックだけでなく、面接に行く企業の情報やニーズなどを細かく調べて教えてくれたし、給料の交渉の仕方や、面接が終わったら面接官にサンキューメールを書くなどの、アメリカの面接での慣習なども教えてくれた。
 面接の前日の夜には、電話で面接の練習までしてアドバイスをしてくれた。

 面接当日は、(欠勤理由をパワハラ上司に知られるのが嫌だったので)会社を無断欠勤して出かけた夫。
朝から面接で午後には帰宅。
 一般的な面接だと思って行ったら、インド人の人買いさんが事前にかなり根回しをしてくれていたみたいで、先方は雇う気満々。
 面接に来ていたのは3人、全部現場の人間で、自己紹介もそこそこに、いきなり実際の業務の話になって、
「こういう時は、どういう対応をしますか?」
等の、具体的な質問が多かったらしい。

 当初は現場の人間と面接した後に、幹部クラスのボスとの面接が予定されていたけれど、インド人の人買いさんがボスを説得してくれて、ボスとの面接なしで採用が決まり、面接の2~3日後には採用確定の連絡が来て、給料の額などの雇用の条件の調整に入りました。

 面接の翌日、出社すると件のパワハラ上司が、欠勤の理由を根堀り葉堀り聞いてくるので、妻の調子が悪かったと返事をした。
 「妻の調子が悪い」は、転職活動のため会社を休まなくてはならない時のための言い訳で、件のパワハラ上司には「レイオフの話以来、妻が落ち込んでいて夜も眠れないようだ」と話していたし、同僚たちにはレイオフのことは知らせていなかったので、「妻が最近欝っぽい」と話してあった。
 実際のところは、妻(私)はピンピンしていて、企業外への転職活動モードになっていた。
(現在私が使っている携帯は、私の名義で契約して、転職活動専用機にして、夫に持たせていたもの。)

 インド人の人買いさんが給与の交渉のためのメールを添削までしてくれたおかげで、12月の中旬にはその当時よりもいいお給料で新しい会社との交渉が決まり、当時働いていた会社をその年いっぱい(12月31日)に辞めるために2ウィークス・ノーティス(辞表)を出すことになった。

 2ウィークス・ノーティスもインド人の人買いさんが文章を考えてくれて、夫は宛先をタイプして、文章をコピペして、自分の名前を署名して、会社と人事と件のパワハラ上司に提出するだけだった。

 夫が2ウィークス・ノーティスを提出した提出した時、件のパワハラ上司はレイオフではなくて自己都合退職されたことがショックで「どうせ仕事なんかないんだから出いけ!」と、ぶち切れ、事情を知らなかった同僚たちは夫の急な退職にびっくりした。

 レイオフを打診されてから1ヶ月と10日、夫は私物を少しずつ会社から家に持ち帰っていたし、会社から支給されたPCのメールなど仕事と関係のないデータは移動個人情報はすべて消去済み、携帯も連絡先など必要なものは移動して、残りは全部消去してあった。
 オフィスの机の上に、会社から支給されたPCと携帯だけを置いて帰ってきた。

 本当は今日で転職シリーズは書き終える予定だったけれど、文章をまとめる力がなくて長くなりすぎてしまった。
 退職後の様子は次回に続く…
 

2013年11月29日金曜日

求職ワークショップ
-アメリカで転職5-


 昨日の記事からの続き…

 レイオフ通告以来、通常通り会社に出勤して業務をこなし、会社の規則で企業内の転職活動をし、(会社には内緒で)外部への転職活動を進めるという、多忙な日々を送っていた夫。

 件のパワハラ上司は、夫の追い出しが確実になったと安心したのか、あからさまなパワハラの手を少し緩めてきた。
 夫に外部機関へ通報されたり弁護士を立てて訴えられるのを恐れたのか、転職活動に協力するポーズをとり始めた。
 協力はポーズだけで、実際は何もしないばかりか、下請けの企業の新卒レベル(給料半減)の求人の話を持ってきて、コンタクトを取るようにしつこく勧めて、企業内での転職活動をする時間を減らすなど、親切を装った妨害をしてくるようになった。

 レイオフの原因がわかった時点で、その企業に未練なんて微塵もなくなっていた夫は、パワハラ上司の勧めに従うふりをしながら、ひたすら企業外の転職活動に力を入れていた。 

 ネットでの転職活動の他に、G.Tさんに紹介してもらった、求職ワークショップやカウンセリングをやっているS.Sさんに連絡をとって、直近のセミナーの予約もとった。

 ネットでの求職活動はレジメを送ったりなど、面接に至るまでのいわゆる書類選考の活動しか出来ないが、S.Sさんの働いている機関の求職ワークショップでは、主に人対人での就職活動のノウハウに重点を置いたセミナーを開催していた。

 夫がS.Sさんに連絡をとった時は、丁度11月のセミナーが終わったばかりで、次のセミナーは12月の頭にしかなかった。
 S.Sさんに事情を話して、セミナーの前に面接になる可能性が非常に高いので、面接に備えてやっておいた方がいいことがあるかどうかを聞いたら、連絡した翌日に自宅まで来てくれることになった。

 S.Sさんの話によると、企業の面接で一番最初に訊ねられる質問は、
「あなたについて話してください」
とか
「自分をどう思いますか?」
といった、類のものが最も多いそうで、
 その質問に、2分くらいで短く自分を売り込むことができたら、面接官の印象がぐっと上がるということだった。
 S.Sさんは、面接に備えて2分間の自分を売り込むCMを作るように夫にアドバイスして、もしも、セミナーの前に面接の予定が入ったら、(S.Sさんに)連絡するようにと言ってくれた。

 結局、アメリカの人材会社(人買いさん)の紹介してくれた企業の面接は、セミナーの翌日だったので、面接にギリギリ間に合った。

 求職セミナーは、5~6人の小グループで、一人一人が面接の模擬をやって、それを見ていた他の人が、感想を述べたり改善点をアドバイスしたり、近くの会社に突撃訪問して面接の予約を取ってくる活動をしたり、電話での話し方のアドバイスや、面接の時の服装、統計資料を使った求職の進め方(傾向と対策?)など、役立つ活動が沢山あったらしい。

 夫が求職セミナーに参加して驚いたのは、夫以外のセミナーに来た人全員が、勤続年数が3年以下だったこと。
 夫が「7年勤続している」と言ったら、アメリカ人は「長いね~」と、驚いていたみたい。
統計でも、アメリカ人は平均2~3年で転職を繰り返していると言うデータがあるそうです。

 さて、求職セミナーの翌日は、ドキドキのアメリカで初めての面接。
面接の結果は…次回に続く…
 

2013年11月28日木曜日

ネットで転職活動
-アメリカで転職4-


 昨日の記事からの続き

(←モンスター・ドット・コムのウェブページ)

 「こうなったら、出来るだけ早く転職先を決めて、クソ上司にリベンジだ~」

(`∇´*)o"エイ(`∇´*)o"エイ(`0´*)ノ"オゥ!!

と、社外への転職に力を入れることを決めた私たちだったが、新しい職探しは地道な作業だった。

 アメリカにも、日本の職安にあたるようなサービスはあるのだけれど、失業者優先で、お役所関係が管轄しているので、対応がのんびりしている。
 終身雇用制のないアメリカでは、転職が頻繁に行われていて、求人や求職の情報もめまぐるしくかわるので、スローテンポの職安での職探しではまともな仕事を見つけるのは至難の業。

 「今の時代はネットでしょ!」
と言うことで、(J.CさんやG.Tさんの勧めに従って、)転職の情報を収集するために、ネットの求職サイトやビジネス系のSNSに登録することにした。

 まず、手始めに職探しでは有名所のモンスター・ドット・コムへ登録。
その後、日英バイリンガルの職探しのサイトなど、2~3件のサイトに登録。
 登録の仕方は簡単で、サイトの指示に従って情報を入力していけば登録完了。
 登録完了後は、自分の必要に合わせて公開する情報を選んだり、ある一定の企業からアクセスできないように設定したり、レジメを添付したりすればOKです。

 モンスター・ドット・コムには求職だけでなく、求人のページもあって、求職者が興味のある企業に問い合わせることが出来るのですが、私の仕事は求人のページを調べて、夫の職歴と合いそうな職種を募集している会社を探すことだった。

 また、J.CさんやG.Tさんの話によると、約80%の人がビジネスSNSを通して仕事を見つけていると言うことで、2人が勧めてくれたLinkedInというビジネスSNSに登録することになった。

 LinkedInは、フェイスブックのビジネス版のような感じで、友達を承認していくことで、友達の友達のそのまた友達と、人のつながりで情報を共有・遣り取りするシステム。

  夫が登録した時は、登録をしたメールアドレスの住所録に入っているコンタクト先に、LinledInのお誘いのメールが自動的に届くような設定になっていたので、友達にしたくない人(夫の場合はパワハラ上司や当時働いていた企業の人間)に連絡が行かないように、都合の悪い人が履歴に入っているメールアドレスは登録しなかった。

 求職サイトに登録して間もない頃は、求人リストの中から興味のある企業にコンタクトを取るのが主でしたが、登録後2~3日したら、人材会社や企業の人事担当からのコンタクトが入ってくるようになった。

 モンスター経由でコンタクトを取ってきたのは、ほぼ100%人材会社(私たち夫婦は「人買いさん」と呼んでいた)で、
人買いさんたちは電話で直接コンタクトしてきて、求人している企業の名前は伏せて、まず(給与や勤務地などの)こちらの希望の条件を聞いて、企業の求人とこちらの希望が合えば、企業へ紹介してもらえるシステムのようだった。

 夫は日英バイリンガルということで、日系の人材会社が何社かコンタクトを取ってきたのだが、日系の人買いさんが取引をしている日系企業は、基本給がその時に働いていた会社より大幅に低いところが多くて、どれも夫の希望には一致しない。

 日系の人買いさんからの問い合わせが多い中、ある日、アメリカの人材会社から「ぜひ、紹介したい会社がある」と、電話がかかってきた。
 話を聞くと、夫がエンジニア時代にやっていた仕事に関連のある分野で、おまけに辞めようとしていた会社の基本給と同額かそれ以上の額を保証できると言うことだったので、話を進めてもらうことにした。

 LinkedInを通しても、1件だけ企業の人事担当から連絡があったけれど、業界は一致していたけれど部門が一致しなかったので、面接には至らなかった。
 LinkedIn経由の求人コンタクトは少なかったけれど、LinkedInにレジメを載せておいたら、友達や知り合いが添削をしてくれたり、知り合いが所属する色んな企業の情報がやり取りできて、かなり有益だった。

 次回に続く…
 

 

2013年11月27日水曜日

レイオフに至った状況
-アメリカで転職3-


 昨日の記事からの続き。

 J.CさんやGTさんのアドバイスを受けたり、レジメを書いているうちに、3ヶ月のスキルトレーニングプログラムの実態や、レイオフに至った状況がだんだん見えてきた。

 最初は、直属の上司のパワハラが酷かったので、直属の上司が単独犯行かと思ったのだけれど、直属の上司の上司に相談しようと、連絡を取るけれど「会議中だ」と逃げられてつかまらない。
 周りの状況や同僚からの情報を集めていくうちに、幾つかの原因が複雑に関係していることがわかってきた。

①直属の上司は、元同僚だったのだけれど昇進して夫の上司になった。
彼は(アメリカ人だから)英語は達者で幹部にとりいるのはうまいけれど、技術に関してはうちの夫の方が詳しかったため、夫に自分の地位を奪われるのを恐れていて、常にライバル意識むき出しだった。

②
日本のチームに新しく入ったマネージャーが、口ばっかりで仕事をしな(出来ない?)くて、関連するアメリカの仕事にまで支障がでていたので、夫が日本チームのマネージャーに日本チームの役割をきちんと果たすように注意をしたのが原因で、ことあるごとに対立していた。

直属の上司と日本のチームのマネージャーで、邪魔な夫を追い出す作戦を実行していた時に、

③ヨーロッパの本社で移動があって、中国に転勤するように言われたヨーロッパ人のマネージャーが、「中国は嫌だ」とアメリカに移動させてくれるようにゴネたので、アメリカに移動することになったが、彼が来ることになったため、アメリカの会社ではマネージャーが余剰になってしまい、誰かを辞めさせなければならないことに…

当時アメリカのオフィスには、日本人は夫しかいなくて在米の日系企業との橋渡しをしていた。
ところが、④日本のチームで働いていた日本語の喋れる一般職のアジア人が、震災以来、放射能を恐れて、しつこくアメリカに転勤願いを出していたので、彼をアメリカに転勤させればマネージャーは減らせるし、日本語の喋れる人を確保できるしという状況が出来てしまった。

 これらの4つのカードが揃ったところで、日米のマネージャーとヨーロッパの本社の幹部で、レイオフを決めて実行したというわけである。

 技術畑出身の元エンジニアだった夫は、出世欲もないし、人間関係の文(あや)を読み取るのが苦手で、周りでこれだけ自分を辞めさせようと圧力がかかっているのに、全然気がついていなかった。
 実際に職場を見たわけでない、夫の話の断片や家で持ち帰って仕事をしているのを見ているだけの私でも、はっきりとわかるほどのパワハラだったのに、本人は解雇を言い渡される1月くらい前にパワハラが激化するまで、嫌がらせに全く気が付いていなかった。

 "o(-_-;*) ウゥム…
驚くほどの鈍感力というか、世渡り下手と言うか…

 おまけに、夫は駆け引きのできないストレートな性格なので、夫にうまく行っていないプロジェクトの責任を転嫁して、レイオフに持ち込むのは、赤子の手をひねるより簡単だったのではないかと思う。

 ヨーロッパの本社の幹部や、日本のマネージャーまで絡んだレイオフだと、どう頑張っても1ヶ月以内に企業内で転職先を探すのは絶望的。
 運良く見つかったところで、会社の体質は変わらないのだから、第2、第3のレイオフの可能性もあるし、何よりのんびり屋でお人よしの夫が生き残れる会社ではないと感じたので、社外に転職先を探すことにした。

 そんなこんなで当時働いていた会社に見切りをつけた夫と私は、表面的には会社の規則の1ヶ月の企業内転職と3ヶ月のスキル向上プログラムをこなして時間稼ぎをしている間に、外の企業への転職活動に本腰を入れることになった。

 夫の直属の上司は、夫をレイオフにしたら、それまで夫が処理していた仕事をヨーロッパから来るマネージャーとアジア人の一般職にさせる目論見でいたようだが、直属の上司のプランには問題点があった。
 夫の代わりに日本企業対応要員で呼ばれるアジア人の一般職の人の日本語は、(日本語の喋れない外国人から見たら流暢に見えるのだろうが)何とか通じている状態で細かい仕事の打ち合わせが出来るレベルではない、おまけに彼の英語力は日本語よりレベルが低い。
 そのうえ、ヨーロッパから来るマネージャーはアメリカの業務内容に詳しくないので、慣れるまでに時間がかかる。
 夫が3ヶ月プログラムをこなすことなく辞めてしまうと、業務に何らかの支障が出てくるのは必至。 

「こうなったら、出来るだけ早く転職先を決めて、クソ上司にリベンジだ~」
(`∇´*)o"エイ(`∇´*)o"エイ(`0´*)ノ"オゥ!!

 次回に続く…
 
 

2013年11月26日火曜日

レジメの書き方と職探しのアドバイス
-アメリカで転職2-


 昨日の記事からの続き…

 転職活動の手始めとしてまずはレジメからと言うことで、7年前に使ったレジメに新しい情報を加えたり、手直ししてJ.Cさんにわたしました。

 J.Cさんは一応目を通したのですが、J.Cさんが働いている業種・業界と夫の働いている業種・業界が違うので、文法的なチェックは出来るけれど、夫の希望する業界の企業への売り込むポイントがわからないと言うことで、J.Cさんの友人で夫と同じ業種・業界で、人事担当をしているG.Tさんを紹介してもらいました。

 G.Tさんとは、J.Cさんと夫と私の4人で会って、幾つか職探しのアドバイスをしてくれました。

 まず、G.Tさんは、夫のレジメを一目見て、日英バイリンガルと現在の業界ではなくて最初の業界で働いていた履歴をセールスポイントにして、レジメを書き直すように勧めてきました。

 レジメは一般用のものと、申し込む企業のニーズに合わせて、強調するポイント(スキルや職歴など)を変えたものを幾つかと2種類準備すること。
 レジメに添付する、カバーレター(挨拶状)を書くように言われました。

 G.Tさん曰く、
「多くの人はレジメで就職が決まると思っているが、レジメは面接に漕ぎつけるための手段。カバーレターはレジメを読んでもらうためのもの。
カバーレターが魅力的じゃなかったら、レジメは読んでもらえないし、レジメが興味をそそるものでなかったら面接もしてもらえない。」
と、レジメは就職活動の入り口でしかないことを強調。
「就職活動を左右する最も大事なことは、採用を決める人にいかに好印象を与えるかだ。」
と、人事の立場から話してくれました。

 レジメを書き直したら、一般用のレジメをモンスター・ドットコムなどの就職・求人サイトやLinkedInなどのビジネスSNSに登録して最新のレジメを添付するように指示されました。
 就職サイトに登録すると、求人のコンタクトの他にも、セミナーや学校の案内などのコンタクトも来るので、不要なものは整理が必要になってきます。
 夫は当時働いていた会社の規則で、1カ月間の企業内職探しの後3ヶ月プログラムのスケジュールをこなしながら、外部での職探しをすることになるため、整理のための時間が取れないので、就職・求人サイトのチェックは私が担当するようにアドバイスを受けました。

 また、G.Tさんの知り合いで、教会で職探し活動のワークショップやカウンセリングをやっているS.Sさんに連絡を取って、次回のセミナーの予約を取るように勧められました。

 次回に続く… 
 
 

余談:カバーレターについて
G.Tさんの勧めで、カバーレターを書くことになったのだけれど、カバーレターを書くのが初めての夫はどうやって書いて良いのかわからない。
 インターネットのサンプルなどを見て、何とかそれらしいものを書いて、J.Cさんに添削を頼みました。

 頑張って初挑戦したカバーレターだったけれど、工学部出身の夫は、文章を書く(しかもビジネス英語で)スキルがかなり不足している。
 添削してもらったカバーレターは、内容こそは一緒だけれど、文章は全く別物に書き換えられていて、夫の書いた文章はカケラも残っていなかった。
 
 外国人だけでなく英語がネイティブの人でも、お金を払ってレジメやカバーレターを代書してもらう人がいるくらいなので、J.Cさんのように完璧なカバーレターを書ける人はアメリカ人にも多くない。
 「持つべきものは優秀な友達。」
だと、痛感した。

2013年11月25日月曜日

レジメの準備
-アメリカで転職1-


 本題に入る前に、昨日の記事の書き方が誤解を呼んじゃったみたいなので、お詫びです。
 夫がレイオフになったのは去年の11月で、約1年前のことです。
 レイオフされた直後は、バタバタしていて記事にする余裕がなくて、今頃記事にしてUPしています。
 季節も一緒だし、去年の出来事だと言うことを強調していなくて、紛らわしい書き方で済みませんでした。
o(_ _)oペコッ

  昨日の記事からの続き…

 レイオフを言い渡された当日、夫はかなり落ち込んでいて仕事を午前中で切り上げて帰ってきた。
(というか、件の上司に「今日は帰れ」といわれたらしい。)

 一方、私はレイオフのニュースを聞いた時、あまり驚かなかった。
 実は、その1ヶ月くらい前からパワハラがかなり激しくなっていて、「英語の使い方がネイティブのようではない」などの、仕事の内容とは全く関係のないことで執拗に叱責したり、日本との繋がりのある仕事から外したり、という事が起きていたので、「解雇を言い出されるのは時間の問題だろうな」と、感じていたからです。

 レイオフが信じられないくて呆然とする夫に、日本とアメリカの両方の企業で務めたことのあるJ.Cさんに連絡をとって、相談するように勧めた。

 運良く、その日はJ.Cさんは休暇をとってお休み中で、解雇の知らせを聞いてすぐに飛んできてくれて、これからの対策をJ.Cさんと夫と私の3人で考えることになった。

 J.Cさんと話し合った結果、職探しの方法としては、知り合いを当ったり、インターネットの職探しのサイトやSNSに登録を勧められました。
 また、(アメリカでは仕事を辞めてしまうと健康保険などの社会保障がなくなってしまうので、)会社の提示する研修や企業内転職の期間を出来るだけ長くとって時間を稼ぎ、その間に転職活動を進めていくことで意見が一致しました。

 レイオフを言い渡された当日の時点では、まだ3ヶ月のスキル向上プログラムについてもハッキリした情報は聞いてなかったし、元同僚ともコンタクトを取れていなかったので、一般的な就職活動の手順として、レジメ(履歴書)を準備しようということになった。

 夫は(日本国内でだけれど)今までに何回か転職していて、そのうちの2社は外資系だったので、以前に使った英語のレジメはあるのだけれど、最後に使ったのが7年前で新しく加わった情報や職歴を書き換える必要があった。

 古いレジメを書き直したら、J.Cさんがチェックしてくれるというので、レジメを見直して今回の転職活動に使えるように書きかえることになった。

 次回に続く…
 
 

2013年11月24日日曜日

青天の霹靂
-アメリカで失業-

 前回の記事に、夫の転職のことをちらっと書いたのだけれど、去年の11月に入ってすぐ、夫がレイオフを言い渡された。

 表向きの理由は、「前年よりもパフォーマンスが下がったから」というものだったけれど、
何がどのように下がったのかの説明もなく、レイオフを言い渡される以前にパフォーマンスが下がっていることの注意も警告もなし、問題点を改善するための援助もなし、など、解雇のための法的な手続きを踏んでいない、所謂不当解雇だった。

 おそらく本当の理由は、直属の上司が夫を嫌っていたため。
 上司が嫌っていたからではないかと考える根拠は2つ。

 一つは、会社のサポートでグリーンカード(永住ビザ)を取得してまだ半年だったこと。
永住ビザの申請には、弁護士を雇ったり申請料を払ったりなどお金がかかる。
永住ビザの費用は雇用主が払わなければならないことになっていて、グリーンカードをサポートした従業員に取得直後に辞められたら会社は大損なので、外国人はビザが切れたら使い捨てにすることが多く、長期間雇いたい特別の理由がない限り、永住ビザのスポンサーになることはない。
 表向きの理由が本当ならば、グリーンカードの申請中にすでにパフォーマンスが下がっていた筈なので、申請を取り下げれば済んだのにそれがされていない。
 取得後にパフォーマンスが急激に下がったとしても、かかった費用を回収するために様子を見るのが普通で、すぐに解雇と言うことは考えにくい。

 もう一つは、パワハラが酷かったこと。
 いくら個人的に嫌っているからといっても、仕事の成績が良いと辞めさせることは出来ないので、
・他の同僚の2~3倍の仕事(しかも業績が悪く問題が山積みの仕事)を割り振り、
・必要な情報を知らせず、
・夫が進行役を勤める会議では議題とは関係のない話題を持ち出して妨害したり
・不必要なレポートを書かせて、何度も書き直しを要求して、本来の仕事をする時間を減らしたり、
・取引先とのミーティングからわざと外したり、
など、仕事の足を引っ張るためのパワハラがすごかった。
 夫だけでなく、気に入らない部下には嫌がらせをして、自己都合退職するように仕向けていたみたいで、この上司がボスになってから夫の他にもすでに3人が仕事を辞めていた。

 アメリカでは、上司が気に入らない部下をレイオフすることはよくあることみたいで、アメリカ人の友人にレイオフのいきさつを話したら、全員が「自分も同じ経験(上司と上手く行かなくてレイオフされる経験)をしたことがある」と話してくれて驚いた。

 夫の働いていた会社の規則によると、
パフォーマンスが良くなくてレイオフになる場合、
「1ヶ月は企業内で転職先を探すことができ、
1ヶ月以内に仕事が見つからなかった場合には、そのまま退職するか、3ヶ月間のスキル向上プログラムを受けて成績が良ければ元の部署に戻れるが、そうでなければ解雇」
と、いう仕組みになっていた。

 解雇を知らされた当日には知らなかったのですが、夫の以前の同僚そのプログラムを受けたことのある人にコンタクトを取って話を聞いたら、
「3ヶ月プログラムは、会社が『不当解雇』で訴えられないようにするための見せ掛けのプログラムで、社員のスキル向上のためではない。
到底達成できないようなタスク(課題)を与えて、やめさせる口実を作るためのもの。
3ヶ月プログラムを受けた人で元の部署に戻れた人は1人もいないから、プログラムの期間中に就職活動して別の会社を探したほうがいい。」

と、教えてくれた。

 この元同僚の話や、その他の状況から、その会社に残れる可能性はほとんどないことがわかったので、社外への転職活動をしなくてはならない状態でした。

長くなったので続きは次回…  
 

追記:
 夫がレイオフになったのは去年の11月で、約1年前のことです。
冒頭に去年の出来事だと書いてあったのだけれど、目立たなかったみたいで誤解が起こってしまったみたいなので、わかりやすいように赤字に変えてみました。
紛らわしくてスミマセンでしたm(_ _)m

2013年11月22日金曜日

自己評価  -日米の違い-

 この間、夫の勤めている会社で、(ボーナスや来年度の給料を決めるデータを集めるため、)今年1年の自分や同僚に対する評価のリサーチがあった。

 夫は約1年前に転職して、現在の会社に入ったので、評価をするのは初めて。
(以前の会社は、お互いに評価する仕組みがなく、上司の一方的な評価で給料が決められていた。)

 評価の提出の締め切りの日に夫は休暇を取っていたので、会社の従業員サイトにアクセスして、家で評価のフォームを埋める作業をしていた。

 私がパソコンを使っている横で作業していたので、
「○○は頑張ったけど思ったほど結果がでなかったから、5段階評価の3かな?」
「△はかなり結果も出ているから、4かな?」
とか、ブツブツ言いながら評価しているのが聞こえてしまう。

 傍で聞いていると、どの項目も良くて4、ほとんどが3、2が少し、という評価をしている。
 いかにも謙譲が美徳の日本人らしい評価の仕方をしているので、
「どの項目も1つずつ評価を上げて、最低の評価が3になるように入力したほうが良いよ。」
「『これは頑張った。』と思うものは、結果如何(いかん)に関わらず、最高評価をつけるべき。」
と、つい口を挟んでしまった。

 口を挟まずにいられなかった理由は、私はアメリカの大学である教養のクラスを取っていた時に、自己評価で日米の違いを思い知ったからである。

 私のとっていたクラスでは、宿題を提出する時に、その課題に対しての自己評価とその理由も書いて提出するように指示されていた。

 最初の宿題を提出した時、私も日本人の多分に漏れず控えめな自己評価で、80%と書いて理由も添えて提出した。
 隣に座っていたクラスメイトは、授業の始まる前の休み時間に周りの生徒に助けてもらいながら慌てて宿題を仕上げて、評価を99%、理由は「頑張ったから」と書いて提出していた。

 私はその時、クラスメイトの図々しいまでに高い自己評価に驚いたけれど、その宿題が返ってきてもっとびっくりした。
 自己評価に書いた点数が、そのまま宿題の評価になっていたからである。

 つまり、
私→自力で宿題をして、自己評価が80%だったので80点
クラスメイト→ほぼ他人の宿題を写して、自己評価が99%だったので99点
だった。

げ~┛)"0"(┗ ウソだろ~
と、日本人頭の私はショックを受けたが、
周りのアメリカ人は(自力で宿題をやった人も)みんな、自己評価に高い点数をつけていて、100点がゴロゴロいた。

 「自己評価」は日本人の感覚だと、「自己反省」とほぼ同義語だと思う。
 自己評価が高いのは「高慢だ」と敬遠される。
低めの自己評価をつけていても、周りの評価で総合評価が上がることもある。

 けれども、アメリカ人の感覚だと「自己評価」は「自己をアピールする機会」なのである。
 だから、自分がいかに優れているか、いかに努力をしたかを強調する。
 自己評価が低い人は、「自分に自信のないヤツ(自分を信じられない人は、他人から信頼されなくても仕方がない)」と思われてマイナスイメージなので、当然、ほとんどの人が高い評価をつける。
 その結果、自己評価よりも総合的な評価が下がることはあっても、上がることはない。

 なので、アメリカの自己評価を日本式の感覚でやると、とんでもなく低い評価になってしまうことがあって危険。

今回の教訓:アメリカの「自己評価」は「自己アピールの機会」。日本のように受身で控えめな評価は通用しない。積極的に自分に高評価をつけよう。