2016年7月8日金曜日

独立記念日2016


 7月4日はアメリカのインデペンデンスデー(独立記念日)。

(←旧マサチューセッツ州会議事堂。星条旗の下がっている2階のバルコニーで独立宣言が読み上げられた。)

 今年は7月4日が月曜日にあたったので、土曜日から月曜日までの3連休になった。
 金曜日や火曜日に休みを取って、5連休にする人が多いのか、金曜日の朝から道路はガラガラだった。

(←7月2日耕す前の家庭菜園)

 周囲はインデペンデンスデーで盛り上がっている?が、我が家のインデペンデンスデーとその付近の週末といえば、恒例の庭仕事もしくはDIYで改装

 今年も例年に漏れず、7月2日の土曜日は家庭菜園の定植の準備のために丸2年放ったらかしていた菜園を耕す作業と地下室の棚作り。

(←7月4日、直ったスプリンクラー)

 7月4日は、スプリンクラーの(配線の)修理、去年に仮に舗装したガレージわきの庭の通路の舗装のやり直しのための下準備、と家の改装や修理のDIYに必要なものの買い出し。

(←裏庭に張った、父の日のセールで買ったばかりのテント)

 4日の夕方からは、夏休みにキャンプデビューをしたいということで、キャンプに必要な道具や持ち物を調べるために、裏庭でテントを張ってなんちゃってキャンプを決行。

 7月5日の朝から昼は、ガレージわきの通路部分の埋設スプリンクラーのオフセット作業と、地下室のベーストリムと棚作りの続きの作業。
(それにプラスして、は調子が悪いミニの原因を探すためにガレージであれこれやっていた。)

 5日の夕方からは、家庭菜園に野菜の苗を定植した。

(←7月4日、夕食に食べたハンバーガーのパティを焼いているところ)

 今年はテロの影響もあってか、地域でインデペンデンスデー当日のイベントは少なく、イベントがあっても、前の週の週日にバラバラに催されていた。
 そのせいか、自宅で花火を上げて楽しむ家が去年に増して多かった。

(←7月5日の朝のデッキ。
 デッキの上に降ってきた昨夜のお向かいさんの家の花火のカス)

 今年はお向かいさんが家庭用の打ち上げ花火を何発も打ち上げていて、間近で打ち上げ花火が見れたのはよかったけれど、花火のカスが我が家の裏庭にまで降り注いで、買ったばかりのテントに火の粉で穴が開かないかしら?と心配になった。

(←7月5日、定植の終わった野菜の苗)

 この記事のタイトルをインデペンデンスデー2016にしようかと思ったのだけれど、今年は映画『インデペンデンスデー』の続編がでるので、その映画と(検索エンジンに)混同されたら面倒なので、独立記念日にした。
 映画『インデぺンデンスデー』の話になっちゃうのだが、ウィル・スミスは出演料が高額なため続編には採用されなかったらしい。
なんでも、ウィル・スミスが演じていたヒラー大佐は、2007年の戦闘機の使用運転時の事故で亡くなった設定になっているとか。
 それにしても、ウィル・スミスの出演しない『インデペンデンスデー』ってどうよ?という感じはする。
 ディズニーの作った『スターウォーズ』みたいなものなのかなぁ…

2016年7月5日火曜日

Time Warped(脳の時間旅行:なぜ時間はワープするのか)


 ひとつ前の記事を書いていて、私たちが(時計ではかる)時間という概念を理解する(獲得する)のはいったい何歳くらいなのだろうか?

 もう少し年齢上がって時計が読めるようになっても、大人が時間と認識している(時計ではかる)時間の存在に気が付くのはいつなのだろうか?

 時間は一定の間隔で一方方向(過去から未来に向かって)進んでいるという(私たちの社会で共通の)認識が定着するのはいつなのだろうか?

 など、時間の感覚(知覚)について、色々考えていたら、時間の知覚に関する面白そうな本を見つけたので、図書館でかりて(この記事を書いている時点で)読んでいる最中。

 本の題はTime Warped(原題)で、日本語訳の題は『脳の時間旅行:なぜ時間はワープするのか』。
 著者はクラウディア・ハモンドで日本語訳者は渡会圭子。
 ジャンルは一般向けのサイエンス本です。

目次は、

◎はじめに : なぜ時間はワープするのか

◎第1章 : 時間の錯覚
・時間のいたずら ・うつ病になると時間がゆがむ
  ・体温が高いほど、時間の流れが遅くなる ・クロノスタシス

◎第2章 : 脳の中の時計
・内的時計を探る冒険 ・昼休み前なのに一日の仕事が終わったと思う男
・感情とリズム ・脳は自分で時間を計っているのか

◎第3章 : 月曜は赤い
・混乱した時間地図 ・SNARC効果
・言語が時間の感じ方を変える? ・時間が動く派? 自分が動く派?
・時間を巻き戻す

◎第4章 : なぜ年をとると時間の流れが速くなるのか
・トータル・リコール(完璧な記憶) ・望遠鏡ごしの人生
・時間タグのついた記憶 ・一〇〇〇日が転換点
・思い出の隆起 ・ホリデー・パラドックス(予期と追想)

◎第5章 : 未来を思い出す
・イヌは来週のことを想像できる? ・起こらなかったことの記憶
・人間の知性の極致 ・最高と最悪
・楽観的な思い込み ・幸せになる時間志向 ・時間の深さ

◎第6章 : 時間の流れを変える
・課題(1) 時間の流れを遅くするには?
・課題(2) 時間の流れを速くするには?
・課題(3) やることが多すぎて時間がないときは?
・課題(4) 先の計画が立てられない場合は?
・課題(5) いつの出来事か、より正確に思い出すには?
・課題(6) 将来を心配しすぎないためには?
・課題(7) 今この時を生きるためには?
・課題(8) 将来、どう感じるかを予測するには?

(↑目次はアマゾンより引用)

 まだ第2章を読み終えて3章を目を読んでいるところなので、本全体についてはコメントできないのですが、1章と2章では、
 熱の出ている間は時間の感覚が違うんじゃないかと考えた学者が病気で寝ている妻の体温を測って、60秒数えてもらって実際の時間をストップウォッチで計るという実験を妻が病気の間48回もやった話や、
 光の届かない氷河の下の洞窟で、時計を持たずに一人で2か月間生活したらどうなるかという実験など、
 時間と私たちの知覚についての研究やトリビアがちりばめられていて、発達障害者の時間の知覚の例もあったりして、興味を持ちながら読める作品だと感じています。

 英語(原文)で読んでいるので、日本語訳がどうかはわからないのですが、日本語訳でのアマゾンのレビューを見ると高評価と低評価にバラつきがあるようです。

 

 

おまけ:私が英語の本を読む時の癖

 この本は一般向けにしろサイエンスの本だからなのか、The Rosie Project(日本語訳は『ワイフ・プロジェクト』)などの小説系の本と比べると読むのに時間がかかっています。

 著者がイギリス人で、イギリス英語で書かれていることもあるのだろうけれど、心理学系や脳神経学系の用語や他の学問の用語などが多く、おまけに大学を休学して6年も経っている私は、「聞いた事はあるけれど、なんて意味だったけ?」という単語が多くて、辞書を引き引き読んでいるからだと思います。

 私がわからない単語の多い本を読む時は、その本だけのための単語帳を作ることがあります。
 本来私は単語帳を作って単語だけ覚えるのは苦手で、語彙を増やすために単語帳を作ることはないのですが、わからない単語の多い本を読む時は、アルファベット毎にカードを作って、単語と意味を書いたその本を読むための辞書みたいなものを作ります。

 小説にしても、エッセイにしても、その本の著者が好んで使う単語や言いまわしなどがあるので、初めの1~2章は1ページあたり調べる単語の数は多くなりますが、章が進んで行くと、作った単語帳を見れば辞書で調べなくても済むことが多いからです。

 その本を読むためだけの単語帳なので、読み終わったらその単語帳を見返すことはないです。
 本を読み終わったらお払い箱なので、無駄といえば無駄なのだけれど、私は一度引いた単語を覚えておくことができないので仕方がないです。

2016年7月2日土曜日

伸び縮みする時間
(発達障害と時間の感覚)


 (この記事を書いている時点で)ここ2週間ばかり、地下室の改装の記事のための写真画像の整理をしていた。
 画像の加工が終わり次第、説明の文章を書き溜めて、最後の記事を書き終わり次第毎日更新で一気にシリーズを進めて行こうと思っていたのだけれど、あまりにも画像が多くて整理しきれないし、毎日更新したとしても、丸1か月くらいかかりそう。

 画像の整理のために書き溜めていた軽めの記事も底をついてきたし、夏至の夕食に冷たいデザートを作りまくったおかげで更に記事を仕上げる時間がなくなってしまった。

 6月頭頃、ブロ友さんに
「発達障害と時間の感覚について書くね~」
と、コメントしていたのに、駄記事(軽めの記事)の連続になってしまっているので、改装の記事は諦めて今日は『伸び縮みする時間』について書こうと思います。 

 伸び縮みするといっても、アインシュタインの相対性理論のような高度な物理学の話ではなくて、私たちが感じている時間の感覚についてのお話。

 私たちは日常的に時間の流れが遅くなったように感じたり、逆に速くなったように感じることがある。

 今年の2月に高速道路を走行していたら車が突然滑ってスピンし始めたことがあった。
高速道路の幅全部を使って左右に振れながら約1回転半したのだけれど、スピンしているほんの数秒だったのだろうけれど、スローモーションのようにゆっくり時間が過ぎていくように感じた。

  また、娯楽の時間など楽しいことをやっている時間は、あっという間に過ぎるように感じるし、宿題などの退屈なやっつけ仕事をしている時は、時間がゆっくり進むように感じる。
 間近に迫った締め切りに間に合わせようと仕事をしている時は、時間が飛ぶように過ぎていくように感じるのに、締め切りが終わって後で振り返ると、(1日が1週間くらいだったような感覚で)長い期間働いたように感じる。

 実際の時間は伸びたり縮んだりしていないのに、私たちの時間の経過に対する感じ方って、置かれた状況や気分によって変化しているように見える。

 また、時間にルーズな人(国)と几帳面な人(国)がいるように、個人(文化)によって(それぞれが進み方の違う時計を持っているような感じで)時間に対しての知覚の精度が違うように思える。

( そもそも、時間自体が概念的なもので、私たちが集団で生活していく便宜上『時計』という道具で計られているだけで、もしもこの世に自分しか存在しなかったら時計なんて必要ないはず。)

 限りなく発達障害の疑いの強いと生活していると、私との時間の概念や知覚の違いを痛感させられる出来事に出くわすことが多い。
( 私も発達障害の疑いが濃厚だといわれたことはあるけれど、時間の知覚に関しては、ほど定型発達の人とのズレは大きくない。)

 例えば、独身でと付き合っていた時、待ち合わせで私が3時間待たされたことがある。
 去年の今頃、故障で止まってしまった車を運ぶために、牽引ロープを買いに行く時に、夫婦の間でちょっとした口論になったことがあった。

 の時間の概念だと、時間はあたかもの都合のいい時間でストップウォッチのように止めることができるように見える。

 待ち合わせに3時間遅れてきたのも、の時計は3時間前で止まっているので、実際には3時間の時が流れていても、彼の感覚では時間通りに待ち合わせ場所についたことになっているのである。(遅れているという感覚がないので、当然謝らない。)

 牽引ロープを買いに行く時も、お店の開いている時間で時計を止めているので、深夜や早朝でもお店は開いているはずだと考えてしまう。

 私からしてみれば、時間が止まっているのに関わらず、自分が動けるのは矛盾しているとは思わないのだろうか?お店以外の時間は動いていてお店の時間だけ止まっているのはおかしいくないか?と、疑問に感じるけれど、は何の矛盾も疑問も感じていない。

 時間の経過についても同じような感覚らしく、が自分の好きなことをしている時間は実際には数時間だったとしても、本人にはほんの数分にしか感じられないので、実際の時間も数分しか経っていないと信じて疑わない。

 どうやらの時間は、自分の都合(自分の感覚)で、部分的に止めたり、引き延ばしたり、縮んだりするものらしい。
ホエ?(´д` )

 私たちは3次元で生活しているので、時間を自在に動かすことはできずに、過去から未来へ一定のスピードで動くという(時計で計る時間の概念の)制約の中で生活せざるをえないのだけれど、にとっては、自分の感じる時間=実際の時間らしく、私たち多くが考えている(時計で計る)時間の認識とはかなりずれている。

 まあ、自分の感じる時間=実際の時間と認識していても、実生活で不都合が起こらなければ問題はない。

 まだ時計の読めない幼い年齢の子どもは、と同じように自分の感じる時間のみが彼らの世界に流れている時間なのだけれど、なんの不都合も起こっていないようにみえる。

 また、時計が一般的でなく各家庭に時計がなかった時代の人たちも、時計で計る時間の概念なんか知らなくて個人的に感じる大雑把な時間の感覚で生活していても困らなかったのだろう。

 ところが、現代のように秒刻みで世界が動いている社会では、それぞれが個人的に感じる時間で行動していたら、混乱が生じてしまう。

 混乱をさけるために、私たちは時計で計る時間を基準にして、個人の感じる時間とのズレを、調整しながら生活している。
 調整といっても意識的にやっているのではなくて、大人になる頃にはほぼ無意識にできるようになっているし、調整が微調整で済むように、個人の時間の感覚が時計の時間に近づくように習慣づけられている。

 ところが、の場合は、①人それぞれが個人の時間の感覚をもっていて②時計で計る時間に合わせて調整しているという2つの事実を理解できていないのではないだろうか?

 多分時計で計る時間と、自分の感じる時間が違うことには気が付いているのかもしれないけれど、自分の感じる時間こそが実際の時間で、時計と合わない場合は仕方がないと思っているようで時計を無視して行動するがことある。(こうなると時計の存在意義ってあるの?って感じ。)

 おまけに、他人が自分とは違う時間の感覚を持っていることには全く気が付いていないのだろう、他人は自分と同じ時間の感覚を共有していると思いこんでいるため、タイミングを察知するのが苦手。
 例えば、不適切な時に行動を起こして、『空気の読めない奴』と思われる。
 3時間遅れても自分の中では1秒も時間が動いていないので、たとえ時計の上では3時間経過していたとしても、相手自分と同じように1秒も動いたようには感じていないと思いこんでいるなど…

 時間までもが俺様仕様なのである。
(゚Д゚)ナント!

 俺様仕様の時間で生きているため、時間の見積もりができなかったり、自分で作ったスケジュールの実行がうまくいかないなどの不都合も起こってくる。

 (時間以外のことでも、)自分の感覚(や知覚したこと)がこの世の基準ではないこともあるし、自分以外の他人は別の感覚を持っていることを何度も説明するのだが、理解できないようで、話の度に無視されるか口論になってしまうかのどちらか。

 発達障害の特徴として、心理学用語でいうところの『脱中心化※』が達成できていなかったり、中途半端だったりする事はわかってはいるけれども、の場合はアラフィフのおじさんになって頑固さも加わってしまって(脱中心化ができない状態が固定しているため)、もう手に負えない状態。

 マジで、
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
の心境。

 と暮らしていると、「もしかして私って定型発達なんじゃないか?」と思えて来るくらい、の時間の感覚(知覚)は世間一般の時間の感覚から逸脱している。

 時間の感覚について、色々考えていたら、タイムリーに『Time Warped』という、何やら面白そうな題の本を見つけて図書館から借りた。
 最初はこの記事の『続きを読む』でリビューを書く予定だったけれど、長くなったので、本の紹介は次回の記事で書きます。

 

 

 

※脱中心化

ピアジェ,J.の認知発達段階における前操作期から具体的操作期への移行段階で生じる、自己中心的な思考から脱する過程を「脱中心化」といいます。

前操作期の大きな特徴の1つに「自己中心性」があります。

自己中心性とは、自分にしか通用しない特殊な象徴化パターンにより、すべてのものを把握、表現しようとしたり、自分が得た知覚情報のみですべての状況を認知、理解、判断し、他者の視点や立場にたって考えられないという、この時期の幼児の特徴的な思考です。

心理学用語集サイコタム
http://psychoterm.jp/basic/development/09.html
より、引用。

2016年6月26日日曜日

夏至2016 クールデザート・パーティ

 夏至は1年で最も昼の時間が長い日である。
天文学的な夏至の定義はわからないけれど、今年はアメリカでは6月20日(日本では6月21日)が夏至だったので、家族で夕食?に冷たいデザートを食べることにした。

(↑夏至の夕食に使ったテーブルセッティング
今年のメキシコ風のテーブルコーディネートは冷たいデザートには雰囲気が合わないと思ったので、再来年の夏のテーブルコーディネートに使う予定だったテーブルクロス&食器類を使ってしまった)

 作ったデザートは6種類。
甘いもの(特に生クリームを多く使ったデザート)だけでは、食べているうちに胃がもたれてくるので、デザートの合間につまめるように、カナッペも4種類作った。

(↑手前から、ローストビーフ・ハムのカナッペ、
スモークサーモンのカナッペ、
チキンとアボカドのカナッペ)

(↑手前:チキンとアボカドのカナッペ、サーモンのカナッペ、
奥:小海老とアボカドのカナッペ)

 デザートがメインで、カナッペは合間に食べるつもりだったけれど、男どもはカナッペを最初に食べまくって、後で集中してデザートを食べていた。

(↑一人分を盛りつけたゼリーと水ようかん)

 今回作ったスィーツは冷蔵庫で冷やすデザートにした。
アイスクリームやシャーベット類は(テーブルに並べておくと解けるので)作らなかった。

(↑チョコレートムース・パイ)

(↑ベイクドチーズケーキ・パイ)

(↑一人分を盛りつけたパイ類)

 6種類のデザートを見て、が、
がいたら良かったのにね~」
と、一言。
は前のセメスターで落とした専門科目の単位があるので、夏セメスターで再履修中でこの夏は帰省していない。)
 まぁ、デザート・ビュッフェぽくって、女子向けのメニューではあるよなぁ…

(↑オレンジババロアとカスタードプディング)

 

 

おまけ:

(↑弱く照明を点けて撮影したキャンドル)

 夏至の日は日が沈んで部屋が暗くなり始めた頃から、キャンドルの明かりだけで2時間ほど過ごすキャンドル・ナイトもやった。
(夕食の間はまだ日が沈んでいなかった&食事の写真撮影のため明かりを点けていた。)

 日没が夜の9時過ぎのため、なかなか暗くなtらず、午後10時ちょっと前から始めたので、終わったのが午後12時近くで、後は寝るだけという感じになってしまった。

 本当はクーラーも消せたら良かったのだけれど、夏至の当日はあまりにも暑すぎてクーラーを消すことはできなかった。


(←玄関ホールのキャンドル)

 夏至は昼の時間が最も長い日ということだったので、翌日どれくらい昼の時間が短くなっているのか天気予報のアプリをチェックしたら、日の出が1分遅くなっているだけだった。

2016年6月17日金曜日

The Intern
マイ・インターン


 The Internは2015年のアメリカのコメディー映画。
ベルギーで2015年9月15日にプレミア公開された後に、アメリカで2015年9月25日に劇場公開。
 邦題は「マイ・インターン」で、2015年10月10日に劇場公開。

 この作品は何かのDVDの予告でチラッと見て、去年から観たいと思っていたのですが、図書館のDVDは予約や貸し出し中で中々借りることができませんでした。
 やっと、借りることができたのが先月の下旬でした。

 ニューヨークのブルックリンに住む70歳のベン・ウィティカー(ロバート・デニーロ)は長年電話帳を作る会社で働いていたが、退職して、その後奥さんに先立たれて寡暮らし。

 色々なサークルなどに積極的に参加しているが、知り合いや友人も亡くなる人も出てきたりして、孤独感を感じている。

 何か社会と関わりを持てたらと思っている時に、掲示板である服飾ネット販売の会社でシニア・インターン募集のチラシを見つける。
 何か社会の役に立つことがしたい、と思っていたベンは早速申し込むことにする。

 シニア・インターンを募集していた会社は、ジュールズ・オスティン(アン・ハサウェイ)が1年半前に始めた服飾ネット販売の会社で、急成長中。
 アンは非社交的な性格で、一人で働くのが好き、会社はどんどん大きくなるのに何もかも一人で切り盛りしているアンは多忙な日々を送っている。

 ジュールズの会社に応募したベンは、いくつかの面接をめでたくパスして、他の3人とともに採用される。

 採用された他の3人はそれぞれ色々な部署に配属されるが、ベンはジュールズ個人に配属される。

 一人で働くのが好きなジュールズは、はじめはベンを遠ざけようとするが、同僚たちからも評判が良く、気の利くベンを次第に信頼するようになっていく。

 最近のロバートデニーロ出演の作品(「ミート・ザ・ピアレンツ」や「みんな元気」など)では、気難しい老人のイメージだったのだけれど、のこの作品は温厚で賢い老人の役周りを演じていたのが新鮮でした。

 

 

 

 

2016年6月14日火曜日

移植した菖蒲

 3年前から少しずつ裏庭に移植した菖蒲が今年も花を咲かせた。

(↑5月下旬の裏庭の菖蒲)

 我が家は緩やかな傾斜の底の方にあって、(地下水なども含めた)水がたまりやすく、裏庭も(特に春の雨季には)少し湿っていることが多い。
 そんな湿った環境が菖蒲には適しているみたいで、移植後も枯れずに毎年のように花を咲かせるようになった。


(←丈の高い花の大きい品種)

 丈の高いものと低いものの2種類の品種があるのだけれど、丈の高い大きい花のつく品種は、頭でっかちなため、風が強いとすぐに倒れてしまう。

 が倒れてしまったり、倒れそうな花をカットしたので、花瓶に飾って切り花として楽しむことにした。
(もうちょっと早く咲いてくれていれば、端午の節句に間に合うのに…)

(←玄関ホールに飾った切り花の菖蒲)

 切り花は昼間は玄関ホールに飾っているけれど、うちは猫をかっていて、人間が見ていないと猫が切り花をかじってしまう。

 植物の中には猫に有毒なものもあるので、出かける時や夜寝る時など人間の目が届かない間は1階のトイレに置いておくことにしたのだけれど、ある朝トイレから花を出そうとしたら、問題が発生していた!

(←矢印の先:色素がついてしまった個所)

 咲き終わってしぼんだ花から濃い紫の色素がでて、トイレの壁を汚してしまった。

( ̄▽ ̄;)!!ガーン

 前の夜(トイレに移動する前)には咲いていたのに、夜のうちに萎んでしまったらしい。

 カウンターの上の汚れは水拭きしたらとれた。

(←壁についてしまったシミ)

 けれども、壁の汚れた部分は、水拭きして、その後アルコールで拭いたのだけれど、完全には落ちない。

(T△T)

 ゴシゴシやったら、ペンキがはげそう。
 これは…塗装しなおすしかないかもしれない。

 

 

2016年6月8日水曜日

バンパーの修理
貰い追突事故その3


 去年の冬至の日に追突されて壊れた我が家の車のバンパー
 壊れた個所は右後ろのプラスティク製のバンパーが破損、後ろの金属性のバンパーの右側が歪んでしまっていた。

 私たちの掛けている保険が、車両保険に加入していなかったため、保険屋が事故の原因になった車の持主の掛けていた保険屋に連絡を取ってくれなかったうえに、クリスマスの時期で手続きをしようにも事務所などが閉まっていて修理ができていなかった。

(←がタイラップを使って応急処置で直したバンパー)

 年明けに、少し遠くまでドライブするために、が割れたバンパーをタイラップ(結束バンド)でとめて、応急処置はしたので、見た目も遠目から見ただけでは破損がわかりにくかったし、(高速でも)走行には問題はなかったため、保険屋の手続きが伸び伸びになっていた。

(↑結束バンドで補修したバンパー。裏から見たところ。)

 見た目や走行には問題ないものの、応急処置をしたバンパーは、本来のバンパーの役目を果たさない(次に追突されたらボディを守る強度はない)ので、ちゃんと修理しなくてはと思っていたのだけれど、保険の請求の手続きがよくわからない。

 1月の下旬に、(良く食事会を一緒にする)Cさんに相談したら、
「(高校卒業後から数年前までずっと、保険会社で働いた経験があるので、)簡単なので手伝ってあげる」
と、手続きを手伝ってくれた。

(←新しいバンパー)

 手伝うというよりは、Cさんが主体で動いてくれて、私がやったことといえば、ポリスレポート(事故証明)のお金を払ったことと、書類の本人のサインの必要なところに署名しただけ。

①事故の時に貰ったレシートを提示して、事故証明を発行してもらう。
(私はどこに事故証明を取りに行けばいいのかわからなかったので、Cさんがいなかったらどうなっていたことか…)

②相手の保険会社と請求先を調べる。
(Cさんは、ポリスレポートに書いてある保険会社の名前から電話番号を探して、電話をかけて担当者をきいていた。)

③書類を揃える。
今回必要だったのは、ポリスレポート、自分の保険の証書(車体保険に未加入である事を証明するため)、修理見積り書類(自動車整備店で見積もってもらう)、相手の保険会社に費用を請求する手紙、でした。

④書類を郵送する。
請求の手紙にサインをして、集めた書類全部をコピーをとった後、郵送する。

 提出しなければならない書類を指示したり、請求の手紙の作成はCさんが全てやってくれて、あっという間に請求の手紙の郵送は終わった。
(私がやっていたら相手の保険屋に電話をかけて必要な情報を聞くだけでも、何週間もかかってしまったでしょう。)

(←左:応急処置したバンパー
右:新しいバンパー)

 請求の手紙を出してから、2週間くらいして、相手の保険会社から、小切手が届いた。
 小切手の額は500ドル+事故証明を取るときにかかった金額で、整備店の見積もりよりも100ドル少し低かった。

 破損したプラスティック製のバンパーはいいとして、金属製のバンパーは去年の夏に、トレーラーのブレーキランプ類のための電気ケーブルを繋ぐソケットをDIYで改造して取りつけたばっかり。
 純正のバンパーにはソケットはついていないので、整備店に修理に出すと折角の改造が無駄になってしまう。

 整備店に出すと自腹で100ドルちょっと負担しなければならない上に、配電用のソケットがなくなってしまうので、がDIYで直すことにした。

(↑修理のためにバンパーを外したところ)

 まず、1.破損したプラスティック製のバンパーをネットで注文。

注文したバンパーが届くまでの間に、2.金属製のバンパーを外して歪んだ部分のペンキをはがして、凹んだ部分を補修。
(大きな凹みはゴムのハンマーで打ち出し、表面を整えるためにパテで形を成形。)

(←外したバンパー)

3.凹みを直したバンパーを塗装。
最初にプライマー(下地)を塗った後に、乾かして軽くサンドペーパーがけをした後、1回目のペンキを塗る。
必要ならサンドペーパーをかけて、最後に仕上げ塗り(2回目)のペンキを塗る。
(今回はプライマーとペンキはスプレー缶を使った。)

(←塗装の様子)

 

4.塗装が終わって乾かした後、ナンバープレートや電気コード用のソケットなどを取りつけて、プラスティック製のバンパーと一緒に車に取りつける。

 

 プラスティック製のバンパーは40ドルくらい、後はプライマーとペンキのスプレー缶の値段で修理ができてしまった。

 

 DIYをしたおかげで、修理費が浮いたので、保険屋から受け取ったお金のうち50ドルはCさんに手数料として払った。
(Cさんは受け取り拒否をしていたけれど、「後でそのお金でご飯を奢って~」と、言ったら受け取ってくれて、私とハンバーガーショップ巡りをすることになった。)

 

 

 

 

(↓修理の終わったバンパー)

 

 

 

 

 

2016年6月5日日曜日

アップル・キャラメル・チーズパイ(レシピ)

 この間、手元にあった材料でアップル・キャラメル・チーズパイを作ってみた。
 あり合わせの材料で作ったにしては美味しくできたので、レシピを載せることにした。

材料:

(トッピング)
・砂糖    …大さじ6
・水      …大さじ2
・水      …大さじ2 
・紅玉リンゴ…小1‐1/2玉

 

(キャラメルソース)
・キャラメル  …10粒
・牛乳     …大さじ2

 

(フィリング)
・クリームチーズ …1箱(226g)
・砂糖    …100㏄ 
・溶き卵   …2個
・紅玉リンゴ…小2-1/2
・小麦粉  …大さじ2

 

(パイ皮)
・冷凍パイシェル …一皿
※自分で作る場合のレシピはから


作り方:

冷凍のパイ皮は解凍しておく。

①トッピングを作る

①-1:リンゴは皮をむいて4㎜くらいの薄切りにする。

①-2:テフロン加工の小さなフライパンに分量の砂糖と大さじ2の水を入れて、あめ色になるまで煮る。

①-3:あめ色になったら火からおろして、大さじ2の水を加えてカラメルソースを作る。
(注:水を加えると激しく反応するので、水を加えた後反応が収まるまでは蓋をした方が飛び散らない)

①-4:薄切りにたリンゴを①-3に加え、少し弱めの中火で、形が崩れないように煮る。リンゴがあめ色になったら火からおろす。

オーブンを185℃で予熱する。

②キャラメルソースを作ってパイ皮に流す

②-1:耐熱容器にキャラメルと牛乳を入れ、レンジ強加熱で1分30秒加熱して、良くかき混ぜてキャラメルソースを作る。

②-2:冷凍のパイ皮に粗熱を取ったキャラメルソースを流す。

③フィリングをつくってパイ皮に流す

③-1:リンゴは皮をむいて、5㎜角くらいに刻んで、小麦粉大さじ1をまぶす。

③-2:柔らかくしたクリームチーズと砂糖を泡だて器で混ぜ、小麦粉大さじ1と溶き卵を加えて更に混ぜる。

③-3:③-2に小麦粉をまぶしたリンゴを混ぜヘラでサッと混ぜる。

③-4:③-3のフィリングを②-2のキャラメルソースを流したパイ皮にフィリングを詰めて表面を均す。

④トッピングを乗せて焼く

④-1:①で作ったトッピングを③-4のパイに乗せる
(煮たリンゴを並べてから、カラメルソースをかけたほうが見栄えはよくなる。)

④-2:天板に乗せて、予熱したオーブンで約40分焼く。
(表面の様子を見ながら焼き時間は調整する)

④-3:表面の焦げ防止のために、アルミホイルで覆い、更に10~15分、フィリングに十分に火が通るまで焼く。

焼きあがったらラックに置いて、室温で暫く冷ました後、冷蔵庫で冷やす

 

このレシピは以前にブログに載せたキャラメル・アップル・チーズケーキのアレンジ版です。
グラハムクラッカーを敷き詰める代わりに、冷凍のパイ皿を使ったのと、ナッツを使わなかったこと、トッピングにキャラメルソースの代わりにカラメルソースで煮込んだリンゴを使った点が違います。

 

トッピングのカラメルソースで煮たリンゴが美味しかったです。

 

 

 

パイ生地のレシピ

パイ生地(21センチのパイ皿1つ分)

 

材料:
薄力粉   …100g
強力粉   …50g
バター   …110g
冷水    …30~50㏄

 

作り方:
薄力粉と強力粉を合わせてふるう
冷えたバターを薄く切って小麦粉をまぶしておく
バターと小麦粉をフードプロセッサーに入れて混ぜる
粉とバターが良く混ざったら、冷水を少しずつ加えてフードプロセッサーで混ぜる
生地がしっとりして来たら取り出してラップで包んで冷蔵庫で1時間休ませる
休ませた後、伸ばした生地をパイ皿に敷きこむ

2016年6月4日土曜日

置き去り後行方不明事件について2
アメリカでの報道に対する反応

 ひとつ前の記事に書いた事件で行方不明になっていた男の子が無事見つかった。

 日本国内だけでなく、海外にまで報道されて海外でもこの事件について議論になっていた。

 昨日(日本時間の6月3日)の朝、見つかって元気でいることが報道されると、数時間以内にアメリカでも無事保護の報道が色々なメディアでされた。

 画像はアメリカYahoo!のスマホ版の記事。
画像のYahoo!の記事にもたくさんコメントがついていて、

・人食い熊のうようよいる森に置き去りにするなんて、狂っている。

・誰がそんなに早く子どもがいなくなるって予測できたんだよ。

・ダメかと思っていたので見つかってハッピーエンドでよかった。

・俺の悪い予感が外れて、物凄くうれしい。

・森の中で6日間も生き延びるなんて、奇跡だとおもう。

・普通の子どもなら置き去りにされた場所からすぐには動かないのに、この子はすぐにどこかへ行ってしまった。
相当わんぱくな子だと思う。

・人や車に石を投げるような問題を抱えているなら、セラピーに通ったほうがいい。

・さあこれから、親子でセラピーを受ける時間だ。

・この経験から、この子には石を投げてはいけないことをしっかり学んでほしい。

・この子は、これからは親の言いつけを守るようになるんじゃないか?

・こんな恐ろしい親の元に子どもを戻すなんて馬鹿げてる。親権をはく奪すべきだ。子どもは戻りたいといっていたとしても、ストックホルム・シンドロームにかかってるだけだ。

・私はこの親の正しいことを教えようと努力した事には敬意を払うわ。子どもの間違いは正されなくてはいけない。

・彼の6日間の冒険を読んでみたい。

・ディズニーのシナリオライターがすでに原稿を書き始めているよ。

とか、

・自分もネバダの砂漠の真ん中で親を怒らせて兄弟と一緒に車からおろされて置き去りにされたことがある、ほんの数分で親は戻ってきたけれど、あの時は永遠のように感じた。

・自分も置き去りにされたことはあるが、街の中だった。

など、自分の経験を交えたコメントや、

・ゴリラの檻に子どもが入るのを放置してゴリラを殺させた親よりはずっとまし。

・この日本人の父親ははメディアの前で全世界の人に向けて謝っているのに、ゴリラの檻に子どもを入れた親は、事故だったと開き直って謝りもしない。日本の文化の良いところをアメリカも見習うべきだ。

など、最近ゴリラの檻に子どもが入ってしまったため、子どもの安全のために希少種のゴリラを射殺した事件に絡めてコメントする人や、

このYahoo!の記事のライターが、「日本には子供の躾に甘く子どもをダメにしているというが評判ある」と書いたため、

・自分が子供の頃は親にベルトで叩かれるという体罰が一般的で、自分もそれが凄く嫌だったが、今は親に感謝している。
今のアメリカの親は、子どもをちゃんと躾できずに子どもをのさばらせており、それが社会に迷惑をかけている。

・日本の子供が甘やかされているとは思えない。むしろ逆じゃないのか?

・日本が子どものマナーに厳格でなく、甘いという評判だって?それは全く事実と反する。

・日本の犯罪率が世界で最も低いのは親がちゃんと躾をしてるからだ。日本の集団を第一に考える文化と比べて、アメリカの「私が一番」という考えが、親を敬わない子どもを作り上げるんだ。

・著者は日本と中国を勘違いしてるんじゃない?

と、反論のコメントも多かった。

他にも、アメリカと日本の考え方の違いを比べるコメントも多かった。
日本では「躾vs虐待」がコメントや議論に多くでてきた言葉だけれど、アメリカでは「子どもの個人の権利」という言葉がコメントの中に散見された。

 それにしても、大きな健康上の問題もなく、無事に見つかって良かった。
 いつもはかかってるはずの待避所の鍵が開いていたり、森を適当に歩いていて建物のある場所まで辿り着けたり、たまたま雨が降っていたので施設を利用しようとした隊員に発見されたり、本当にこの子は最強に運が良かったのじゃないかと思う。

 今は無事に見つかった喜びで、行方不明だった子にたいしてお小言をいう人はいないだろうと思うけれど、今後この子がヒーローに祭り上げられることなく、ちゃんと周りが対応して、この子が十分に反省して学ぶ機会になるといいと思う。
 親にとってはこれからが、躾の正念場かなぁ…

 

 

2016年6月2日木曜日

躾けのための罰と脅し
-置き去り後不明事件について-


 先月の末頃、北海道の山中に、躾のために置き去りにされた男児が行方不明になるという事件が起きた。

 はじめは、「山菜取りに行ってはぐれた」という話だったらしいが、後で、「実は躾のために置き去りにして5分後に戻ったらいなくなっていた(しかも、2度も車から降ろしていた)が、世間体を考えたら言い出せなかった」と、父親が話したらしい。

 「山菜取で…」の時に同情的だったメディアなども、「置き去り…」発言の後は、躾VS虐待の論議がされるようになって、大かたは虐待じゃないかと親を責める意見が多いような感じて、何となく議論のポイントがずれているんじゃないかと感じる。

 私は置き去りという罰の方法を容認(擁護)するつもりはサラサラないし、自分が親だったらこのケースでは置き去りにはしないだろうと思う。

 自分が親だったら…
は、私が子育てして20年以上も経っていて、置き去りの効果が無いと経験的に知っているからであって、子育て経験が浅かったり、自分自身が置き去り(や締め出し)の罰を受けて育ってきたら、何の疑問もなく置き去りにしてしまったかもしれない。

 某教育評論家などは、『置き去り=虐待』と厳しく非難しているようだけれど、それはその評論家が教育関連の仕事をしていて、何百人(もしかしたら何千人)もの子供と付き合ってきたから導き出せる考えで、この事件の親に『置き去り=虐待』の意識があったかどうかは疑わしい。
 虐待とまでは考えていなかっただろうけれど、最初に「山菜取りで…」と、嘘をついているところをみると、何らかの後ろめたさは感じていたのだろうとは思う。
 もしかしたら、子供が親に叱られるとおびえるように、この事件の親も世間から非難されることに怯えていただけなのかもしれない。

 残念なことに、世間は起こった結果で責めたてるだけで、その時に感じた後ろめたさが何なのか、どう対処すればよかったのか、最善の対処の基になる考えは何なのかを教えてくれることはない。

 この事件の親に限らず、多くの未熟な親は『躾』と『脅し』の区別がついていないのではないだろうか。

「早く寝ないと、お化けが来るよ~」
と、いう他愛のない(?)脅しから、
「親の言うことがきけないなら、うちの子ではないから出ていけ!」
(この事件では「他人に迷惑をかけて親をこまらせるなら、山に置き去りにするぞ!」)
と、いう強迫まがいの脅しまで、
親は日常的に脅しの言葉を子供に投げかけている。

脅すことによって、問題行動が起こらなくなったり、減少したりするので、(しばしば表面的な即効性もあるため)未熟な親は、脅しを躾けのための有効なツールと勘違いしてしまう事も多いと思う。
 問題行動が起こらなくなったり減ったりするなら、脅しを使ってもいいじゃないか、と思うかも知れないけれど、脅しと躾けには決定的な違いがある。

 残念なことに、世間は起こった結果で責めたてるだけで、その時に感じた後ろめたさが何なのか、どう対処すればよかったのか、最善の対処の基になる考えは何なのかを教えてくれることはない。

 この事件の親に限らず、多くの未熟な親は『躾』と『脅し』の区別がついていないのではないだろうか。

「早く寝ないと、お化けが来るよ~」
と、いう他愛のない(?)脅しから、
「親の言うことがきけないなら、うちの子ではないから出ていけ!」
(この事件では「他人に迷惑をかけて親をこまらせるなら、山に置き去りにするぞ!」)
と、いう強迫まがいの脅しまで、
親は日常的に脅しの言葉を子供に投げかけている。

脅すことによって、問題行動が起こらなくなったり、減少したりするので、(しばしば表面的な即効性もあるため)未熟な親は、脅しを躾けのための有効なツールと勘違いしてしまう事も多いと思う。
 問題行動が起こらなくなったり減ったりするなら、脅しを使ってもいいじゃないか、と思うかも知れないけれど、脅しと躾けには決定的な違いがある。

 どんな親だって完璧じゃないのだから、いつも的確なタイミングで、的確な対応ができるとは限らないし、冷静でいられなかったり判断を誤ることもあるだろうと思う。

 私はこの事件で親が責められるべき点があるとしたら、最初に「山菜取りではぐれた」と嘘をついた事ではないかと思う。 

(もしも、置き去りにしたという証言が本当だとしたら、)その他の点については、親が未熟なためと、たまたま不幸が重なったために起こってしまった事件で、メディアなどや赤の他人からまで批判を浴びる必要のないものだと思う。

 この記事を書いている時点でも、依然として子どもの行方はわからないままだし、何の手がかりも見つかっていない。
 他人の私ですら、心配だし無事で帰ってきて欲しいと思うのだから、親の気持ちはそれ以上だろうと思う。

 (親がまだ他にも隠し事をしているのではないとしたら、)この事件は親が自分の未熟さを自覚するという教訓を学ぶには、あまりにも高い代償だと思う。

※ この記事に使った画像は我が家の近くの遊歩道で、事件の起こった山林とは関係ありません。