2015年8月31日月曜日

As a Man Thinketh
「原因」と「結果」の法則


 As a Man Thinkethはイギリスの哲学者ジェームズ・アレン著の1903年に出版された自己啓発本。
 日本語訳は「『原因』と『結果』の法則」で、2003年にサンマーク出版から単行本が出ています。
(それ以前にも日本語訳が出版されていたかどうかは不明。)

 この本にたどり着いたのは、アール・ナイチンゲールの著作「人間は自分が考えているような人間になる‼」(原題:Earl Nitingale's Greatest Discovery)を読んでいて、本の内容に関連のあるナポレオン・ヒルやジェームズ・アレンの著書も読んでみたくなったからです。

 この記事の画像に使われている本には、As a Man ThinkethとEight Pillers of Prosperity(1911年のジェームズ・アレンの著書。題を日本語直訳すると「繁栄の8本の柱」)と、ジェームズ・アレンの生涯と作品についての簡単なまとめが含まれていて、Eight Pillers of Prosperityには、8つの原則を神殿の柱に見立てて説明されていました。

 人格主義を元にした応用哲学・自己啓発本で、「宇宙を治める法則(原則)があって、その法則にしたがって生活している人は繁栄する、法則を無視した場合は一時的な成功は納められるかもしれないが必ず失敗し没落する」という考えがAs a Man Thinkethの主題になっています。
 この本で述べられている原則(正直、誠実、正義、智恵、洞察力、忍耐、冷静、勤勉、自立など)と成功の関係が説明されています。
 ジェームズ・アレンの著書や思想はD・カーネギーやナポレオン・ヒルにも影響を与えたと言われていて、彼らの著書にアレンの思想が反映されているらしいです。
(ナポレオン・ヒルはまだ読んでいないし、D・カーネギーの「人を動かす」を読んだのは小学校高学年の時なので内容をほとんど覚えていないので、読んでみたいです。)

 本の内容は、ユングの提唱する「集合的潜在意識」やS・コヴィの「7つの習慣‐原則中心のリーダーシップ‐」の内容と一致する部分が多く(「7つの習慣…」はこの本の現代版解説本じゃないかと思うくらい内容が似ていて)、100年以上前に出版された本だけれど現代に生きる人にも参考になると感じました。
 著者自身が作品の中で、「原則は廃れないが、詳細は廃れるのでこの本にはビジネスの詳細は書いていない」と言及しています。
原則に重点を置いたため、現在まで読み継がれるロングセラーになったのではないかと思います。

 この本は原則に重点を置いた内容だけれど、原則を説明するために比喩や例えや引用は使われています。
 この本の書かれた時代は、哲学が広く研究されていた時代で、本の中にもカントやエマーソンの著書や言葉の引用が所々に見られます。
 まだ心理学の分野が学問として確立される前の黎明期で、発達障害や人格障害もサイコパスやソシオパス等の存在も発見されていなかった時代でした。
 また、その当時の文化や生活様式(フェミニズム運動がまだ起こっていなくて女性の活動に制限があった。外燃機関から内燃機関への移行期。大量生産が大量消費の文化の先駆けの時期。)の背景などを考慮に入れながら読まないと、例として挙げられたその当時の情報だけに目が行ってしまって「現代の生活には使えない」と誤解してしまうのではないかと感じました。

 

 

おまけ:

この本は100年以上も前のイギリスの作品という事で、読むのに大変苦労しました。
著者の主張自体は普遍的な原則に沿っていて、どれも納得できるものでしたが、使われている単語が今では違った意味で使われていて、この作品とEight Pillers of Prosperityを読むのに、1000語近くの単語を辞書で調べなければなりませんでした。
辞書で引いた時、(古)のマークや(廃)のマークがついている意味が、この本で使われている単語の意味に近いものが多かったです。

もう1つ気が付いたことは、日本語は英語に比べると語彙が少ないのでは…という事です。
例えば、
「無頓着な」という意味の単語は
・indifferent
・inattentive
・negligent
・careless
・heedless

「非難(する)」
・reproof
・rebuke
・upbraid
・condemnation
・recrimination
・criticism
・reproach
・censure
・accusation

「詐欺師」
・deceit
・impostor
・swindler
・fraud
・trickster

日本語にしたらひとくくりだけれど、英語だといろんなケースや色んな種類によって使い方も違っているのかも…
「詐欺師」という単語の多さに、「(英語圏では)どんだけ詐欺師が多いんだよ。」と、思ってしまった。

他にも「偽る(偽り)」、「怠惰」、「曲げる」など、
日本語の意味を見る度に、「さっきも調べたんじゃなかったけ?」
と、思うことが何度もありました。

 

 

 

2015年8月28日金曜日

トラバース・シティ近辺

 Old Mlisshon LighthouseとGrand Travers Lighthouseの周辺にはスリーピング・ベアと呼ばれる砂丘があって、ナショナル・パークの1つなのですが、広すぎて日帰りでの観光は無理そうなので、次回泊りがけで行くことにして、今回は灯台とトラバース・シティ周辺をざっと見て回りました。

(↑Old Mlisshon Lighthouseの近くにあったログハウス。
開拓者の初期の建物で、保存のために別の場所から移設して灯台の近くで展示されていました。)

(↑Old Mission半島:ワイナリーと葡萄畑)

 トラバース湾周辺はワインの産地として知られていて、果樹園や葡萄畑が多く、灯台に行く道路沿いにあちらこちらに果樹園やワイナリーを見ることができました。


(←道路沿いに広がる果樹園:Old Mission半島)

 私たちが行った時は、丁度桃のシーズンだったようで、道路わきの露店のお店で採れたての桃や農作物やジャムなどが販売されていました。

(←露店のお店の店先の桃とレッドスキン・ポテト)

 お値段は安くもなく高くもなかったのですが、道端のお店なので、(当然だけれど)カードが使えない。
 お土産に買って帰りたかったのですが、現金の持ち合わせがなくて買えなかったのが残念でした。
 次回は現金を持って行こう(しかも10ドル以下の細かいのを組み合わせて)…と思いました。

(↑店先にディスプレイされていた桃)

(↑ビジターセンターでもらったトラバース・シティの市街地の地図。
クリックで拡大)

 灯台を2カ所回った後は、トラバース・シティのダウンタウンを観光しました。
観光と言ってもダウンタウンの通りをブラブラ散歩しただけだったのですが、いかにも田舎の観光地という感じで、お土産品店やレストランなどが並んでいて見て歩くだけでも楽しかったです。

 

 

 

おまけ:

(←Grand Travers Lighthouseのお土産屋さんで買ったマグネット。
上:Old Misstion Lighthouse
マグネットにはMisstion Point Lighthouseと書かれているけれど…
下:Grand Travers Lighthouse)

 トラバース・シティ近辺ではないけれど、途中のハイウエイで面白いビルボード(広告?)を見つけた。
 一瞬だったので、写真におさめることは出来なかったけれど、お絵かきソフトで再現してみた。

(↑途中のハイウエイで見かけた広告?を再現したもの)

直訳すると…

 世間は(広いようで)狭い。
 知っている。
 私が作った(んだから)。  -神‐

なのだけれど、思わず見た時に笑ってしまった。
何の広告だったんだろう?
教会?

 

 

 

 

2015年8月25日火曜日

Lighthouse(灯台)19
-Grand Travers Lighthouse-

 Old Mlisshon Lighthouseを見に行った後は、車で1時間くらい離れたLeelanau 半島の北端にある、Grand Travers Lighthouseを見に行きました。

(↑奥:灯台と手前の赤い建物:オイルハウス)

 灯台はLeelanau 州立公園内にあって、車で公園に入るには入場料金が必要です。
 現在の灯台は、1850年に建設された灯台と灯台守の住居が一体になった建物。
 それ以前には現在灯台の建っている場所より少し東(現在はキャンプ場になっている)に、レンガ造りの塔と灯台守の家が別々に経っていたが、現在は基礎の部分が残っているだけになっているらしい。

(↑Fog Signal Building)

 灯台の建物の近くには1899年に建てられた、霧笛信号用のFog Signal Buildingがあり、内部は資料の展示がされていた。

(↑湖側から見た灯台)

 1952年に電化、1972年にオートメーション化され灯台守の住居は閉鎖。
1986年に灯台守の住居を改装してミュージアムとして一般公開。
料金は大人4ドル子ども2ドル(2015年8月現在)で、タワーに登ることができます。

 灯台の周りにはキャンプ場やビーチもあったのですが、私たちの行った日は(気温も低く)強風で、波が荒く泳げる状態ではありませんでした。
(Grand Travers Lighthouseはミシガン湖に面しているので、トラバース湾内にあったOld Mlisshon Lighthouseのビーチよりも更に波が高かった。)

(↑荒波の写真を撮るために波打ち際まで近づく怪獣

 波が荒い中、スマホで写真を撮るために、怪獣は波打ち際まで行き、ズボンの裾を濡らして戻って来ました。


(←灯台の建物の前にあった案内板。
強風で両側に飾られた星条旗がはためいている。)

 Grand Travers Lighthouseの敷地内には、ギフトショップもあって、Tシャツやパーカーや絵葉書などのお土産品を売っていました。

 

 

2015年8月22日土曜日

Lighthouse(灯台)18
-Old Mission Lighthouse-


 月遅れのお盆の週に、が平日に1日休みが取れたので、日帰りで灯台を2カ所見に行ってきました。

 今回行ったのは、ミシガン湖畔にある灯台とトラバース湾内にある灯台。
去年行ったミシガン湖畔の3つの灯台よりも、200㎞くらい北にある灯台で、Old Mlisshon Lighthouseは現在は稼働していない灯台で、塔の先端のランタンルームからレンズは外されていて、内部は史跡として資料館になっていました。

(↑湾の側からみた灯台) 

 最初に訪れたのは、トラバース湾内のオールド・ミッション半島の北端にある灯台でした。


(←ランタンルームへの出入り口)

 Old Mlisshon Lighthouseは1870年に建設された灯油ランプの灯台で、1933年に電化&オートメーション化されました。

 この灯台は、北緯45°(赤道と北極の丁度半分の緯度)に位置する灯台で、北方領土を含まない一般人がいける日本最北端の北海道の宗谷岬(北緯45.3122°)とほぼ同じ緯度です。

(↑ランタンルームからの眺め)

 灯台守の住宅と灯台部分が一続きになった灯台で、規模も小さく、塔の高さもあまり高くありません。

 灯台の玄関を出てすぐ下はビーチになっていて、遊泳禁止ではなかったのですが、監視員がいないので、泳ぐ時は自己責任で…と看板がでていました。

 灯台の近くにビーチがあることは知っていたので、泳ぐ気満々で水着もバスタオルも持って行ったのですが、風がかなり強かったことと、気温があまり上がらなかった(27℃くらい)だったので、誰も泳ごうとは言い出しませんでした。

 怪獣が浅瀬を少し歩いたのですが、水も冷たかったようです
 私たちの家族の他にもアメリカ人のグループがバスタオルを持って泳ぎに来ていましたが、水が冷たかったのか引き返していました。

(↑水辺にいたカモメ)

 

2015年8月19日水曜日

日米の公平の考え方の違い


 小学3年で渡米して、今年無事ハイスクールを卒業した発達障害を持つ怪獣の10年間を振り返って思う事は、
「あっという間だったなぁ…」
という事と、
「学校のIEPのみで、特に療育や訓練には通わずに何とかなっちゃったなぁ…」
という事です。

 就学前、日本で通っていた公立の療育施設の所長さんに、
「この子は(底辺校や実業高校だったとしても)高校進学は無理でしょう。
せいぜい行けたとしても、高等養護学校(当時はそう呼ばれていた)でしょう。」
と、断言されていたのに、高校卒業のディプロマ(証書)※が取得出来てしまいました。

 アメリカではハイスクールまで義務教育で、日本の様に受験はないし、障害を持った子どももよっぽど重度の子でない限り、普通の子の通う高校に通うという制度上の違いが大きく影響している事は確かだと思います。
 おそらく、日本だったら上記の所長さんが言うように、受験や面接で篩いにかけられて、高校入学も難しかったでしょう。

 日米の教育の最も大きな違いは、平等・公平についての考え方の違いから来ていると思います。

 日本では、平等・公平というと、一律に同じ待遇や同じ扱いを受けること(同一の条件)だと考えます。
 例えば、能力の差があっても、同じ教え方や同じ指導法でなければ公平ではない。
標準的な能力から外れた子に、教師が特別に時間をさいたり、便宜をはかるのは平等じゃないと考えます。

 アメリカでは、平等・公平とは同じ機会(可能性)が与えられることだと考えます。
 例えば、怪獣は言語の発達に遅れがあって、標準的な子と比べると読むスピードが遅いし、文章理解が苦手です。
 普通の子と同じテスト時間だと、どう頑張っても満点を取ることは不可能です。
 けれども、授業の内容自体は理解できているので、時間を延長してもらえば、満点を取ることは可能になって来ます。
 満点の取れる可能性を平等にするために、怪獣のテストの時間は1.5倍に延長されていました。

 怪獣の数学の偏差値は76。
一見数学のテストには時間の延長はいらないようにも思えますが、数学は文章題が多い(アメリカは計算機の使用が認められているので、単純な計算問題は殆どない)ので、テストの時間は延長されていました。

 クラスでも上位の成績の子にさらに時間延長なんて、日本だったら「狡い~」と文句が出そうですが、アメリカではハンディがあって便宜を図ってもらっている人に対して文句を言う子もいないし、白い目で見ることもないです。
 誰もが公平に機会を与えられるので、クラスメイトと競い合う必要はないからです。

 アメリカの中学や高校は単位制で1人1人が自分で時間割を組むようになっています。
おまけに習熟度別のクラスなので、自分に合ったレベルのクラスを選らんでちゃんと努力をすればいい成績が取れるようになっています。
(偏差値はクラスの成績とは別の学力判定テストで算定されます。)

 普通とか標準の範疇に収まるなら、日本式の「一律同一条件」の平等・公平でも問題はないのだろうけれど、うちの怪獣は所謂標準には当てはまらない。
 標準に収まらないタイプの人にとっては、アメリカ式「機会の平等」の方が生活しやすいように思います。

●画像はボストンのフリーダム・トレイルの写真です

 

 

※高校卒業のディプロマ(証書)

 アメリカの高卒の証明にはディプロマ(diploma)とサーティフィケイト(certificate of completion)の2種類があります。
 普通に高校に通って必要な単位を取って卒業すると、ディプロマが発行されます。
サーティフィケイトは高校の修了証明書で、州によって取得の要件が違います。

 ディプロマとサーティフィケイトの最も大きな違いは、ディプロマは全ての雇用先や大学や短大で受け入れられるが、サーティフィケイトを高校卒業として認めない雇用先や大学もあることです。
 

 

 

2015年8月16日日曜日

渡米10年目


 今年の8月は戦後70年ということで、区切りの年だけれど、我が家にとっても今年の8月は区切りになります。

 10年前の今日(8月16日)、母子留学のため、家族全員で(は付き添い)日本を出発。
 アメリカ時間の8月16日、(多分)サンフランシスコ(経由地)から、アメリカに入国した。

 当時は以外の家族は英語もろくろく聞き取れず、怪獣に至ってはアルファベットがかろうじてわかるレベルだった。

(←2005年、初めてのハロウィン)

 怪獣は一番英語の知識がなかったにも関わらず、アメリカで国内線に乗り換えてから、(家族で席がバラバラになってしまったので)隣の席に座った初老のアメリカ人女性に、公文の英語の教材を見せながら、日本語と片言の英語交じりで話しかけて親をびっくりさせた。
 ラッキーなことに相手の女性が優し方で、言葉の話せない幼児に話すように対応してくれてたすかった。
 手続き関係を全て済ませたが1週間で日本に帰国。
その後は、文化や習慣の違いに戸惑いながらも、母子3人でどうにかこうにか生活。

(←2006年、ブライスキャニオン・ナショナルパーク)

 2006年になって、家族や友人に近況を知らせるため、ココログでブログを始める。

 夏に日本から猫を連れてくるために、大学の学生寮(家族寮)を退寮して、ベースメント・アパートに引っ越し。

 8月にお盆休みでが訪米したので、ブライスキャニオン・ナショナルパークに行った。
(我が家のナショナルパーク・デビュー)

 秋から、がハイスクール(4年間)に進学
(*^-゚)v♪
(と、言ってもアメリカでは高校までは義務教育なので、受験なしの持ち上がり。ラッキー)

(←2007年、グランドキャニオン・ナショナルパーク)

 2007年は年明けのセドナに行った時にナショナルパークのパスを購入した(セドナはナショナルパークではないけれど、ナショナルパークを通り抜けていく方が近道だったのでパスを購入した)のをきっかけに、ザイオングランドキャニオンアーチーズと(パスの購入金額の元を取るために?)精力的にグランドサークルのナショナルパークを訪問。

(←2008年、イエローストーン・ナショナルパーク)

 2008年も引き続き、 ロッキーマウンテンテンパノーガス・ケイブイエローストーングランドティトンデスバレーとナショナルパーク巡りを楽しみました。
 私たちの住んでいた地域は保守的な地域だったので、2008年の春には、怪獣アメリカに関する地域の発表会に参加。
 物凄く愛国心の溢れる発表会だったけれど、アメリカの文化を知るにはいい経験だったかも…

(←2009年、キャニオンランズ・ナショナルパーク)

 2009年5月に、怪獣エレメンタリースクール(小学校)を卒業、秋からミドルスクール(中学校)へ。

 私は夏の学期に、1学期分の単位を学期の前半のタームで取ってしまって、学期の後半のタームはお休みにして、子どもたちの夏休みと合わせて久々に日本に一時帰国する計画を立てた。
 過酷なスケジュールを何とかこなし、無事に日本へ一時帰国。
 首都圏の子ども向け観光スポットを楽しんで、8月の末に再渡米、ところが書類の不備で別室送りに

 秋にはのアメリカ転勤が決まり、が高校を卒業するまでは東部(正確には中西部)で母子は西部で生活することに…

(←2010年、引っ越し直前にダメ押しで出かけたザイオン・ナショナルパーク)

 2010年春、がハイスクールを卒業

 の卒業式の直後に、大学は西部に残ることにした以外の家族+猫は東部へ引っ越し。
 が東部から来て、引っ越し業者には頼まずレンタルのトラックを借りて、トラックと自家用車で家族全員(は引っ越しの手伝い)で西部~東部へ実走距離にして約2000マイル(3200㎞)の大移動をたった2日で完遂。
(*。*;)ギェ~
 西部への開拓者の通った、ほぼ逆ルート。
(我が家は幌馬車じゃなくて車での移動だったけれど、)あまりのハードスケジュールで、行き倒れになるのではないかと思った。
 夏はビザの切り替えのため、モントリオール(カナダ)へ。私と子どもたちカナダ初デビューでした。

(←2011年、シーダー・ポイント

 2011年は、怪獣がミドルスクールを卒業、秋からハイスクールに進学に…

 夏ごろから、永住ビザ申請のための手続きに入りました。

 住んでいる自宅が、築30年超えの中古住宅だったので、窓の交換をしたり、台所に換気扇を取り付けたりと、DIYでの改装が本格的にスタートしたのもこの年でした。

(←2012年、ナイアガラ滝:カナダ滝)

 2012年春、永住ビザが下りて、晴れてアメリカの出入りが自由になり、6月にナイアガラ滝を見にカナダへ旅行。

 家の改装のDIYに週末を使い切っていた前年の反省から、少しずつ小旅行にも出かけるようになり、灯台巡りに行くようになりました。

 そして秋、の突然の解雇通告と転職

(←2013年、ハーバービーチ灯台近くの防波堤)

 2013年は引っ越した先にも慣れて来て、図書館でDVDを借りて映画を観るのにはまっていました。
(DVDのリビューの記事が最も多いのがこの年でした。)
 アメリカの生活にも慣れて来て、驚くことも減って来たと思っていたけれど、陪審員の召喚異臭騒動ハリポタ切手購入事件雨氷、など、まだまだ日常生活でも驚くことも多かった。

(←2014年、Haskell Library 読書室を通る国境線。
向かって左がアメリカ側、向かって右がカナダ側)

 2014年、怪獣が初めてのACT(学力判定テスト)を受けたり、学校で不適切な言葉を書いたと学校からの呼出しがあったり、スマホを購入するようにと学校から指導があったり、あわただしいジュニア(日本の高校2年)の年をすごした後、秋からシニア(日本の高校3年)にめでたく進級。

 イヤーブック(卒業アルバムのようなも)に載せる写真をDIYで撮影したり卒業式のローブの予約をしたり、高校卒業後の進路について話し合いを持ったり、翌年の卒業に向けて色々忙しくなってきました。

(2015年、凍るナイアガラ滝を見に…)

 2015年は、前年(2014年)に引き続き寒い冬だった。

 超低温警報で休校になったので、凍ったナイアガラ滝を見に行った。
 親子共々、厳しい寒さを身をもって体験。

(←2015年5月、シニアプロムに出かけるところ)

 5月の下旬、怪獣は生まれて初めてのプロム(シニアプロム)に参加

  6月の初めに、無事ハイスクールを卒業
アメリカの義務教育を終了した。

 現在は秋からのカレッジ入学のために手続き進行中です。

(←2015年6月、卒業式の会場近くで)

 10年振り返ってみると、長いようで短かったです。
 留学したての頃は、10年を越えてアメリカに滞在することになろうとは思ってもみませんでした。

 怪獣は日本に住んでいた期間より、アメリカに住んでいた期間の方が長くなり、こっちの生活の方がメインで、日本は観光や祖父母に会いに訪問する感覚になってしまっている感じです。

 あと2年でアメリカの市民権(アメリカ国籍)の申請が出来るようになるのですが、日本は2重国籍を認めていないので、私たち親はアメリカに帰化する予定はないです。
 子どもたちはこちらで大学に通って就職して、仕事の都合等で帰化が必要になってくるかもしれないので、どうなるのか…
 親としてはそのまま日本国籍を保持していて欲しいです。

 

 

 

 

2015年8月15日土曜日

狭いところが好き


 5月の末頃、が帰省してくるのに備えて、物置と化していた空き部屋を片付けていた時の事。

 うちのマダラ猫がクローゼットの中の狭い棚にジャンプして飛びこんで来た。
 棚までの高さは130㎝くらい、棚板の間のスペースは15cmくらい。

 こんな狭いスペースに、しかも自分の背の高さの何倍もある高さの所に上手くジャンプして収まるなんて…

 面白いので、怪獣のスマホで写真を撮ってもらった。

 今度は、 ライブラリーのテーブルでPCの作業をしていたら、マダラ猫がテーブルの上に飛び乗って来た。

 PCを使いながらチラ見していると、一定のカ所から動かない。
 いつもはキーボードの操作を邪魔しに来るのに、何でだろう?
と、不思議に思ってよく見たら…

∑('◇'*)アラ!

 テーブルの上にある鍋敷きの上に座っていた。

(←水色の矢印の先:鍋敷き)

 どうやら、鍋敷きが猫転送装置(猫ホイホイ)として働いたらしい。

 床に描いた丸とか、座布団の薄いようなものが猫を引き寄せる効果があるとは知っていたけれど、鍋敷きのような小さなものでも猫が釣れるとは…

 これも面白かったのでカメラに収めておいた。

 写真には撮っていないけれど、引き出しに収まっていたり、洗面台の下に入っていたり、 うちの、マダラって…つくずく狭いところ好きなのね…

~(=^‥^A ・・・

 

 

2015年8月12日水曜日

フレンチ・フルコースもどきに挑戦


 ここ4年くらい、の誕生日にはフルコースのディナーを作っている。
 今年は仕事の都合で誕生日にはお祝いできなかったけれど、少し遅れて週末にディナーにした。

(↑ディナーに使ったテーブルセッティング) 


(←一人分のセッティング)

 去年はトルコ料理、一昨年はイタリアン・フルコースもどき、その前の年は洋風フルコースもどきだった。

 今年は(も夏で帰省していることだし)、フレンチのフルコースもどきに挑戦することにした。 

(←前菜)

 もどきになってしまったのは、前菜とサラダとプチフールがフランス料理ではなかった事と、肉料理の後のチーズを省略したためです。
(結局、3年前の洋風フルコースもどきとあまり変わらないような…)

(←前菜を一人分に取り分けたところ)

 メニューは、

1.前菜:
2.サラダ:シーザーサラダ
3.スープ:冷たいアスパラのスープ
4.パン:バゲット(市販)
5.魚料理:白身魚のムニエル
6.ソルベ:ザクロとアサイベリーとブルーベリーのシャーベット(市販)
7.肉料理:フィレステーキ、カボチャのテリーヌ添え
8.フルーツ:さくらんぼ
9.デザート:クロカンブッシュ
10.コーヒー:ペロ
11.プチフール

でした。

(↑サラダ:シーザーサラダ)

(↑スープ:冷たいアスパラのスープ)

(←パン:バゲット)

 前菜はが担当。
パンは焼くだけの状態になったものを買ってきて、オーブンで焼いたもの。
シャーベットは市販のものを使いました。

(↑魚料理:白身魚のムニエル、トマトとパセリとケッパーのソース添え)

(←ソルベ:ザクロとアサイベリーとブルーベリーのシャーベット)

 シャーベットはベリー系だったので、ちょっと甘ったるい感じでした。
 オレンジやレモンなどのシトラス系にすればサッパリした感じで良かったのかも…

(↑肉料理:フィレステーキ、カボチャのテリーヌ添え)

 メインの肉料理には、ガーリックとパセリのソースとバルサミコ酢を使ったソースの2種類が使われているのですが、色が似ているので1種類にしか見えなかったのが残念です。

(←フルーツ:さくらんぼ)

(↑デザート:クロカンブッシュ)

 デザートは、クリスマスの時に作ったクロカンブッシュをまた作りました。
実はデザートにクロカンブッシュが食べたくて、フレンチのフルコースにしました。
(今回も市販のプチシュークリームを使って作りました。)

(←プチフール)

 プチフールはひとくちサイズの小さなお菓子という事で、色々考えたのですが小さなカップケーキを作りました。
本当はミニタルトを作ろうと思っていたのだけれど、時間がかかるのでやめました。

(↑ペロとプチフール)

 ここの所毎年の誕生日にはフルコースを作っていて、多分来年もフルコースを作るのだろうけれど、フルコースの欠点は、食事中に必ずサーブする人(給仕)が必要なこと。

 フルコースのディナーを計画するのは嫌いではないけれど、私が食事中立ったり座ったりで慌ただしい。
 かといって、給仕の人を雇えるくらいお金持ちじゃないしねぇ…
フルコースはうちみたいな一般庶民の普段の食事じゃないわよね。

 とりあえず、今年もの誕生日ディナーが無事に終わってホット一息です。