転職関係の記事は11月中で終わらせようと思って、毎日連続で更新していたのだけれど、今週はサンクスギブン&ブラックフライデーもあって、思ったように記事の執筆が進まなかった。
時間は遅くなっても、今日中にUPするぞ~
p( `o´ )qガンバルゾ~
と言うわけで、昨日の記事からの続き
夫は仕事や職探しやセミナーでバタバタしているうちに、あっという間に11月が終わってしまった。
11月が終わった時点で、案の定、企業内への転職先は見つからなかった。
と、いうのも、
企業内の求職や転職は人事課を通して申し込む決まりになっていたのだけれど、人事の担当者がサンクスギブンの前後2週間も休暇を取ってしまい、2週間夫のレジメは放ったらかしで申し込み先に送られていなかったからである。
人事の担当が休暇から帰ってきたら、企業内の転職活動の期限は1週間後に迫っていていて、それまでに転職するのは不可能。
失業しかかっている人がいても、しっかり休暇は取る、さすがアメリカンらしい働き方。
せめて休暇に入る前にレジメを申し込み先に送ってくれていれば、仕事が見つかったかもしれないのに…
企業外への転職に力を入れていて正解だった。
会社の求職担当がいい加減だったのとは対照的に、 モンスター・ドット・コムを見て連絡して来たアメリカの人材会社の担当は親切だった。
人材会社の担当(人買いさん)はインド人で、日本で働いていたこともある人だった。
カバーレターやレジメのチェックだけでなく、面接に行く企業の情報やニーズなどを細かく調べて教えてくれたし、給料の交渉の仕方や、面接が終わったら面接官にサンキューメールを書くなどの、アメリカの面接での慣習なども教えてくれた。
面接の前日の夜には、電話で面接の練習までしてアドバイスをしてくれた。
面接当日は、(欠勤理由をパワハラ上司に知られるのが嫌だったので)会社を無断欠勤して出かけた夫。
朝から面接で午後には帰宅。
一般的な面接だと思って行ったら、インド人の人買いさんが事前にかなり根回しをしてくれていたみたいで、先方は雇う気満々。
面接に来ていたのは3人、全部現場の人間で、自己紹介もそこそこに、いきなり実際の業務の話になって、
「こういう時は、どういう対応をしますか?」
等の、具体的な質問が多かったらしい。
当初は現場の人間と面接した後に、幹部クラスのボスとの面接が予定されていたけれど、インド人の人買いさんがボスを説得してくれて、ボスとの面接なしで採用が決まり、面接の2~3日後には採用確定の連絡が来て、給料の額などの雇用の条件の調整に入りました。
面接の翌日、出社すると件のパワハラ上司が、欠勤の理由を根堀り葉堀り聞いてくるので、妻の調子が悪かったと返事をした。
「妻の調子が悪い」は、転職活動のため会社を休まなくてはならない時のための言い訳で、件のパワハラ上司には「レイオフの話以来、妻が落ち込んでいて夜も眠れないようだ」と話していたし、同僚たちにはレイオフのことは知らせていなかったので、「妻が最近欝っぽい」と話してあった。
実際のところは、妻(私)はピンピンしていて、企業外への転職活動モードになっていた。
(現在私が使っている携帯は、私の名義で契約して、転職活動専用機にして、夫に持たせていたもの。)
インド人の人買いさんが給与の交渉のためのメールを添削までしてくれたおかげで、12月の中旬にはその当時よりもいいお給料で新しい会社との交渉が決まり、当時働いていた会社をその年いっぱい(12月31日)に辞めるために2ウィークス・ノーティス(辞表)を出すことになった。
2ウィークス・ノーティスもインド人の人買いさんが文章を考えてくれて、夫は宛先をタイプして、文章をコピペして、自分の名前を署名して、会社と人事と件のパワハラ上司に提出するだけだった。
夫が2ウィークス・ノーティスを提出した提出した時、件のパワハラ上司はレイオフではなくて自己都合退職されたことがショックで「どうせ仕事なんかないんだから出いけ!」と、ぶち切れ、事情を知らなかった同僚たちは夫の急な退職にびっくりした。
レイオフを打診されてから1ヶ月と10日、夫は私物を少しずつ会社から家に持ち帰っていたし、会社から支給されたPCのメールなど仕事と関係のないデータは移動個人情報はすべて消去済み、携帯も連絡先など必要なものは移動して、残りは全部消去してあった。
オフィスの机の上に、会社から支給されたPCと携帯だけを置いて帰ってきた。
本当は今日で転職シリーズは書き終える予定だったけれど、文章をまとめる力がなくて長くなりすぎてしまった。
退職後の様子は次回に続く…